第9話 続・懐古襲来

 実に小恥ずかしい昼飯を食い終わり、さて仕事に戻りもうすぐ定時(まやかし)になろうとしている時、

「武田大尉、来客であります。」とガリョウが呼び出しに来た。

「嗚呼、了解。」そういって立ち上がると直ぐにガリョウがこう小声で耳打ちしてきた。


「ハルさん、でしたよ。」


一瞬桜花の動きがフリーズした。


有り得ない、と心の中でグルグル困惑が渦巻く。

将に黒歴史疼く。

(最近思い出したくないことばっか思い出されることが多くなったなあ。)

 と心の中でぼやくも只座して待つのは愚策の極み、ということで勇気を出して会うことにした。小声でガリョウに訊く。

「で、何処にいる?」

「外交官や駐在武官でない外人さんなので門前で待ってもらっています。」

「そうか。じゃあ中に入れよう。間諜の恐れなし、ということで人気のない北側の空き部屋にお通ししろ。移動経路は人が少ない経路で。あとこの件は内密に。責任は俺がとる。」

「ハッ」

 直ぐにガリョウは駆け出した。多分ガリョウなら人に見つからずに誘導できるだろう。それぐらい優秀な下士官だ。

 そういって桜花は眼前のあと少しで終わる仕事を終わらせた。

「ちょっと席を外す。来客だ。」「了解。」と青藍に声をかけて客人を待たせているであろう部屋へと急いだ。



*     *     *



「桜花さん、中にいらっしゃいますのでどうぞ。」「有り難う。」

そう言ってガチャリとドアノブを回して中に入ると、確かにハルさんであった。

「お久しぶりです、武田少尉。」

 何だろう、初めて日本語に母国語並みに精通している外国人を見た気がする。外交官でも此処まで言い淀み無く言えるのは希少生物並みだ。

「どうされましたか?」と時折犬が見せる様な首の傾げ方をする。

「そういえばイッヌって時々こんな首の傾げたをするね。」

 これを言ったのが失敗のもとである。

「そういう桜花さんは眼が猫みたいですね。」「…はあっ⁈」

「ヌコ、にゃあ。」

 そう言いながら手を丸めて耳の横で猫の手の真似をしている。

「…?」

「イッヌ、ワンワン!」

 舌を出して忠犬の如くハフハフしてやがる。

 何故日本語習得初期状態のふりをしているのだろうか?

「逆立ち!」

「えっ…⁈」

 何か自分もやらなきゃいけないような気がしてきたのは何故か?

 そして気が付いたら、上着がずり落ちないように片手で上着を抑え、もう一方の片手で逆立ちする何処にも需要のない情けないアラサー海軍士官の爆誕である。

 ちさたきは需要が滅茶苦茶あるだろうに。

 何かデジャウ…

流石に三十秒ほどでしんどくなり、逆立ち状態を解除すると、

「ハダカジメェー!」

 と言って抱き着いてきた。またまたデジャウ。

「ちょっと離れてくださいッ!」

 すると直ぐに離れてくれた。あの居候もこれぐらい聞き分けがよかったらなあ。

「ごめんなさいね。では改めまして。」

 そう言って深々と頭を下げた。

「お久しぶりです、武田少尉。ハル・ウルタです。マルタではお世話になりました。」と丁寧に挨拶をした。

「どうも、大日本帝国海軍軍務局所属武田桜花海軍大尉です。まあ、今更ですが椅子にどうぞ。」

「有り難うございます。」そう言ってハルは椅子に腰かけた。

「で、日本には何用でいらっしゃられましたか?」

 できたら過去には触れてほしくないと願いつつ、慎重に言葉を選んで話そうと決めた。

「移住しに来ました。もう日本国籍も取りました、町田小春という名前でね。」

「ほぉ、これまた珍しいですね。理由をお伺いしても?」

「まず、日本でレストランを開きたいと思いまして。まだ生活の基盤すら成立して居ないのですがね。」と片目をつぶって舌を出す。これが俗にいうウインクなるものであるのか、とどこか冷めたような感心したような目線を桜花は向ける。

「あと結婚する為です。」

 確かに幸せそうな顔である。



*      *     *



 幸せそうな顔を見ると、幸せそうな声を聴くと、涙が出そうになる。

 決して僻んでいるわけではない。これらを護れそうにない自分に対して無性に悔しくなる。確かにこの世界の破滅の片鱗は欧州大戦で嫌というほど見てきた。本当に人類を絶滅させられそうな機関銃、魚雷、毒ガス、航空機、戦車といった兵器の数々。ほとんど変化のない戦線を守ろうと互いに資源、人間、時間、金を浪費し続ける耐久戦。それで欠乏する物資、労働力。無差別に軍人だろうが民間人だろうか平気で巻き込んでしまう戦場。一度始まると終わらない殺戮、阿鼻叫喚、憎しみの連鎖。

 今までの全ての戦争とも違う、勝者も敗者も実質的に違わない暴力。それで粉砕される皆の倖せ。

 それらを知らなかったらどれほど楽だったのだろうか、倖せだったのだろうか。

 だがそれを知ったからには、その終末的破壊を回避してすべての倖せをを護る義務が在る。

 今まで何だ、辛い、死にたい、なんてたわけた事ばっかり抜かして切腹もできんとのうのう此処迄生きてきたが、もうそれはやめだ。

 何故なら、こうも目の前にある倖せをのうのうと暴力的に奪われなるものか。

 その結果死ぬならそれが本望だろ。死を履き違えるな。

 倖せそうじゃないか皆、青藍もその一家も、ガリョウも、アリアもハルも。

 ならそれを護らない義理は無いだろ。



*      *     *



 もう何度この決心をして其の度に心が何度ボキボキ折られたことか。当の本人はンなことは忘れてしまっているが。

「おめでとうございます。」

 めでたいことなので当然頭を下げる。が、

「何をおっしゃるのですか。」とクスクス笑われてしまった。

「どういうことで?」

 何のことか分からずに条件反射的に訊き返してしまった。

「それではちゃんと申し上げます。私はー」


 数分後、挙動不審な桜花と満面の笑みを浮かべたハルが部屋から出てきた。

 ガリョウは桜花に耳打ちする。

「省内でお座敷遊びはご遠慮願いたい。」「しとらんがなっっ⁉」

 ガリョウが予め廻していた車に乗って海軍省を出た時には、夕日が丁度富士のところにかかっていて、美しく照り映えていた。

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どうしてこうなった⁈ 考えたい @kangaetai

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