恋のはじまりは冥府の番人と共に

紫月音湖*竜騎士さま~コミカライズ配信中

家出娘は恋に落ちる

 こんなはずじゃなかったと、薄暗い森の中に蹲って鼻をすすった。お気に入りの白いワンピースは泥だらけ。ぴかぴかに磨いた赤い靴はぬかるみにどっぷり浸かっており、足首までずぶずぶと地面に沈み込んでいる。ガサガサと木の葉を揺らして飛んでいく姿の見えない何かに怯えて、リュティスの小さな肩がびくんと震えた。


「っ、……こ、怖くなんかないもん」


 父親からもらった魔道士の杖をぎゅっと握りしめて、リュティスはジメジメとした森の中を進んでいく。ここがどこだかわからなかったけれど、リュティスに戻るという選択肢は残されていない。

 覚えたばかりの転送魔法で、逃げるように城を出てきたのだ。引き止めようとした皆の前で、しっかりと「家出宣言」までして飛び出した手前、すごすごと城に戻るわけにはいかない。それにあの城に、自分の居場所があるとは思えなかった。


「お城にはセイリウスがいるし、私なんか……きっと誰も探さない」


 リュティスの五つ下の弟は、まだ産まれて一年しか経っていない。赤ん坊の頃から体が弱く、母親は弟に付きっきりだ。父親の跡を継いでゆくゆくは王となる立場なのだから、皆がセイリウスを大切にしていることも頭では理解できていた。

 けれどもいくら元気な彼女でも、まだ六つ。笑顔の裏でひっそりと溜まっていった不満はついに爆発し、ひどい癇癪を起こして着の身着のまま城を飛び出してきたのだった。


 転送魔法がリュティスを連れてきた場所は、見覚えもない暗く湿った森の中。飛び出した時はまだ昼前だったのに、この森は夜が落ちたように真っ暗だ。それに何か腐ったような嫌なにおいがする。


「とりあえず、灯り……つけなくちゃ」


 杖の先端に付いた水晶に光を灯す呪文は初級で、魔法の勉強では一番に習うものだ。勉強嫌いのリュティスも当然覚えているはずの初級魔法。その呪文が……。


「えぇと、確か……星屑を纏いし、光の精霊。出でよ、冥府の番人エイムヴァーンコルトギャッツスーベラス。腐肉と罪を背負いて世界の光を喰らい尽くせ!」


 悲しいかな。最近読んだ『冥府の番人エイムヴァーンコルトギャッツスーベラス』という童話に出てきた、闇の呪文と混ざり合ってしまった。


 ――ぼふんっ!

 リュティスの杖の先で、黒い煙が弾け飛んだ。もくもくと渦を巻く煙の中から、木の枝を擦り合わせたような乾いた音が響いてくる。カタカタ……と、響き合うのは木の枝に似た、細く長い白骨化した指だ。それが蜘蛛の足のように不気味に動いて煙を掻き分け、リュティスの目の前にぬぅんとその全貌を現した。


「オォォ……ッフゥァ、ヤミ、ヒカリ……ゼンブ、クラ……ウ」


 黒いぼろぼろのマントを羽織ったそれ。巨石と見紛うほどの頭蓋骨に、先ほどの細長い骨の腕がぶらぶらと揺れている。眼球のない黒い眼窩がこちらを見た瞬間、冥府の番人エイムヴァーンコルトギャッツスーベラスがニタリと笑った。かと思うと、リュティスの視界いっぱいにエイムヴァーン(以下省略)の大きく開いた口が迫る。


「ぎゃーーーー!!」


 間一髪というか、驚きすぎて尻餅をついた。ぬかるんだ地面にずべしゃぁっと座り込んだリュティスの頭上を、巨大な頭蓋骨を持つエイム……なんとかが、歯をカタカタ鳴らしながら通り過ぎていく。


「な、なんっ、……灯りじゃなかったぁー!」


 暗闇の向こうで、リュティスを食べ損ねた頭蓋骨がくるぅりとこちらを振り返る。目玉なんてないはずなのに、目が合ったような気がしてリュティスの全身に鳥肌がぶわぁっと広がった。


「やだ、やだやだ。私が喚んだのは火の玉だもん……。お前なんかじゃない! 消えろっ、消えろ!」

「オヤ、ツ……コドモノ、ニク……ヤワラカイ」

「ひぃー! リュティス子供じゃないもんっ。立派に家出して、これから冒険者として人肌捧げるんだからー!」


 今度こそ火の玉を喚ぼうとして振りかぶった杖が、骸骨の指先にあたって遠くに飛ばされる。そのまま長い指に体を掴まれて、リュティスは巨大な頭蓋骨の真上に持ち上げられてしまった。ぶらぶらと揺れる足元で、エイム……ラスの大口ががぱぁっと開く。


