第2話 ホーカーズスクエアと食事の禁忌


 ポーリィさんは空いたばかりの卓子テーブルを見つけるとすかさず確保し、私をその場に残して屋台へ食事調達に向かった。留守番役の私は穏和おとなしく卓子に座って周囲を見廻した。華僑もマレー人も、それに印僑や稀に欧州系のかおをした人もいて客層はバラエティーに富んでいる。このような大きなフードコートはたいていハラルだ。

 ムスリムがハラルフードしか口に出来ないとは周知の通りだが、ムスリムと非ムスリムが混在するマレーシアではその区別は常に意識される。ノンハラルの店にはムスリムは決して入らない。

 これがインド人とマレー人との大きな違いだ。マレー人(ムスリム)は豚肉を食べないだけでなく、豚肉が供される店で食事をとることも出来ない。一方インド人は、自身は牛肉を食さないが、牛肉が供される店に入ることは可能だ。(しかながらインド人と会食するのにステーキハウスを択ぶのは賢明でないだろうとは思う)


 ちなみに中国人と云えば食事に禁忌はないと広く思われ、「四本足のものなら机と椅子以外は何でも食べる」とは人口に膾炙した戯談じょうだんだが、実は一部の華僑は牛肉食を忌避する。観音信仰に根ざした禁忌で、観音様の父親が牛に転生したと信じられている為らしい。なお、同様の禁忌はお隣のタイにも見られる。


 うなると複数民族が揃って食事するならば最も無難なのは鶏肉である。

 おかげで毎日大量に屠殺される鶏としては堪ったものではないかも知れぬ。とは云えものは考えようで、鶏肉にしろ鶏卵にしろ人間の食用として未曾有の大繁殖を遂げた鶏は、種の保存・発展としては人と共存共栄の道を歩んでいるとも云えよう。それは米や小麦を始めとする食用植物たちが人間の食用として各地に伝播し大地を席捲しているのと同列だろう。

 無論これとて人間中心の都合のよい発想で、一羽々々の鶏にしてみれば食用に屠られる定めに生れ落ち、狭い籠に幼年から青春期を過ごした挙句の果てに突然生を断たれるのだ。あかときの鶏鳴は無念かたない彼らの叫びなのかも知れぬ。心して食さねばなるまい。

 一方イスラム世界で食用の難をまぬかれた豚たちは、し豚の頭数を表す世界地図があったとすればイスラム圏にぽっかり穴のあいた図になるだろうが、果たしてそれが不幸せかどうか――いや、止そう。これら餘りに人間臭い考えは彼らに無用のものだ。


 詮無いことを考えているうちポーリィさんが皿を両腕に抱えて戻ってきた。

 焼鳥風の串はサテー。ナッツやココナツの入った甘いタレをつける。鶏肉は端にコゲが入るほどカリカリの焼き上がり。

 蒸し鶏と米飯のセットは一名を海南鶏飯、だが今回は香辛料の薫るマレー風味なので、ナシアヤムと呼ぶのが相応しい(マレー語でナシは米、アヤムは鶏)。皿についてきた赤いタレを米飯にかけ、ひと口サイズにカットされている鶏肉と混ぜ合わせて食べる。蒸された鶏肉はジューシーだ。

 やはり此の国に於いて鶏肉で外れることはない。


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