ユグドー、奇跡の涙を見る編

 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 本題に入る前に、この世界の魔物について話さなければならない。


 魔物とは、黒き民と白き民の混血生物だ。純粋な黒き民は、魔族と呼ばれている。


 かつて、白き民の中に、小人族と呼ばれる種族が存在した。


 小人族は、人間の唯一の亜種であった。とても、弱い種族だ。


 黒き民によって、簡単に征服されてしまった。


 自然の習いとして、小人族のオスは殲滅され、メスのみが生かされたのだ。


 残された小人族は、黒き民との間に、子を宿して混血生物を残した。


 やがて、純粋な小人族は、滅亡。今では、魔物となって、この世界に広く分布している。


 魔物の中には、色々なものがいる。


 野良となって生きるもの。黒き民の有力者である魔王の庇護下で生き残るもの。


 その中でも、悲惨なのは、白き民の血が色濃く残るものだろう。


 それらの魔物は、白き民からも黒き民からも排斥される。


 その多くは、悲惨な末路をたどるのである。



 ✢✢✢



 都区長は、ユグドーの決意を聞いた。


 呆気にとられたようすであったが、全てを託すと言い残して、帰っていった。


 ユグドーは、発光する魔法石を埋め込んだ松明を手に、大霊殿を見上げる。


 立派な建物だ。心を込めて、建てたのだろう。気持ちが、思いが流れ込んでくるようだ。


 ユグドーは、扉を開ける。さきほどよりも、臭いが強くなっていた。


 魔法石の松明を向けてみる。足の踏み場もない。空気も悪く、呼吸もままならない。


 まずは、足場づくりだ。向かい側にある窓を開けよう。空気を良くしなければ、掃除はできない。


 次々と、材木の欠片を外に出した。大霊殿に続く歩道からは、この位置は見えないのだ。


 遠慮せずに、材木だったものを置いていく。


 それらは、都区長に頼んでいた荷馬車で、ゴミの集積所まで運んでいってくれる。


 数十分の作業で、窓までの道を確保することができた。窓を開けて、換気をする。


 窓は、なかなか開かなかった。


 今回の仕事を喜んで受けたのは、名誉ある仕事だからだが、それだけではない。


 十二支石だ。


 世界中に散らばったと言われる強大な力を秘めた石である。


 この何年間、情報収集を欠かしたことはない。


 十二支石が、見つかる場所には、共通点が見られるという。


 リュンヌ神に関係する場所だ。


 もしかして、この大霊殿の中に、十二支石があるかもしれない。


「まずは、大蜘蛛退治かな。屋根裏に住んでいるって言ってたっけ。そこまでの通路を確保……。そう。君か?」


 ユグドーの目の前。二階に行く階段の途中。大蜘蛛は、こちらを見ていた。


 魔法石の松明に照らされた眼光は、赤く光る。その腹部は、異様に膨れていた。


 もしかしたら、子供がいるのかもしれない。


 ユグドーは、考えた。悪魔の力を使えば、対話できるのではないかと。


「君を退治するのは、簡単だよ。悲しいけど、悪魔の力を使えばね。だけど、その悪魔の力を使えば、別の解決策もある。そう……」


 大蜘蛛が住み着いたのは、魔物のせいではない。人間が、掃除をしなかったからだ。


 大切だと、言いながらも平時には見向きもしなかった。その結果である。


「お前は、ワタシを倒しに来たのか?」


 大蜘蛛の声だ。


 やはり、悪魔の力を使えば、問題なく意思の疎通はできそうだ。


「違うよ。君の望みは? ここに居座ることでなければ、叶えてあげられるかもしれない」


 大蜘蛛が、襲ってくる気配はない。大蜘蛛が、攻撃の意志を示さないから、安心したのだろう。


 大蜘蛛の腹部から、小さな蜘蛛が顔を覗かせた。予想通り、子供がいたのだ。


「ここにいては、その子も君も。人間に殺されるだろう。逃げるなら、力を貸すよ」


 今も、まだ不潔な空気が流れる。大蜘蛛や獲物の糞尿で、木材はかなり劣化していた。


 これ以上、荒らされると本当に壊れるだろう。


 もとより、こんな場所では戦闘など出来るはずもないのである。


