第8話 懐古襲来

嵐の如き午前が終わり、やっとのことで束の間の桃源郷(?)、昼休憩がやってきた。

「んんーっ」と背伸びしていつも通り柴田を昼飯に誘おうとしたら、「武田大尉」と玄関受付の下士官である加賀良太(渾名はガリョウ)軍曹(23)が何かを抱えてやってきた。

「武田大尉にこれを渡すように仰せ仕りまして持ってきた次第であります。」といって頭を下げるのと同時に風呂敷に包まれた少々小ぶりの箱をさっと桜花の前に出す。

「おう、有り難うな。それともう休み時間だ。ガリョウ、敬語は別にいいぜ。」

桜花は箱を受け取った。「それにしても何だこれ?そんなに重たくないし。誰から受け取った?」

 そう言って桜花は机の上を埋めている大量の書類を退かしてその箱を置き、早速開けてみる。

「外国人みたいな彫りの深い顔立ちのお嬢様でしたよ、中々な美少女で。でもどこかで会ったような気が……」

一瞬桜花の背中に冷や汗が流れる。

「ガリョウ、柴田、今日は飯に付き合え。」

 柴田はニマニマしながら、ガリョウは首をかしげて桜花についてきた。



*     *    *



 海軍省の食堂の隅っこにて、傍から見れば実に珍妙な面面がひっそりと集まっていた。

 一人はアラサーのおっさん士官、もう一人は新人士官、最後の一人は現場からのたたき上げの下士官一人。

「ほうほうほう、お弁当ですか。」

 渡された風呂敷に包まれていたのはお弁当である。見た目は普通だ。

 恐る恐る箸をつけて注意深く口に弁当の中身を入れる。

「普通に美味い。」

 桜花がそういうと残りの二人も弁当箱の中身をつつき出した。

「あっ、確かに。」「そうっすね。」

 尤も、桜花とガリョウの舌は信用成らない。そこで柴田のお墨付きを以てして美味い弁当認定をなされる。

 結果、「店で一円払ってもいい価値がある。」という認定を受けた。めでたしめでたし。

「で、ガリョウ、改めて聞くが、これは誰から受け取った?」

「銀髪の西洋風の美少女でしたよ。欧州に派遣されたとき現地でよく見たような感じの子でした。それにしても西洋風の顔の見過ぎという訳ではなくて、何かどこかで会ったことがあるような気がするのですが。」

(絶対あの居候以外あり得ない。あの小娘、小癪な真似を。)と桜花が少々苛立っている横で、柴田は桜花とはまた別の点で引っかかっていた。

「先輩、もしかして昔、第二特務艦隊に?」

 一瞬、心臓が一気に激しく鼓動を波打ち、桜花の脳裏に走馬灯のようなものが過ぎる。

「うっ…」思わず心臓のあたりを手で押さえ、呼吸が乱れる。

 彼の頭の中で渦巻く現の地獄。そして桜花が最も恐れるもの。

「先輩、大丈夫ですか?」柴田とガリョウが心配そうに桜花の顔を覗き込む。

「すみません、配慮が足りませんでした!」とガリョウが頭を下げるが、「大丈夫だ。未だにトラウマを克服できない俺が悪い。」と言って宥める。

 そして机の上にある水を飲んで漸く一息吐けた。

「すみません先輩、地雷を踏んでしまって。」「いやいや、これは言ってない俺が悪い。」「実は前々から薄々感じ取っていました。この人は本当の絶望的な戦いを知っているって。だから何となく第一次大戦中に欧州に派遣された第二特務艦隊に所属していたのじゃないかなって。」

 また桜花は水を一口飲んでこう語りだした。

「ビンゴだ、青藍。」ここではそれ以上桜花は語らなかった。


  *     *      *


 ―同日早朝、大日本帝国海軍横須賀鎮守府第三歩哨詰所―

「あの、すいません。」と声をかけられた門番の水兵は声の主に目を向けると欧米人の女性が居たが、見間違いかと思った。何故なら昨年日英同盟協約が失効するまでよく英国の駐在武官が見学に来たが、目の前にいる彼女の日本語はその駐在武官より日本語が流暢であった。てか日本人と変わらない。

 そして途轍もない美人であり、その水兵は思わず鼻の下がユルッユルなのは言わずもがな。

「オウカ・タケダという士官をご存じないかしら?」

 何故かこの水兵は失望した。それでも知らないうちに電話に手を伸ばし、気が付いた時には仮庁舎へ繋がる電話をかけていた。

 ―同時刻、横須賀鎮守府仮庁舎―

「はいこちら基地警備隊本部。」「こちら第三歩哨。只今来客が一名、武田桜花という士官との面会をご希望のようです。」「面会をご希望の方はどのような方ですか?」「欧米人の美女です。」


「―は?―」


「だから、欧米人の美女です。」

 電話を取った下士官は頭を抱えた。

「お前それハニトラじゃねえの⁈」「いやいやいや、誰もが引っ掛かりますから。だから一周回ってハニトラ不成立ですよ。」「何言ってんだオメエ、じゃあ連れて来いよ。」「わかりました。」

 このホイホイさ、大丈夫か帝国海軍。

 そしてこの下士官は、席を外して、武田桜花、という士官を探しに行った。


  *     *      *


「武田桜花?知らねえな。」

「武田桜花?知らないね。」

「武田桜花?どっかで聞いたことあるが覚えてないねえ。」

とまあ、こんな調子でずっとビンゴが出ない。だが、噂の欧米美女をお目見えできると思ったら俄然やる気が出てくる。そうして鎮守府内を右往左往しているうちに一時間近く経過してしまった。

そしてとうとうアタリが出た。

「武田桜花?海兵じゃ同期だったが地味に毎回成績上位に食い込んでいる訳の分からん紀州犬だな。今は海軍省軍務局勤務だった筈だ。」「マジすか。」

 武田大尉を回顧して語る士官の名は高田俐大尉である。現在第二艦隊第二水雷戦隊所属駆逐艦峯風砲術長を務めて居る。海兵のハンモックナンバーは59である。

「で、武田に用がある外人さんが来たから本省の方に取りなして欲しいと。」「左様で御座います。」

 はあーっと大きくため息をついて高田大尉はこう言った。「手前ら脳味噌下半身に支配されてんじゃねえぞ。」

 高田大尉の意見は尤もである。美人さんの色仕掛けで情報ホイホイになったら将に国家存亡の危機。傾国とはよく言ったものである。

「俺は取りなさないぞ。帰った帰った。本来の任務にいそしみ給え。」「ハッ」

 ―同時刻、海軍省軍務局―

「武田大尉、横須賀鎮守府からお電話です。」と電話室の下士官が呼びに来た。

「すまん、ちょっと行ってくる。」

 そう言って電話室に急ぎ足で向かった。

『よお、久々だなあ紀州犬。』

 電話から聞こえてきたのは、懐かしい海兵時代からの旧友、高田大尉の声であった。

「お前から電話来るなんてどういう風の吹き回しかい?」

『実はな、お前に来客が来てな。』

「ほう、珍しい。」

『人の話は最後まで聞け。そのやってきた人というのは何と西洋人の娘らしくて、お前のことを知っていたそうだ。』

「…………は?」

『要はハニトラに用心しろ、ってことを言いたかっただけだ。じゃあな。』

「あっ、ちょっと!」

 電話からツーツー不通音が断続して流れてくる。その音が耳の中で増幅するのと同時にあの記憶が、甦ってくる。

(向こうで知り合った女性は、アイツだけだ。)

 といっても感傷に浸る時間が十分にあるわけではないのでさっさと気を取り直して仕事に戻った。

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