第4話 ペナンの歴史


 二軒はしごした朝食を終えホテルへとまた歩いて戻った。街の人出は時につれようよう増すようだ。

 海沿いに眩い白亜の建造物が、私の宿泊しているホテルだ。シンガポールのラッフルズホテルと兄弟分に当たる、ペナン島で最も格式高いホテルなのだと聞く。開業は十九世紀末、香気の溢れんばかりの美しい姿は、大英帝国傘下でシンガポールに先んじ重要な役割を果たした中継貿易基地の栄華を今に伝える。

 ロビーを歩くと跫音あしおとがドーム状の天井に反響して夢のような響きとなる。外へ目を遣れば青基調のプールに陽光が惜しみなく降りそそぎ、その先青々と広がる海には殆ど動きを止めたように泛ぶ幾艘もの船。ふるい大砲が黒々と鈍い光を放って、海賊たちの標的であった在りし日を偲ばせる。


 マラッカ海峡に古来海賊の出没はさかんで、現代でも紅海ほどではないにせよ海賊行為は存在するらしい。今や国際社会の枠組みに於いて海賊と云えば問答無用で治安の敵だが、かつて海賊は国家の野望の走狗と云える側面があったし、そもそも海軍と海賊とは紙一重でもあった。

 インドから極東へと至るアジアへ植民地経営の触手を伸ばす欧州各国の商人や軍人政治家たちの性根も、十把一絡げで論ずべきでないのは無論ではあるが、飢えた豺狼と変わらぬ者も随分在ったようだ。

 英国東インド会社の巧みな奸計によりこの島がケダ王国から英国に割譲され、マラッカ海峡植民地経営の橋頭堡となったのは十八世紀末のこと。爾来、大英帝国の世界制覇行に欠かせぬマラッカ海峡の重要な港としてシンガポールと双璧を成し、しばしば軍事的な攻略目標ともなった。実は第二次世界大戦中、1941年り1945年に至る迄日本の占領下に置かれている。


 思惟おもえば此の島に多数の華僑が在ったことは、互いの不幸だった。尤も加害の側である日本軍が不幸と嘆くのは、害を被った側からすれば鼻持ちならぬ欺瞞と映るかも知れない。日本軍占領下のペナン島で、華僑はあやうい立場に立たされた。長く戦争状態にあった支那の手先と疑われ、処刑された華僑も少なくなかったと聞く。

 日清・日露戦争当時の逸話に垣間見られる大和の武士道の精華は、大正を経た後の昭和にはもはや枯れ錆びていたと断じられても仕方なかろう。


 武士のほこりを捨てたのではない。寧ろ矜持が行き過ぎたがため窯変し傲慢とっていびつな美意識を身のうちに育んでしまったのだろう。日本人だけで噛み締めるには惜しい、人類普遍の苦い教訓だ。


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