「オロル山に帰りたい。ワタシの記憶の奥底に離れない。名前が、景色が、ある。帰ることができるか? 子供とともに」


 オロル山は、滅亡した小人族のすみかだった場所だ。世代をこえて、記憶に残る故郷。


 それほどの執念、無念が小人族にはあったのだろう。


 ユグドーの記憶には、故郷の姿はなかった。場所も名前も消えていたのだ。


「約束するよ。僕が連れて行く。この悪魔の力を使ってでも……。ただ、ゴミの山と一緒にだけど?」


 大蜘蛛を隠して運ぶには、それしかない。個人的にユグドーが依頼する運び屋がいる。


 彼らに運ばせる。


 危険はある。街を出る前に見つかれば、ユグドーもただではすまないだろう。


「今日の夜、さっそく実行に移そう。早いほうがいい。君は、オロル山に帰ったら何がしたい?」


 ユグドーの言葉に、大蜘蛛は涙を流した。


 その涙を見て、ユグドーは、持っていた魔法石の松明を落としてしまう。


(魔物が涙……。彼らは、泣くことができるのか!?)


 感情があるのは知っていた。でも、単純な怒りなどの攻撃的なものだと思っていたのだ。


「オロル山にいる。亀に会う。知者と呼ばれている。ワタシたちの記憶の奥底にある。平和な世界に行く方法を教えてもらう。この子達の未来のためだ」


 ユグドーは、大蜘蛛と目を合わせることができない。その願いは、とうにもならないことだ。


 何故なら、この世界は人間の……


「その怪物をオロル山に連れていくつもりかい? 掃除屋さん……」


 大蜘蛛は、腹部の子供を隠してその鎌足を構えた。もう対話の声は聞こえない。


 ユグドーは、魔法石の松明を拾い上げて後ろを向いた。


「俺の名前は、ノルベール・ベトフォン。こっちは、妻のマリエル・ベトフォンだ。さあ、冥土の土産は、この名前で、十分だろう?」


 都区長は、時間がないと言ったが、これほど早いとは予想外であった。


 ノルベールは、剣を抜く。相手は、ベトフォン家だ。悪魔の力でも、対抗できない。


 それどころか、時間稼ぎにすらならないだろう。


「お待ち下さい。この魔物に抵抗の意志はありません。どうか、ここは……。僕に」


 ユグドーは、跪く。ノルベールは、眉一つ動かさない。マリエル夫人は、驚いているようだ。


 当然だ。魔物を庇う人間などいるはずもない。


「抵抗の意志がない割に、鎌足をもたげているようだが?」


「こ、子供を守ろうとしているだけです。この魔物は、オロル山に行きたがっています。そこで、子供たちを……」


「黙れっ!! ベトフォン家を愚弄するかッ!? 貴様は、魔物の心がわかるというのか? それとも、こいつらが、人語を解するとでも?」


 ノルベールは、剣をユグドーの肩に乗せる。首を刎ねるつもりなのだろう。


 結局は、力のないものには何も守れないのだ。


 また同じ轍を踏むのか? どうすればいい。


「閣下、大蜘蛛は、何故襲ってこないのでしょう。青年の言葉は、真実通なのではありませんか?」


 マリエル夫人は、ノルベールの腕を掴んだ。


「ぼ、僕は、悪魔の力を宿した人間です。だから、魔物の声が聞こえるんです。この魔物は、涙を流しました。僕は見たのです。人間と変わらない。ベトフォン大公閣下も、涙を流すではないですか?」


 ノルベールは、ユグドーを真っ直ぐに見つめる。人の心を変える方法はないのだろうか。


 ユグドーが、ベトフォン家に勝てる部分なんて一つもない。


 交渉とは、強者が一方的にするものだ。そう、ディアークが言っていた。


 簡単に消されてしまう命では、いや。命でも、できることはないのか。ユグドーは、必死に考えた。


「閣下、話くらい聞いてあげても……」


「黙れッ!!」


 ユグドーは、自分の決意を見せるしかないと考えた。持っているものをすべて目の前に並べた。


 掃除道具と幼少のころに貰った金貨しかない。金貨は、貴族からもらったものだ。


 勿体なくて、今までどんなに困っても使おうなどと考えたこともなかった。


「これが、今の僕の持ち物です。後は、この命しかありません。大蜘蛛を見逃してくれるなら、すべて差し上げます。魔物でも、我が子はカワイイのです。そう。大事なのです。それを奪う権利は、大貴族にだってないッ!!」


