君の父親はMURDERで世間から嫌われ怖れられているけど、私にとっては唯一最高のHEROなんだよ
虎山八狐
寿観29年6月12日(梗津事件から11年後)
「おい、ショージョーヤ」
ラーメン屋の厨房からおじさんの太い声が聞こえた。その声に応じて、テーブルを拭いていた店員が厨房へと向かう。
私――私以外の客も――はこっそりとその店員に目を向けた。
黒いバンダナから覗く蛍光ピンクの髪やピアスが派手な耳という奇抜な特徴を無視して、その顔だけに集中した。
爬虫類を思わせるすっきりとした顔立ち。切れ長のつり目に小さな黒目。小ぶりな唇と鼻。
間違いない。
彼は
嬉しくなったのは私だけだろう。
隣のおっさんなんか真っ青な顔をして震え出した。
仕方ない。
私以外の平和な人生を歩んで来た幸福な奴等は梗津事件でしか善継様を知らないのだ。
梗津事件は十一年前に千葉県梗津市の善継様が住んでいたアパートで起きた。大阪からやってきた青年が一人で自宅にいた善継様の妻を殺した。善継様が帰ってくるなり、善継様に致命傷を負わせた。善継様は青年から凶器を奪い取り、自分が絶命するまで青年を惨殺し続けた。
被害者兼加害者の善継様のお顔は全国に知らしめられた。のみならず、何も知らない馬鹿なマスコミ共は善継様を貶しめた。インターネットの匿名でしか吠えられないぼんくら共も善継様を誹謗中傷した。挙句、息子の維新の顔や名前をばらまいた。
それでも安全地帯で一生を終える平和な奴等には善継様が何者なのか、何故襲われたのかを特定できなかった。
私は分かる。
犯人の馬鹿は私と一緒だったに違いないから。きっと私と同じく善継様の被害者にだったから。
二十年前、私がまだ中学生だった時に善継様は私の住んでいたマンションの一室に来てくださった。というか、部活と寄り道で散々時間を潰して仕方なく帰宅したら、いらっしゃっていた。
リビングで善継様と彼の仲間は私の実の両親を縛り上げていた。
ああ、今でも鮮明に思い出せる。
善継様は抜き身の日本刀を右手に、左手に我が家の包丁を下げて、立ち尽くす私に近付いた。不思議の国のアリスの笑い猫みたいな笑みを向けて私に言ったのだ。
「お前、死にたくなきゃ親殺せよ」
表情と一致しない冷え切ったお声だった。
混乱する私の両手に善継様は自分の両手をぶつけられた。
「どっちか好きな方を使って殺せ」
見知らぬ猩々色の柄の刀か、使い慣れた包丁か。
私は持っていたスクールバックを落として、包丁を選んだ。そして、迷わず父の左胸に突き立てた。口にタオルを詰め込まれた父母はくぐもった悲鳴をあげた。不快だったから、父の喉を刺して、母の喉を刺しました。次に母の左胸を刺した。
困ったことにそれだけでは死んでくれなかった。
「どうやったら殺せますか?」
私が聞くと、善継様はきょとんとされた。それから、軽やかな笑い声をあげて指示してくださった。
私は彼の指示通りに動いた。
両親が死んだ後、善継様は不思議そうに聞きました。
「よくもまあ躊躇なく殺せるな。本当の両親じゃなかったのか?」
私は嫌だけれど首を横に振った。
「本当の両親です。でも、二人ともずっと私に酷いことをしてきたから嫌いだった」
「虐待か。でも、生まれてからずっとじゃないだろ。それに情だってない訳じゃないだろ」
「ええ。でも、だからって憎まないでいられますか」
「殺せはしない。普通は」
「殺していいなら殺しませたよ。私は」
成程、と善継様は小さい唇に拳を当ててしばし考えておられました。何か納得がいったのか、善継様は私の頭を撫でてくださいました。
「僕達が来たことはお前にとっては幸福だったんだな」
私が肯くと、善継様は更に幸福をくださいました。
「これから僕達は掃除をする。お前は何も知らなかったことにして生きるんだ。突然両親が失踪した憐れな中学生。それが明日からのお前だ」
善継様は私に視線を合わせる為に屈まれた。勢いがあったので、ショートボブにした黒髪がふわんと一瞬広がった。
「僕達に関わらないようにすればお前は平和に生きられる。できる?」
私は肯いた。本当は横に振りたかったけど、しなかった。善継様はもう一度私の頭を撫でてから仲間と共に掃除に取り掛かられた。
私がその時にしたことと言えば、お風呂に入ったり、汚れた制服を渡したりという自分のことだけだった。
綺麗さっぱり殺人は無かったことになった。
私は善継様の言う通りに平和に生きてきた。
母方の親戚に引き取られて平和に学生時代を謳歌し、平和に就職した。社会人一年目の時に梗津事件が起きた。
善継様の名前等を知ったのはその報道だった。そして、彼が桜刃組のヤクザだったことや桜刃組が親殺しをさせてスナッフフィルムをつくって売っていることを知ったのもその時にインターネットの奥底で知った。事実かどうかも有耶無耶だが。
カメラがあったかどうかは覚えてなかったが、私の殺人が見知らぬ誰かに見られているかもしれないと思うと気味が悪かった。
でも、私が何もしなければこのまま平和に生きられると確信していた。善継様が約束してくれたから。
現にその通りだった。
私は平和に働き、平和に結婚して、平和に子どもを産み育んだ。
今もこうして一般的なワーキングママとして平和にラーメン屋でランチをできている。
こうして平和に生きてこれたのは、善継様のお蔭だ。
あの時、両親を殺していなければ私はもっと悲惨な人生を歩んでいただろう。
あの時、人を殺していなければ私は駄目になっていただろう。
むかつく親戚、友人、先生、先輩、後輩、上司、部下、姑、ママ友。皆、いざとなればぶっ殺せばいいと分かっていたから真面に生きて来られた。
あの時、人を殺していなければ、私はもっと悩み苦しむことになっていただろう。
人を殺した挙句に無かったことにしてもらえただなんて最高だ。
善継様は私に平和を与えてくれた。
善継様は私のヒーローだ。
他のぼんくら共は嫌ったり、憎んだり、怖がったりしているけど、私にとってはヒーローだ。
私だけのヒーローだ。
ヒーロー。
日曜日の朝にやってる番組のヒーローに救われたモブ共と同じく、私は善継様に恩を返せていない。ただ、救ってもらっただけだ。
こうして善継様の息子と出会えたのも何かの縁。
維新君が厨房から出てきた時に呼びつけた。勿論、名前は言わない。「あのう」と手を上げただけだ。
維新君はさっさと私に近付き、善継様に似たお顔をよく見せてくれた。
「替え玉追加で」
維新君は善継様に似てない声で注文をとってくれた。
「ありがとう」
――私の人生に平和をくれて。
維新君に分けられた善継様の遺伝子にお礼を言う。
維新君は不思議そうに「どうも」と言って離れた。
これぐらいなら構わないだろう。
水で喉を潤す。
その冷たさに生を感じる。
ああ、私は平和に生きていく。
これからも、ずっと。
君の父親はMURDERで世間から嫌われ怖れられているけど、私にとっては唯一最高のHEROなんだよ 虎山八狐 @iriomote41
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