アバンチュール

空草 うつを

私だけのヒーロー

「知ってるか? 世界は窓の枠より広いんだぜ」


 彼の言葉が本当なら、是非この目で見てみたい。この世界から私が消えてなくなる前に、彼が美しいといった水平線から昇る朝日をこの目で。


 塔の上に囚われたお姫様のお話を知ってる?

 絵本で見た時、彼女は私だと思ったの。私も同じ、大きな家の二階の、小さな部屋に閉じ込められていたから。外の世界を夢見る彼女に共感して、家の人の目を盗んで外に出てみた。


 そこで出会ったの、私の王子様に。

 彼は教えてくれた。裸足で踏んだ草原の柔らかさも、お日様の眩しさも、風の優しさも川のせせらぎも全部。

 だからもっと教えてほしかったの。世界の果てはどうなっているのか。



 皆が寝静まった真夜中。窓を三回叩く音が合図。

 待ち侘びていた音に、嬉しくて急いで窓を開けたわ。


「お迎えにあがりました。囚われのお姫様」


 塔の上にいたお姫様のお相手も素敵な人だったけど、私を迎えに来た王子様だってとってもカッコいいの。

 シルバーグレーの短髪、細い眉に三白眼、唇にリングピアス、左の手首には蛇のタトゥーをしていたわ。


 ちょっと怖いって思った? でもそれは見た目だけ。ヒーローは素顔を明かさないのは鉄則でしょ?

 彼の素顔は、とってもとっても、優しい人。

 窓の枠の中だけが全てだと思っていた私に世界は広いってことを教えてくれた、モノクロだった私の世界を鮮やかに彩ってくれた。


 それに、世界を見せてほしいという姫のわがままを聞いてくれる、優しい優しい王子様なのよ。


 月が雲に隠れたのを見計らってバルコニーにかけた梯子から地面に降りた。彼の大きな手に引かれて、白馬のもとへ。いえ、草むらに隠れていたのは白馬じゃなくて、真っ赤なハーレーダビッドソンだったけれど。


「最後にもう一回聞くけど、ほんとにいーの?」


 王冠の代わりにヘルメットを私に被せながら、確認をしてきた。でも私の決意は変わらない。監獄には戻らないと、戻りたくないと懇願すると、彼は苦笑していた。


「悪いお姫様だ」


 ふわりと唇に降ってきたキスは、私の初めてのキスは温かくて。でもピアスの所だけはちょっと冷たかった。


「しっかり捕まってろよ」


 彼の腰に腕を回して、しっかりと抱き締める。ライダースジャケットの上からでも感じるのは、人の体温。そうか、人は温かいんだって私はこの時初めて知った。


 疾走中は夜風を全身で浴びて、流れゆく景色を視覚で楽しんで、ハーレーのエンジンが唸る音や自然の音を耳で聞いて、彼から香る少しきつめの香水をかいで、そして、時々立ち止まって彼のキスの味を堪能するの。


 水平線から昇る朝日を見たことがある?

 夜を引きずる紫色の空が少しずつ金色の光に侵食されていくの。空を飛び交う海鳥達も、船乗り達の航海を見守る灯台も、全てを金色に染めていく。

 音も立てず、ゆっくりゆっくり水平線の向こうから朝日が顔を覗かせたら、神々しい光に目を奪われる。

 顔を見せたら、それはそれはあっという間。世界に朝が来たことを知らせる為に、空高く昇りつめていく。


 美しい、それ以上の言葉なんて思いつかなかった。どんな言葉で飾りつけても嘘っぽく聞こえてしまう程に、本当に美しくて。思わず溢れた涙を、彼の親指が拭ってくれた。


 朝日に照らされた彼の笑顔に、私はぽろぽろと涙をこぼしてしまった。そうしたら彼は困った顔をして何度も何度も涙を拭いてくれた。


 泣いたとしても、もう私はひとりじゃないって知った。

 それに、もうひとつ。とってもとっても大切なことを知ったわ。人を愛して人に愛される喜びを。


 最後の涙を拭ってから、ハーレーに乗って海岸線沿いを走ったの。彼にしがみついて、優しい体温に縋るように顔を埋めてみる。


 他人はこれを危険な火遊びアバンチュールと言うでしょう。

 一時の過ちだったとしてもかまわない。またあの監獄に連れ戻されたとしても。

 彼への愛を胸に、彼がくれた優しいキスをなぞれば、ほら胸の奥からじんわりと温かさが蘇る。例え再び孤独になっても平気だと思えたわ。


 でも今は、今だけは。私の王子様と一緒に知らない世界へ冒険アバンチュールをしていたい。彼とならば、水平線の向こうにあるという世界の果ての、その先までも行けそうな気がするの。



(完)

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アバンチュール 空草 うつを @u-hachi-e2

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