第14話 民族間の対立と共存


 走りだした列車はとりたてて綺麗でも豪奢でもないが、かと云って不快でも不便でもない普通の車輛だ。乗客たちもおそらく標準的な、市井の人たち。マレー人も華人もインド人もいる中で、マレー系が最も多いのは人口構成そのままの割合なのだろう。宗教、日常言語、その他食習慣をはじめ諸々の文化を異にする彼らは、長い時を同じ地に根を張りながら、その血はあまり混淆していないように思える。


 民族自決と云う美しい理念は、世界にあまねく希望と呪いを播いたのだと思えてならない。

 様々な国や地域で自立を目指す者たちと圧制者との対立が内戦を勃発させ、民族間での衝突は繰り返され、呪詛の応酬はエスカレートし怨嗟で地上は穢された。覚醒したのだ、と彼らは云う。それまで複数民族が共存していたのは理想郷に暮らしていたためではなく、だ太平のねむりに沈んでいたに過ぎないと、目覚めた以上はもはやまやかしの平和に戻れないと。

 一つの国家で、少数派であることは辛いことには違いない。思想や主義主張であれば多数派に鞍替えするのも可能だろうが、民族となれば少数派が厭だとて容易に移れるものではない。言語に絶する差別や不利益を受けもしただろう。現に今も受けている者もいる。自民族のみの共同体を作り、他民族の支配や干渉を排して、不当に奪われたほこりと幸福を取り戻そう。それは切実な、それ無くしては今日を生き延びることさえできないほどの、杖であり糧であり祈りであったのかも知れぬ。その美しい夢に、人々は一縷の希望を託すしかなかったのかも知れぬ。

 幸いにして民族間の軋轢を知らずに済む環境に育った私は、彼らの考えに異を唱える資格を備えていないと思う。だが一つ、目を逸らしてはならないことがある。

 その美しい夢を実現しようとしたとき、夥しい血が流され数多の無辜の魂が傷つけられた。

 如何どうすればよかったのか、これから如何するべきなのか、答えを出すのは容易ではない。だが我々は、考えることを止めては不可いけないのだろう。


 マレーシアの歴史は一つの答えではあると思う。無論、完全解でないことは承知の上だ。此の国では、多数派であるマレー人が有利になるための法が悪びれもなく健在している。

 なかでも想い起こされるのは、1969年に発生した「5月13日事件」だ。二百人近くが亡くなったいたましいこの事件は、華人とマレー人の民族対立がその原因であり、帰結だった。

 いまだ不分明な点も多い半世紀前の事件について他国人が軽々しく口をはさむのはいましめらるべきだろう。くわしい論述は避けるが、兎も角その政治決着はマレー人の圧倒的勝利にわった。

 つまり少数民族は此処でも敗れたわけだが、その後、華僑も印僑も分離独立を求めることなく、混じり合うこともないまま、わだかまりはあるにせよ、三民族は今も共存を続けている。


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