青年期

ユグドー、名誉な仕事を得る編

 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 さて、話は、幼年期から青年期に入る。


 謎の海での大冒険を乗り越えたユグドー。


 彼は、イストワール王国の古都ジェモーに移住していた。


 移住の経緯は、よく分かっていない。掃除の腕を買われたからだという説もある。


 青年前期のユグドーは、旅の掃除屋をしていたからだろう。


 王国歴871年。


 イストワール王国は、奇跡の再現に湧いていた。建国時の状況と酷似していたからである。


 もうすぐ、二人の子供が誕生する。


 イストワール王国国王ルロワと、ベトフォン家のノルベールの子供だ。


 ルロワ国王は、ベトフォン家のノルベールと話し合った。


 お互いに、子供の誕生の地を古都ジェモーにすることを決めるためだ。


 これには、奇跡を演出し、イストワール王国の現状を打破する狙いがあったのである。


 リュンヌ教国の始祖とイストワール王国の始祖は、双子であった。


 彼らが、生まれた時代の人類は、領土拡大を図っていたのだ。そのために生存圏を広げていた。


 その当時の人類を指導していた男の妻は、生存圏拡大の旅の途中で子を出産した。


 子供は、双子。長男を「リュンヌ」次男は「イストワール」と名付けられた。


 やがて、リュンヌ教の開祖となった長男のリュンヌは、世界を支配するために国を建国した。


 次男のイストワールは、兄を助けるために、リュンヌ教国の西側にある生誕の地に砦を建設した。


 大陸の南東に住む黒き民や白き民の蛮族から、兄の国を守るためだ。


 イストワール王国では、この砦の建設を持って、建国の日としている。


 その砦は、やがて名を変え規模を大きくして、古都ジェモーの前進となったのである。



 ✢✢✢



 神罰執行対象となったユグドー。公には、島流しのあとに餓死したと発表されていた。


 しかし、実際はそうではなかったのだ。


 ユグドーは、竜宮島から乳海を越えて、旅の末に古都ジェモーに移り住んでいた。


 掃除の才能は、ここでも役に立っている。


 古都ジェモーは、ユグドーが移住してから、見違えるように綺麗な場所になった。


 街並みは、昔の誇りを取り戻したのだ。


 日差しを礼賛するような古い建物が並んでいる。区ごとに巨大な壁で仕切る新しい都市構造とは違う。


 入り口から、始祖の双子が生まれたとされる場所までの間。


 何ら遮る壁はない。家と人だけの都市である。


 ユグドーの働きぶりに感謝した鍛冶屋の主人が、使わなくなった倉庫を与えてくれた。


 ユグドーは、この倉庫を自宅にしたのだ。


 今、ジェモーは、大いに賑わっていた。


 奇跡を待ち望む人々が、毎日のように始祖の双子が生まれた場所で、祈りを捧げている。


 双子の生まれた地には、大霊殿と呼ばれる寺院が建てられていた。


 人々は、建国の再現を心待ちにしていたのだ。



 そんな奇跡の日々を送るジェモーの片隅で、ユグドーは、目を覚ました。


 昨日、取り付けたばかりの窓を開ける。朝の空気が、いっぱいに入ってくる。


 もともと、倉庫であるため二階などはない。見える景色としては、表通りといくつかの建物だけだ。


 それでも、ユグドーにとっては、はじめての自宅だった。


 今までの軒下や酒場の一室だったのに比べれば、大きな進歩である。


 もう、この朝の空気にも慣れた。ジェモーに暮らして、二年が過ぎようとしている。


 この家には、家具も何もなかった。


 ユグドーの掃除の腕に感動した街の人達が、家具を分けてくれると言ってくれたのだが。


 ユグドーは、感謝の上で断ったのだ。家具も寝具も全て自分で作ろうと決めた。


 自分で決めて。自分で成し遂げる。


 そうした姿勢は、掃除だけでなく、家具や調度品作りも得意にしていった。


 それが、新たな仕事にも繋がったのである。


 窓の外を見ながら、深呼吸をしていたユグドーに、声をかけるものがいた。


 ジェモーの都区長だ。数名の騎士を従えてこちらに向かってくる。


 ユグドーは、窓の下で握りこぶしを作る。いつでも逃亡できるように、裏口も作っていた。


 放浪者としての感覚は、何一つ忘れてはいないのだ。都区長は、既にユグドーを認識している。


 悪魔の力を使うことになるかもしれない。


「おはよう。ユグドー。仕事を依頼したいのだが、いいかね?」


 都区長は、憂鬱な表情を浮かべていた。ユグドーを捕らえに来たわけではないようだ。


「はい……。喜んで、すぐに出てそちらへ参ります」


 ユグドーは、窓のすぐ近くにある扉を急いで開けて外に出た。


 眩しい日差しだ。ユグドーの部屋は狭く、暗い。都区長は、大貴族なのだ。


 みすぼらしい部屋を見せるわけにも行かない。


「ユグドー。早速だが、大霊殿の掃除を頼みたいのだ。もうすぐ、アーデルハイト妃殿下とベトフォン大公夫人がお越しになるのだ。あー、その……」


 都区長の顔は、ユグドーの部屋以上に暗く、また表情は重苦しさを増している。


「イストワール人として、とても名誉なことです。心を込めて、掃除をさせて下さい」


「あぁ、ユグドー。とにかく、一緒に来てほしい。まずは、大霊殿のようすを見てほしいのだ。外観ではないぞ。中を、な」


