うぶのめがみさま
空草 うつを
1.うぶ様
「お願いだ、うぶ様を呼んでくれ!!」
——うぶ様。
お産からお七夜まで新生児とその母親を護るとされている
切迫したように産神を呼ぶよう叫んだ老人は、血相を変え、
「お産の最中です、私は手を離せません!」
切羽詰まっていたのは八重も同じだ。老人の手を振り解いて産屋に入ってしまった。
その様子を木陰から少女が見つめていた。少女は産婆のいねの孫で、名はていと言った。まだ九つのていは、お産の為に慌てて家を飛び出した祖母を追って様子を見に来たのだ。
深く項垂れている老人の震える背中から、ていの視線は恐々と山に向けられた。
草木も眠る丑三つ時、山の頂上には満月が輝いているものの、その光をも通さぬ鬱蒼とした木々が山を闇に沈ませている。
産神は、山の奥深くに棲んでいる。
本来ならば産婦の夫が産神を馬で迎えにいくのが習わしなのだが、今お産に入っている産婦の夫は数か月前に病に倒れて帰らぬ人となっていた。
老人は産婦の父で、足腰が弱っているせいで山に入ることさえ困難。お産は忌み事、故に他の若い男衆に頼むこともできない。穢れに触れぬよう、産屋周辺は産婆や親族以外は立ち入ることができないからだ。
「このままじゃ手遅れになっちまう……一郎太んとこみたいに……」
泣き崩れる老人を前に、ていは覚悟を決める他なかった。
(あたしがうぶ様をちゃんと迎えに行くから。心配しないで)
今度こそは間に合わせなければならない、とていは馬舎に走った。熟睡している馬を起こすのは困難だった。ようやくていに気づいた一頭と連れ立って、山の中へと急いで駆けていった。
村では最近、出産直後に産婦と新生児が亡くなる事件が相次いで起きていた。
産婆が取り上げた直後、赤子が空気を切り裂くように泣き叫んだ後に事切れ、次いで母親が断末魔の叫びをあげて亡くなっていくのだ。
「
温和で滅多なことで動じることのない村の長が、青冷めて体を震わせていたのをていはよく覚えている。
死魔とは、死へと近づく者や弱り切った者に取り憑き、残った最期の生命力をしゃぶり尽くす妖魔。その姿は、取り憑かれた者だけが見られるという。
「お産は命懸けだから。母親は自分の命の限りを尽くして子を産む。子も小さいながらに一生懸命お腹から出てくるんだ。お産で弱っている母親や身を守る術をまだ知らない子を狙うなど、死魔ほど汚い奴はいない」
産屋にいながら死魔が見えない産婆には、どうすることもできないと産婆達は肩を落としていた。
これ以上死魔による犠牲者を増やしてはならない。死魔によって亡くなっていく母子達を目の当たりにして憔悴しきっている産婆達の為にも、早く産神を呼ばなければと、ていは必死だった。
山の最奥へ辿り着くと、ていは足を止めて馬の横に並んだ。
背の高い木々の間を風が通り抜ける音しか聞こえない。月明かりさえ通さない山奥で、ていは孤独と闇への恐怖を堪えるように、拳を握りしめていた。風は冷たく、ていの体はぶるぶる震え、歯がカチカチと鳴り響く。
「う、うぶ様。うぶのめがみさま、どうかお力をお貸しください」
力なく叫んだ声は、無情にも闇に吸い込まれていく。震える口をぎゅっと結んで、冷たい空気を体いっぱい吸い込み、その勢いのまま声を張り上げた。
「うぶのめがみさま、どうかお力をお貸しください!!」
突如山奥から吹き込んできた突風に、目を瞑ってしまう。驚いた馬がじたばたと暴れ、悲鳴を上げた。
ていの力では馬を宥めることはできず、馬はもと来た道を引き返して逃走しようとした。
だが、馬の首が後方に引っ張られ、前足をあげてひとつ
風も止んで目を開けた矢先、ていは言葉を失った。
「とんだ暴馬だな」
どこからやって来たのか、見目麗しい女性が馬の背に乗り、首筋を撫でながらていを見下ろしていたからだ。
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