「ぎゃーっ! いやっ、ヤダヤダ! 離してっ。リュティスなんか食べてもおいしくないからぁ! 離せぇー! あぁーん、離して下さいごめんなさい! うわぁぁぁぁん!」

「ニク、イタダキ……マス」

「やぁぁぁぁだぁぁぁぁ!!」


 暗く湿った森の中。エイ……それの放つ腐った闇よりも濃い漆黒の魔力が、リュティスの真横をすり抜けていった。かと思うとぐいっと体を乱暴に引き寄せられる。


「こ……っの、おてんば姫が! 骸骨相手に人肌捧げてどうするんだよっ!」


 恐ろしい闇しかない視界の中、黒に紛れて細い月色の髪が流れ込む。一瞬だけ重なり合った瑠璃色の瞳に名を呼ぼうとした瞬間、リュティスの足元で大きな爆発音が響き渡った。



 ***



「それで? 啖呵切って出てった挙げ句、自分が喚び出した魔物に喰われそうになってぎゃぁぎゃぁ泣いて喚いて……結局何がしたかったんだよ」

「……ライリ」


 さっきとは打って変わって、晴れやかな青空の下。ライリと名を呼んだエルフの青年に抱えられたまま、リュティスは石のように固まっていた。

 月色の髪をした美しい青年は、リュティスと彼女の母を守る護衛官だ。口は悪いし無愛想で怖いのだが、エルフのくせに扱う黒魔法は最強で最凶。現に骸骨を木っ端微塵にした魔力は、そのまま森の半分も吹き飛ばしている。


「リュティス、家出したもん……」

「魔物の一匹も倒せないのに家出なんて笑える。野垂れ死にするなら、僕に分からない所でやってよね」

「ライリが勝手に来るから悪い」


 左腕に抱えられたまま、リュティスがぷいっと顔を背けた。それでもしがみ付く小さな手はかすかに震えていて、それに気付かないふりをしてライリが小さく溜息を吐く。


「だったら僕に分からない所までいけるよう、転送魔法で飛んでくれる?」

「そんなの無理に決まってる。どこに逃げてもライリは見つけるもん」

「じゃぁ、家出はおしまい。さっさと帰るよ、面倒臭い」

「やだ」


 即答して、リュティスがライリの首筋に顔を埋めた。ふわりと、彼女の癖のある栗色の髪がライリの頬をくすぐっていく。触れ合う肌が熱いのは子供特有の体温の高さなのか、それとも泣いているのか……答えは両方。ライリが何か言う前に、ぐすぐすと鼻をすする音がする。


「お城にはセイリウスがいればいいんでしょ。リュティスがいなくたって……みんな平気なんだから」

「それ、ユリシス父親レフィス母親の顔見ても、同じこと言えたら褒めてあげるよ」

「……え?」

「仕事ほっぽり出したユリシスは動揺しすぎて階段から転がり落ちるし、レフィスはセイリウス抱えたまま城を飛び出していきそうだし、結構大変なんだよ、いま。だから一旦帰るよ」


 ぽんっと、慣れない手つきでリュティスの背中を軽く叩いてやる。それでも小さな体には充分なあたたかさだったようで、暫くすると瞳に涙を溜めたままリュティスがライリを覗き込んできた。


「……いっぱい、怒られるかな」

「覚悟しといた方がいいかもね。これに懲りたら、もう家出なんかしないでくれる? ホント探すの面倒臭いから」

「うぅ……」


 相変わらず、この護衛官は言葉が辛辣だ。だけどそこに嘘がないから、リュティスも真面目に耳を傾けられる。……のだが。


「それにどこに逃げても一緒だから。僕から逃げようなんて百年早いよ」


 この言葉だけは、ちょっとだけ意味を間違えて受け止めてしまった。


「ふぁん!?」

「何、その変な声」

「ライリ……私がどこに逃げても捕まえに来る?」

「そうだね。仕方ないけどそれが仕事だし」

「危険になったら、さっきみたいに助けてくれる?」

「まぁ……仕事だし? って言うか、何なのさ。一体」


 不可解に眉を顰めるライリの瑠璃色の瞳の中で、リュティスが恥じらうように頬を染める。


「ライリ……もしかして、リュティスの王子様なの?」

「ぶっ!」

「どこにいても飛んできて守ってくれる……。ライリは、私だけの王子様ヒーローなのね!」

「うわっ、ホントやめて。その勘違いウザい」

「イヤよイヤよも好きのうち、なんでしょ?」

「そんなセリフ、どこで覚えたのさ!」

「この前読んだ童話『冥府の番人エイムヴァーンコルトギャッツスーベラス』に出てた。好きな人に迫る時の口説き文句!」

「それもう童話じゃないよね! 今後一切読むの禁止!」

「いやーん、ライリったら独占欲が強いんだからぁー」


 毒舌エルフの護衛官ライリ。彼に対する、小さな姫君リュティスの恋の猛攻撃はここから始まる。


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