第7話 お嬢様は首席、俺は海兵ハンモックナンバー………言いたく無い……
「そういやお前、これからどうするんだ?」
「これから、とは?それとお前呼びをやめて欲しいのですが。」
アリアは栗鼠のように頬を膨らませてそっぽを向く。
妹みたいで可愛いと思いつつもこう言う。
「わかったよ、アリア。」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ⁈」
アリアは畳の上で倒れたまま左右にゴロゴロし出した。
「その、学校とかに通うのか、ということなんだが。」
「ああ、学校ですね。以前京都の本家に住んでいたときは京都市立第一高等女学校という所に通っておりました。今度ここに住むことになりましたので、東京府立第二高等女学校に転校することになっています。」
「いつからだ?」
「来週月曜日からです。」
「そうか。」
よく見れば、部屋のひと区画を借りて山積している荷物の中に、教科書やノートの類も積まれている。
「さて、もう遅いから寝るか。」
「そうしましょう。」
桜花は押し入れから自分の布団と来客用布団を取り出してそれらを畳の上に敷いた。
無論、二つの布団の距離を六七十サンチ開けたのはアリアに対する配慮であった。だがしかし、
「やっぱり、桜花さんのすぐ隣がいいな。」
と、すぐに布団と布団とをくっつける。
「あの、開けてもらっていいですか、隙間。」
アリアは意に介さぬ様子でそのまま布団に潜り込んだ。
壁際にくっつけて自分の布団を敷いた配慮が仇となった格好だ。
仕方がないので桜花も不承不承布団に入った。
「ところで桜花さん。」
不意にアリアが話しかけてきた。
「私、これでも前の学校で首席だったのですよ。」
「マジかよ……」
普通に絶句した。が、やはり頭良い奴は変な奴が多いと再び確信した。
「桜花さんはどうです?」
「どうですって、何が?」
「中学や海兵での成績。」
暫く間を置いて口を動かす。
「和歌山中学校に通ってた時は次席、海兵のハンモックナンバーは………言いたく無い。」
「そうですか。」
ふとアリアに顔を向けると、もう既に涎垂らして寝息を立てて寝ていた。
* * *
全くもってこんな状況で桜花は眠れる術を持ち合わせていなかった。そうである、緊張しているのだ。
そもそも自分の横で近縁以外の異性が寝ているこの状況が飲み込めない。
そこで桜花は記憶を利用して現実逃避をしようとする。
「桜花、お前は中学へ行け。」
高等小学校一年の夏のことである。突然親父が突拍子のないことを言い出した。
「えっ⁈親父、何言ってるの⁈家にそんなお金はないでしょ?」
「言葉遣いに気を付けなさい。まあ、お金は気にするな。工面できるアテがある。」
「タダでさえウチはもう蔦雄に紅葉に楓、更に母ちゃんのお腹の中にはお医者様曰く双子ときた。これからえげつねぇ出費が待ってるのに工面ごときで何とかなるのか?」
すると親父は不敵な笑みを浮かべて、ドサドサッと抱えていた本を桜花の目の前に置いた。
「ゴロゴロしとる暇があったらさっさとこれを読んで和歌山中学校に受かれ‼︎」
そして桜花は渋々その参考書たちを解き始めた。
こうなった親父は誰が言っても止められないからだ。
ところが桜花の回想はひょんなことで中断される。
「おうかしゃん、ふへへへへ。」
あろう事がアリアが寝呆けたまま桜花の方に転がってきてそのまま抱きしめてしまった。
「だいちゅき、もうはなしゃなゃいにゃ。」
桜花の冷静さゲージは一気に半分になった。
(ナニコレカワイスギンダロ、ッテオレハナンテコトヲカンガエテイルンダ⁈)
そうこうしているうちに、理性は呆気なくメルトダウン。まさに水素爆発寸前、原子力建屋もぶっ飛びそうで吉田所長も茫然自失。
(ヤワラカイ、イイニオイスル、アッタカイ。アッ、ハナヨ、テフテフヨ、カクリマヘリ。)
何とかベントには成功した模様。ところがどっこい、コレを廃炉にするわけにはいかない。そうなったら物語が続かないので。