 僕は、見てしまった。知ってしまった。


 我が子のために涙を流すものを、その行く末を案じるものを、神が裁けと命じるなら。


 そんな神は、この世界に帰ってくるべきではないのである。


「まあ、閣下。あの金貨は……」


 マリエル夫人は、ユグドーの前に置かれた金貨を指差した。


 とても、細くて真珠のような指だ。きっと、汚いものなんて触れたこともないのだろう。


「ユグドー、大きくなったな。この金貨、使わなかったのか?」


 ユグドーは、顔を上げた。日差しが強くて、顔はよく見えない。でも、見覚えはない。


 それだけは確かだ。


 何故、名前を知っているのだろう。記憶を探ってみても、思い当たるふしはない。


 ノルベールは、ユグドーよりも少し年上くらいだろう。この金貨は、幼少の頃に貰ったものだ。


 この金貨をくれた人は、大人だった。


「とても、きれいな金貨ですこと。御義父様の言われた通り。まるで、大盾の乙女の髪のように……」


 マリエル夫人は、恍惚とした声をあげた。


 その声を聞いているだけで、このような状況にも関わらず幸せな気持ちになる。


「この金貨は、父上が見込みのある子供に渡したものだ。さっきの言葉は、父上からの伝言だ。この金貨を持つものに会ったら、伝えてくれとな。これは、ベトフォン家の金貨だ。高く売れただろう。しかし、ユグドーが、売ったという記録はない」


 ユグドーは、思い出した。ベトフォン家の当主だ。この金貨をくれた貴族は。


「父上は、ユグドーを試したのだ。売り飛ばすようなものならば、それまで。しかし、それを使わずに持っていた。だから、お前の願いは叶えよう。ただし、この大霊殿を、その金貨と同じくらいに輝かせてみせろ。できるか?」


「閣下、こんなふうになってしまっているのですよ。無理ですわ。御義父様は、無償で助けろって仰っておりましたのに……」


 ユグドーは、嬉しくなった。あの日の貴族が、自分を覚えていてくれたことにだ。


 ユグドーは、忘れていたのに。


「お任せください」


 ユグドーは、喜びのあまり飛び跳ねるように、大蜘蛛のもとに駆け出した。


「良かったな。オロル山に行けるよ。そう。子供と一緒に。これからは、ベトフォン家の繁栄を願って生きるんだよ。子供にも、そう教えてさ」


 大蜘蛛は、大粒の涙を流した。


「魔物に願われる繁栄か……。ハッハッハッハ。リュンヌ教国の奴らが知れば何というか」


「きっと、強い子が生まれますわ。こんなに素晴らしい父親の子供なんですもの」


 マリエル夫人は、口元に手を置いて笑った。とても幸せそうだ。


 これが、夫婦なのか。子供ができた夫婦。ユグドーは、自分の両親のことを考えた。


 これほどまでに、幸せな気持ちで、自分の子を死地へと追いやったのだろうか。


 ユグドーは、背筋に冷たい感情がぶつかるのを感じたのだった。



 ✢✢✢



 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 私は、ユグドーが好きだ。その生涯を追うために、衣食住を捨てるほどに好きなのだ。


 ただ、彼の行動の全てを肯定はしない。


 大蜘蛛を助けたことは、間違いだったと思う。


 それは、今を生きる私だから、言えることなのかもしれない。


 オロル山は、自然の宝庫だった。大蜘蛛が来るまでは、だが。


 大蜘蛛は、オロル山にて、ある種族の居場所を奪うことになる。


 キマダラカメムシ族だ。


 私は、仲間との討論の席で、ユグドーが大蜘蛛を助けたことは、間違いだと主張したことがある。


 理由は、上記の通り。キマダラカメムシの住処を奪ったからだ。


 仲間たちは言った。


 ただの虫ケラのことなんて、誰も気にはしない。


 オロル山に巣食う魔物を倒したのは誰だ。大蜘蛛の子どもたちだ。


 未開だったオロル山は、人間のものになった。


 そのことのほうが、人間にとって歓迎すべきことではないか。


 そのように、言われてしまった。


 虫ケラの不幸を嘆く私に、変人のレッテルが貼られたのは、言うまでもないことである。


 大蜘蛛の子どもたちは、その功績を讃えられ「ベトアレニエ」という種族名を貰ったのだ。


 そうだ。たかだか、虫の。カメムシの一種が不幸になっただけの話。


 それだけである。


 【ユグドー、奇跡の涙を見る編】完。

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