 ユグドーは、承諾しつつも、都区長の言い回しが腑に落ちなかった。


 掃除ともなれば、外観ではなく部屋の中なのは当たり前のことだ。


 何かある。と、ユグドーは思った。それも、ただ事ではない重大なことだろう。


 そもそも、都区長が、自ら依頼をするのもおかしな話だ。その浮かない表情はもっと不審だ。


 今、ジェモーで陰鬱な雰囲気を放つ生物などいるはずもないからである。


 ✢


 化け物屋敷ではないか。


 いや、王都の裏通りだ。それよりも酷い。何故なら、王都の裏通りにもいないものがいるからだ。


 魔物の糞が、散乱している。家具も調度品も壊されて、跡形もない。


 どこからか持ち込まれた動物の死骸が、そこら中に散らばっていた。


 骨や皮。魔物の食べ残しだろう。


「おい、街のものが、入れないようにしているな。誰ひとり、ここに入れるなよ? これから、しばらくは参拝を禁止するからな」


 都区長は、呆然と立ち尽くす騎士を一喝した。


「は、はい。大丈夫です。自分も、行ってまいりますゆえ……」


 騎士は、慌てて踵を返すと、大霊殿につながる通路の入り口まで駆けて行った。


 遠くに見える通路の入り口では、多くの民衆が豆粒のように集まっている。


「最後に使われたのは、三十年くらい前のことだ。ルロワ国王は、独身の誓いをしておいでだった。まさか結婚するなんて……。しかも、ここを使用するなんてな。天井裏には、大蜘蛛が住み着いている。どこから入り込んだのか……。ユグドー、もう時間がない」


 都区長は、扉を閉めた。胸元からハンカチを取り出して、それを口に当てる。


 締めても腐臭が残るほど、部屋の中は、強烈であったのだ。


「せめて、大蜘蛛の討伐くらいは、こちらでしたかったのだが……。今は、ほれ。例の竜族との戦争で、騎士団は北東の砦に派遣されている。街の警備を回すわけにもいかんだろ?」


 都区長は、顔を伏せて意を決したように膝をついた。ユグドーは、慌てて立ち上がらせる。


「頼む、何とか間に合わせて欲しい。このとおりだ。大蜘蛛に殺されるかもしれん。それでも、掃除を引き受けてくれるか? ユグドー。もしも、間に合えば、爵位でもなんでも与えてやる。今日から仕事終わりには、酒場を使え。出入りを自由にするからッ!!」


 都区長の顔は、みるみる青ざめていく。何度も頭を下げた。


 ユグドーにしてみれば、爵位などいらない。酒を飲んだこともないのだ。


 全く利益はない。でも、なくても引き受けたかった。


 イストワール人であるなら、この奇跡に関われるだけで幸せなことなのだ。


 放浪者であるユグドーなら、なおのこと。


 今、イストワールに住む人間として認められているのだ。


「間に合わせてみせますよ。お任せください。自分は、元旅人。魔物には、なれています。しかし、もし……。私が死んだら。そう。この屋敷のことは、私が壊したということにして下さい。そうすれば、都区長は責を負いません」


 都区長は、目を丸くする。驚きで声が出ないようだった。ただ、頷くのみだった。



 ✢✢✢



 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 ルロワの独身の誓いとは、リュンヌ教国の最高位の修行のことだ。


 最高位の理由は、一番耐え難く、歳を取るほどに厳しくなる修行だからだろう。


 独身と言っても結婚だけではなく、異性との付き合いも絶たねばならない。


 血縁者であっても対象になる。とにかく、喋ることも、関わることも、見ることも禁止だ。


 若い頃のルロワは、信心深かったという説がある。だから、最高位の修行に挑んだという。


 私は、その意見には否定的だ。


 ルロワは、人間を愛することができなかったのだろう。


 全く良い時代になったと思う。


 この時代のイストワール王国ならば、このようなことは書けなかった。


 ルロワの人間嫌いの証拠は、その后にある。アーデルハイト王妃だ。


 彼女は、人間ではない。赤龍の娘である。


 ルロワは、精霊の最上位にある──リュンヌ教国によれば、最上位は人間──龍族と戦争を起こす。


 それは、赤龍の娘を手に入れるためだ。ルロワは、ベトフォン家の力を使ってこれを成し遂げた。


 ノルベール・ベトフォン。別名は、赤龍の血を啜った狂騎士(赤龍族談)。


 彼とベトフォン騎士団は、赤龍の里まで侵攻して、アーデルハイトを誘拐した。


 さらに、ルロワは独身の誓いをリュンヌ教国に相談することなく、一方的に破却したのだ。


 イストワール王国は、奇跡に湧いていたが、実はそれどころではなかったのである。


 ルロワは、ベトフォン家とともに奇跡を演出したかったのだ。


 その最大の理由は、甥のガーランドを支持していた反体制派にある。


 彼らが、この混乱に乗じて、ガーランドを担ぎ上げる恐れがあったからだろう。


 国内を抑え込んだとしても、国外だ。


 龍族の中でも好戦的な赤龍は、黙ってはいないだろう。


 他の龍族も、イストワール王国の蛮行を許すはずもない。


 自分の家を手に入れ、名誉な仕事を得たユグドーだが、激動の時代は、すぐそこに迫っていたのだ。


 【ユグドー、名誉な仕事を得る編】完。

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