てな訳でチェルノブイリの如く桜花再稼働。
ちゃんと理性という名の燃料棒はサラッサラの新品に入れ替え。しっかりと冷却水も原子炉に通して頑張ります。
* * *
翌朝、いつも通りの睡眠不足でのっそりと布団から起き上がるのも一苦労、かと思いきや今日は別の意味で一苦労する羽目になった。
アリアが思っきし桜花のことを抱きしめているのだ。
そして意外にも力が強い。ちょっとやそっとじゃあびくともしない。
されど桜花とて海軍軍人。少し力の利かせ方を工夫してするりとアリアの包囲網から抜け出す。
今日は金曜日、即ち平日。なのでさっさと軍服に着替えて海軍省にスタコラサッサと逃げるように出勤する。
ただ今の時刻は午前七時少し前。なので桜花以外に出勤している課員はいない。
取り敢えず昨日の残りの仕事を片付けないと今日の仕事の首が回らない。
ところがどっこい、昨日桜花と同じ目に遭った柴田少尉ときたら未だに出勤せず。
本来新人は仕事も遅く、上官よりも早く出勤して遅くまで部局に残るものだが彼については別枠である。何故ならコイツは吃驚するほど仕事の呑み込みも早く着任二三か月で一般の課員と変わらない水準で仕事をこなすバケモノだからだ。
伊達に海兵主席は違うなあ。
そういうわけで、彼の出勤が遅くても退勤が早くても、教育係としても一課員としても気にする必要がない。
自慢ではないが桜花自身も言って純粋な処理スピードは柴田ほどではなくても課内二番手である。
では何故彼は朝早く出勤して夜遅くに退勤するのだろうか。
実は通常業務に関しては八時間勤務のうち(昼休憩抜き)六時間程度で終わらせられる。(殆どの課員は残業をして桜花の六時間と同等量を残業して仕上げる。其れでも随分無茶な仕事量と効率を要求されるが。柴田の場合は通常の仕事が四時間で片が付くので柴田は一日で二日分こなす。やっぱ此奴バケモノだわ。)
そして浮いた時間プラス残業時間で建議書を書き続けてきた。
建議書を書く時、桜花の脳裏には嘗て見た欧州での戦争の記憶が生々しく残っており、其れが二度と起こらないようにしたいと切実に願っている。
まさに心が戦場に取り残された男、それが現在の武田桜花海軍大尉なのである。
「誰も悲しまない世界を作りたい。」という青臭い理想を一ミリでも現実にしようとしている彼は、正に字面通りの血反吐を吐くような努力を行う、人の事を思う本物の武人である。
「おっはようございまーすっ!」そうとても元気な声で挨拶をするのはなんやかんや言ってかわいい部下である柴田少尉だ。
「おはよう。」そう簡単に桜花は挨拶を返して仕事の続きをし始める。
「あれ?」「?」そうして柴田少尉は桜花に顔を近づけて鼻を犬の如くクンクンと利かせた。そしてひとしきり匂いをかぎ終わったかと思えば、こんなことを言い出した。
「おや、珍しい。武田大尉から女のにおいがする。」
「!!!!!!!!!!!!!?」
自分でも茹で蛸のように顔が真っ赤になるのが分かった。
「あっ、図星ですね。」と柴田少尉は目を横に細めてにんまりとした粘着質な笑顔で桜花を見つめてくる。
「春ですね。」
やっぱコイツ殴っていいすかね。
その後柴田少尉のしょうもない安い挑発に乗ってしまった桜花は「待てー、柴田、コラァ!」「武田大尉殿ォ~、ここまでおいで~お尻ぺんぺんアッカンべ~」と不毛な追跡劇に乗ってしまい、海軍省の建物を他の武官たちの眼を気にせず右往左往柴田を追いかける羽目となった。
やはり睡眠不足の身体のアラサーと睡眠バッチシな二十歳じゃあ追っかけっこは勝負にならない。
何とか柴田をひっ捕まえた頃にはもう既に各部局で朝礼が始まっており、その後桜花と柴田の二人で仲良く始末書を頂戴し、其れを書くだけで午前の時間全てを費やした。
いつも通り、柴田を海軍司法警察に突き出すことはしなかった。
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