第7話 クエチャオと仕事


 クエチャオは米粉の麺だ。きしめんのように平べったく、もっちり半透明。もやしやニラに、海老・貝・烏賊、さらに卵を絡めて炒めた焼きそば風。

 マレーシアには(インドネシアにも)ミーゴレンと呼ばれる焼きそば風のものが多種多様にある。チャークエチャオはその一種と云ってもよいが中華風ミーゴレンと云えば、何よりミー・チャーだ。ミーは、普通に日本でも出てくる焼きそばの麺。ミー・チャーに対し、ミー・スーもある。チャーは「炒」、スーは「スープ」のことだろう。実は雲吞麺にも福建麺にも「チャー」は存在する。スープタイプに劣らぬ人気で、何れも美味しい。


 飲み物は、砂糖黍ジュース。若竹のような砂糖黍の茎を山と積んだ屋台で、専用の機械でしごいてジュースを搾り取っている。自然な甘さが口に広がった。



 食事をえれば仕事の時間。気は重いが、それが仕事だ。逃げる訳にはいかない。

 ポーリィさんの運転で車は郊外へと向かった。色とりどりに街を照らしていた灯を背後に置き去りにして、寂しい道を車は行く。海に迫った山りに道は曲がりくねる。ふと沖へ目を遣ると、対岸の港の灯りが遠くにじんだ。昔も今も、海の要衝は人々に富と活気を齎している。仮令たとえ労働は過酷であろうとも、仮令え一人一人に行き渡る対価は小さかろうとも。


 やがて車は、刑務所の高い壁の横で停まった。一方は海の浪が断崖をあらい、他方は壁の向こうに深い森がたたずむ。

 夜の深まる僻地のこととて、車も殆ど通らず、歩く人など寄りつく気配もない。思い切って森の中に車を入れると、車はまるで森の一部と化した。

「早く済ませて帰ってこないと、大蛇に喰われてしまっているかも知れませんよ」

 真顔で戯談じょうだんを云うポーリィさんに笑みを返すと、私は目を閉じた。



 少時しばらくして、私は目を開く。其処は狭いコンクリートの部屋だった。

 格子窓から月明りがかすかに差している。先刻までとは全く異なる光景に私は半ば満足し、半ばは諦めの混じった想いで、長い息を吐いた。



 私には特殊能力がある。それは他人に憑依する力だ。

 但し、条件が三つ。


1.憑依する相手は、半径一キロメートル程度の範囲内にいる人間に限る。

2.憑依する相手は、人を殺したことのある人間に限る。

3.憑依する相手の、顔と名前を知っている必要がある。


 あと、忘れてはいけないのが憑依を解くための条件。憑依した相手の肉体が死を迎えた時初めて、憑依は終わる。

 故にもう後戻りは許されない。私のものではない此の躯を死へと駆って、私は宿主を殺し元の私自身の躯に帰還せねばならぬ。


 今回は、血を流してはならぬ、と依頼主の指示を受けていた。

 頭より上にある格子窓にズボンで作ったロープを引っ掛け、首に結んだ。角度は完璧。失敗の許されない一度りの試みを前に月を見上げる。月はムスリムにとって特別だ。月に醜い行為を見せ神の恩寵を失うのは私か彼か――いや、その問いは無用だろう。彼は不殺の戒めに背いてうから神を裏切っていたのだ。そして私も。これまで数え切れないほどに。

 何度目になるか分からない懺悔を喉の奥で呟き、私は格子窓から手を離した。闇がっくり私の意識を侵食していった。




 自身の躯に帰還したとき、まだ日付は変わっていなかった。監獄の中で見たのと同じ月が今も頭上でしろい。寛恕を乞うように胸の前で手を結んでいるが、神にも、私が殺した者たちにも赦しを求めはしまい。いつか私にも罰が下される日が来るだろう。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る