2.馳せる

 美しいと思ったのは一瞬で、ていは女性に恐怖を覚えた。あまりにも綺麗すぎるのだ。顔貌が作り物のように端正で、陶器のような肌、切長の目から覗く瞳は黒曜石のように澄み切っていたからかもしれない。


 女性はいにしえの衣装を纏っていた。

 長い黒髪を後ろで束ね、腰回りまで覆うきぬを太めの帯で止め、脚絆を巻いた袴を履いている。背中には女性の身長を遥かに凌ぐ大槍が携えられていた。

 彼女の服装にていが首を傾げたのも無理はない。その服は本来ならば男性が身に纏うものだったからだ。


 女性の切長の目に射すくめられ、ていは体が硬直する。彼女の眼差しからは生者の温もりも揺らぎも感じない。ただひたすらに鋭く心の中までをも見透かされているような気がしてしまう。

 堂々とした姿勢と他を怯ませるほどの神々しさから、ていはこの女性こそが産神なのだと直感した。

 感激のあまりに見惚れていると、産神は孤を描いた眉を寄せて顰めっ面に変わる


「何をぼうっとしている。乗りなさい」


 白魚にも似たしなやかな手が伸びてくる。惚けたままに手を握ると、まるで綿毛のように体が浮かんでいつの間にか馬に乗って産神の腕の中に収まっていた。


「急ぐぞ。今宵は奴らの好きにさせてはならぬ」


 産神の声は怒りを孕み、心臓を震わすほど低かった。


 駆け抜ける馬は疾風の如く。木々は馬の行く道を譲るように幹をしならせ避けている。乗馬経験のないていがこれほどの速度にも怖気付くことなく乗っていられるのも、産神が後ろについている安心感からだろう。


「うぶ様?」

「何だ」


 神に話しかけるなど無礼千万なのだろうが、ていにはどうしても訊ねなければならないことがあった。


「何故、あたしはうぶ様を見ることができるのです?」

「神は真に求める者の前に姿を現わす。ただそれだけのことだ」


 端的な答えに、ていはすぐに納得した。


「では、今までうぶ様を呼びに来た人達にも、うぶ様の姿は見えていたんですね」

「彼らには見えていない。私の姿が見えるのは、他でもない私に救いを求める女達だけ。ただ、産婆の前には姿は見せぬ。お産の邪魔になるからな」


 産屋に降臨した産神は、お産で弱った産婦を狙う妖魔達と戦う。その戦闘場面が産婆にも見えていたら気が散るだろうという配慮だった。

 少しの沈黙の後、今度は産神が訊ねた。


「産婦は初産か?」

「はい、そのように聞いてます」

「ならば子が産まれるまで時間がかかるだろう。だが、死魔がいつ産婦に取り憑くか分からない」


 産神の片手が手綱から離れ、首筋を撫でる。「馳せよ」と唱えると馬の速度が一段と上がった。


「ていに聞きたいことがある」

「あたしで分かることでしたら」

「加護の札は貼ってあるか?」


 産屋には、産神が来るまでの間、お産中の産婦を狙う死魔や他の妖魔から守る為に加護の札が四隅に貼られていた。お札の力で一定時間だけ産屋を悪しき妖魔から守ることができる。ていも加護の札を見たことがあり、即座に「はい」と答えた。しかし、産神は不可思議そうに唸っている。


「強い力を持つ怨霊でさえ近づけない産屋に、下等妖魔の死魔が易々と入り込めるはずがない。考えられるとしたら、誰か手引きをしている者の存在だ。死魔によって喰われた母子の全てのお産の場に居合わせた者。即ち、産婆。そうだろう?」


 一回のお産に携わる産婆は三人程。今日のお産はていの祖母のいねの他に、つる、八重の三人の産婆が取り掛かっている。


「お願いです、うぶ様。どうか、どうか……助けてください」


 手綱を握り締める小さな手が震え、今にも泣きそうになっていた。


「これ以上、奴の牙で穢すことはこの私が許さぬ」


 産神はていの震える手に自らの手を重ね、握りしめた。

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