ユグドー、渇望の繭《まゆ》篇

 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 このユグドー求道譚の序章。つまりは、ユグドーの幼年期も終わりをむかえることになる。


 ユグドーの幼年期に関して、発見された資料は、まだまだ残っているが。


 それら全てを書きつくすのは、至難の業だ。


 幼年期に挫折と喪失の日々を送ってきたユグドー。彼は、その果てに力を求めるのだろうか。


 十二支石の力を。



 十二支石とは何か。それを知るためには、神話の時代にまでさかのぼらなければならない。


 転輪聖王リュンヌに最後まで敵対した阿修羅王エールデ。


 彼女は、多くの子供を生んだ。


 転輪聖王リュンヌは、無数に生まれる敵対者に対抗するために、白き民の代表として、十二支を招集。


 すなわち、


 ネズミ、ウシ、トラ、ウサギ、リュウ、ヘビ、ウマ、ヒツジ、サル、トリ、イヌ、イノシシ。


 これら、十二の精霊たちが、招集に応じた。


 彼らは、無量無辺に増える悪鬼たちと、戦って勝利したのだ。


 ナスビの妖精が、ユグドーに話したのは、この神話のことである。



 ✢✢✢



「リュンヌ神は、戦いに疲れちゃったナス。だから、リフレッシュ休暇のため、天道に旅行することにしたナス。当日、十二支たちは、リュンヌ神に言葉を送るナス」


 彼らは、転輪聖王リュンヌが、再臨する日まで、ただの石となること。


 再臨の日が、久遠のときになろうとも、その日が来るまで消えることはない。と、宣言をしたらしい。


「ただの石……。うん。その話は知ってるよ。宗教的価値があるから、リュンヌ教国が集めてるって」


 ユグドーは、少し落胆した。望んだ力が、手に入ると思ったからだ。


 金持ちになりたいのなら、名声が欲しいのなら、集める価値はあるかもしれないけれど。


「これだから、リュンヌ教国も笑いが止まらないナス。十二支石は、ただの石ころではないナス。その一個が、少なくとも百個軍に匹敵するナス。小国なら、滅ぼすのに一日もかからないナス」


 ユグドーは、ディアークから聞いた軍隊の編成単位について思い出していた。


 一個軍が、一万二千五百人。


「百万人以上っ!! そんな力を持ってるの。でも、そうか。それをひとつても手に入れたら」


 ユグドーの心のなかで、何かが叫んでいる。欲しかった力への道が見えた。


 それだけの力が、手に入れば、何だってできるはずだ。力を力で蹂躙することもできるのである。


「リュンヌ教国は、矛盾だらけの国ナス。白き民に神への信仰を説きながら、世界を侵略するための力を集めているナス。その理由は、自分で考えるナス。十二支石は、どうナス? 欲しいナス?」


 ナスビは、座り込んだユグドーの膝の上に登ってくる。そして、声をひそめて彼を呼ぶ。


「力、欲しいナス?」


「ユグドーの助けを待ってる子がいるかもナス」


 ユグドーは、呼吸をするのを忘れるくらいに何も考えられなくなっていた。


 高鳴る心臓は、一つのものを呼んでいる。


「ねえ、十二支石ってどこにあるのかな?」


 ナスビは、ユグドーの膝の上を降りて、亀の甲羅をツタの中から取り出した。


「どこにあるか、わからないナス。見つけたとしても、十二支石の中に封印された干支は、所有されることを拒むナス。所有しようとするものを取り込もうとするナス」


 ナスビは、満面の笑みを浮かべている。


 ユグドーは、自分が普通の人間ではないことを理解している。


 自分の中には、悪魔がいるのだ。取り込まれそうになっても、常人よりは抵抗できるはずである。


 それを可能にする強い目的意識もあるのだ。


 守りたい存在もいる。リリアーヌである。


 彼女は、リュンヌ教国の巫女姫だ。


 次々とパズルのピースが埋まっていった。


 ユグドーの妄想は、転輪聖王リュンヌを守った精霊の一柱に自身を置き換えるまでに至る。


「どこにあるのかなぁ。僕なら、絶対に押さえ込めると思う。悪用もしないと誓える。ただ、一人の人を救うために使う……うぅ」


「やっぱり、求めちゃうナス?」


 今度こそ、自分の意志で、リリアーヌを救う。でも、ユグドーには、まだわからないこともあった。


 体の中から、求める。救いたいという欲求は、なぜ生まれてくるのだろう。


(違う、今回は違う。彼女を助けてあげたいって気持ちだけなんだ……)


 ナスビは、しかめっ面を浮かべて、ユグドーの答えを待っているようだった。


「うん。僕は、力を求めるよ」


「特別ナス。ヒントを上げるナス。『運命の二人』ナス。二つに欠けた十二支石を、この二人が持ってるナス。それを合わせたとき、一つになるナス」


 運命の二人。誰と誰のことだろう。


 ユグドーの頭に、自分とリリアーヌが浮かぶ。しかし、すぐに自ら否定する。


(僕は、そんな石、持ってないよ。なら、誰だろう……。今まで出会った人たちかな?)


 ナスビは、大きなため息を吐きながら、ツルで持っていた亀の甲羅を背負った。


 なんとなくだけれど、本物の亀に見えなくもない。そのまま、二、三歩海の方へ歩いていった。


「ユグドー、身に余る力は、とてもハッピー、ナス。ハッピー?」


 ナスビは、振り返りもせずに、ずいぶんと格好をつけた語調で言った。


「あ、僕の選んだ選択は。どうだったの?」


 ユグドーは、ナスビの言ったことを思い出した。ハッピー、トゥルー、バッド。


 三通りの結末だ。


「ミーは、ユグドーのこと。好きナス」


 ヘタを頭の上で左右に振ると、海に飛び込んでいった。


 よく分からない答えを残して、ナスビは去っていったのである。



 ✢



 いつまでも、いつまでも、変わらない天候。聞き飽きた潮騒の音。


 海の彼方に見える海。森から飛び立ったカモメは、いつものように旋回して、森に帰っていくだけだ。


 どうにもならない。


 力を得る方法を知って、それを求めて、それを忘れるくらいの時間は流れたのではないか。


 太陽がいつまでも沈まないので、どれくらいだったのかはわからないけれど。


 でも、自分の姿が変わっていないのは分かる。だから、まだ何年も立っていないのだろう。


 もしかしたら、一日だって過ぎていないかもしれない。


 探索は、頭の中で地図がかけるほど行った。


 何も存在しないということが、分かっただけだ。


 ユグドーは、なんの変化もない海を眺めていた。一日がすぎるのは、こんなにも長かったのか。


 頭のどこかで、そんなわけがない。と、異常事態を告げる声がする。


 でも、そうだとしても何もできない。


 遠くの水平線に黒い点が見えた。それは、どんどんと大きくなって、近づいてくる。


 声が、喉の奥に詰まっていた声が。


 出口を求めて、動き出した。大きな声はなかなか出なかった。


 でも、必死に叫んだつもりだ。


 近づいてくる。船だ。変わった形の船である。


 この世界には、不必要な帆柱。船首に立った人影。空に伸ばした腕。放たれる魔術銃の銃声。


「あ、あぁ……あぁ。あ、し、シー。ドラ。あぁ、あぁ、シードラ、ゴンさ、さん」


 ユグドーは、海に入った。必死に駆け出した。久しぶりの大声に、咳き込んだ。


 足がつかなくなっても、泳げなくて溺れても、前に進みたかった。


 シードラゴンの船は、何という名前だったのか、どうしても、思い出せない。


 それほど、時間は経っていないはずなのだ。


 見たことのない乗組員が、ユグドーを引き上げてくれた。


 もう、ずいぶんと孤島以外の場所に立っていなかった。足から伝わる感触に違和感を感じる。


 乗組員たちは、ユグドーの名前を呼んでくれる。会えたことに、感動しているようである。


「おい、おい。嘘だろ。ユグドー……。全然変わってねぇのな。俺だ、シードラゴンだ。分かるか? これ、覚えてるだろ? お前に磨いてもらった靴な。誰も磨いてくれないから、こんなに汚れちまった……」


 シードラゴンは、手を伸ばしてユグドーに触れてくる。彼の顔には、笑みが広がっていった。


 ユグドーは、靴を見つめた。まるで、古い記憶のように、思い出す。それほど前のことではないのに。


 呼吸が、難しい。心臓が、我を忘れたように鼓動している。


 何かが、この状況を理解してしまう。


「ここは、竜宮島。嘘みたいな島だってさ。でも、本当だったな。なあ、ユグドー。今、王国歴何年か分かるか? イストワール王国ではな。あの、独身王ルロワが、嫁探しをしてるらしいぞ」


「破魔大祭……リリアーヌ……?」


 シードラゴンの言ったことを理解したくはない。心が壊れそうになる。


 心の奥底の底に、閉じ込めていた感情が、押さえきれない。


「破魔大祭? ここ十数年は、全く音沙汰なしだ」


 最近の開催はない。もう、確信した。これ以上は、夢を見ていられないのだ。


「今、何年? 僕は……。ぼ、僕は、何歳なの?」


 シードラゴンと、その乗組員たちは、顔を見合わせる。哀れみ深い表情だった。


「ユグドー。今は、王国歴866年。俺らが、小さな漁村で、別れてから『15年』が経った。ユグドーの見た目は、13歳と変わらないけどな。本当の年齢はな。28歳だ……。ユグドー?」


 余りにも長かった。誰もいない孤島に、森に、海に、沈まない太陽。


 声の変わらないカモメたち。悪魔が、僕の心を凍らせてくれていたんだ。


 それが、一気に氷解していく。


 とてつもない孤独が、15年の寂しさが、怖さが、苦しみが。


 ユグドーは、その場で泣き崩れた。



 ✢✢✢



 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 ユグドーの幼年期は、終わった。故郷を追われ、居場所を奪われながらもたどり着いた孤独。


 孤島での15年間。


 彼の心に悪魔がいなければ、心は壊れていただろう。


 悪魔がいなければ、故郷の村を追放されなかったかもしれない。


 でも、彼の心に悪魔がいなければ、ユグドーはとっくの昔に死んでいたかもしれないのだ。


 何故なら、彼の故郷の村は……。それは、これから語る。青年期にて。


 とにもかくにも、彼の幼年期の話は、これで終わりである。


 竜宮島に関しては、現在も見つかっていない。リュンヌ教国が、所有する島ではないようだ。


 そもそも、太陽が沈まぬ島など存在しない。ユグドーが、島流しにされた場所。


 それは、現在も、冒険者などが捜索中である。


 これからはじまる青年期。


 ユグドーたちは。イストワール王国の愚王ルロワが起こした動乱に巻き込まれていくことになる。


 【ユグドー、渇望のまゆ篇】完。


 序章【知らない世界】完。

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