ユグドー、人に絡まれる編
ヴォラントの冒険譚に曰く。
建国以前から、イストワール王国を支えてきたベトフォン家。
武門の棟梁として、精霊世界リテリュスの人々から尊敬を集めている。
ベトフォン家の人間は、なぜ強いのか?
これについては、二つの説がある。
異界生物の血が入っている説と、龍族の血が入っているという説だ。
何れも混血を示しているためか、イストワール王国は、これらの説を完全否定している。
異界生物の血が入っている説の言い分としては、大召喚の権利が与えられているからであろう。
大召喚とは、リュンヌ教国から配布される召喚石だ。異界から生物を呼び出すことができる。
リュンヌ教国に対して、功績のある国や個人に与えられる。
兄弟国であるイストワール王国には、優先的──特に功績がなくても──に送られている。
その特権を使って、異界から何らかの超生物を呼び出して、血肉にしたのではないかというのだ。
もう一つは、龍族の血の説。
龍族とは、白き民の代表であった種族。人間が野心の触手を伸ばしてからは、雪辱を誓う日々だ。
ベトフォン家は、過去に龍族と縁があった。これは、龍騎士のことを言っているのだろう。
龍騎士とは、過去にベトフォン家が、所有していた兵種のことだ。
龍族を馬のように扱って、空を飛んだという。空中から敵を強襲し、目撃者を含めすべて殲滅する。
書物には、そのように書かれているのだ。
ただし、これはベトフォン家と旧識にあった作家の書いた英雄譚。それが、出所になっている。
これらの書物を元に、ベトフォン家には龍族の血が入っていると主張するものもいるのである。
私は、この説を強く否定したい。
これは、ベトフォン家を最強たらしめんとするイストワール王国の政治宣伝である。
✢✢✢
「まあ、素晴らしいですわ。ユグドーさん、今日も頑張っていますのね」
マリエル夫人は、称賛の声をあげる。まるで、花が咲くような雰囲気を感じさせる声だ。
ユグドーは、嬉しさを押し殺しつつ、平然を演じて仕事をこなしていった。
大霊殿の掃除をはじめてから、3日が経過した。
マリエル夫人は、都区長の邸宅に出産準備のために泊まっているのだ。
それが、どういうわけかユグドーの仕事ぶりを観察するようになった。
片付けが進むたびに、ユグドーを手放しで褒めてくれるのだ。
掃除の才能を褒められたことは、今までにも何度かある。だけど、マリエル夫人は違う。
彼女の存在自体が、ユグドーの活力になっているのだ。
夕暮れの高原のようなボブヘアは、温和そうな顔立ちを優しく包んでいる。
何よりも心を惹きつけるのは、その翡翠の瞳だ。
でも、ユグドーは手を止めるわけにも会話を試みることもできない。
都区長のことを考えれば、出来るはずもないのである。だから、我慢だ。
ユグドーは、言い聞かせる。
ベトフォン家に、大霊殿の惨状が発覚したと知った時の都区長は、地獄に落ちた亡者のようだった。
色を失うとは、あのような表情を言うのだろう。だから、これ以上は心労をかけられない。
ユグドーは、その優しさに触れてみたいという心を殺しながら、掃除を進めていたのだ。
「マリエル様ぁぁぁ!!」
ユグドーは、安堵した。迎えが来たのだ。これで、掃除に集中できる。
でも、同時に悲しくもないのに、悲しいような感情にとらわれる。不思議な気持ちだ。
「あらあら、残念。ユグドーさん、わたくしは、もう帰りませんと。これを受け取って。頑張ってくださいね。それでは、また」
マリエル夫人は、ハンカチの上にリンゴを置いて、従者のところに向かった。
昨日も、一昨日も。
ユグドーにとって、それは仕事の後の楽しみになっていた。
ただ、ハンカチは困る。洗って返したくても、触れるわけにも行かない。
都区長に取ってもらうのだ。この3日間は、ずっとその繰り返しだ。
「やれやれ、またお越しだったのか。マリエル様。ユグドーは、立派な青年だ。大丈夫だと思うが、絶対に間違いを起こすなよ。このハンカチは、受け取っておくよ」
都区長は、手袋をはめるとハンカチを取って、綿袋に入れた。
ユグドーは、疑問に思う。間違いとはなんだろうか。
怪我をさせるとか、危険な目に合わせてしまうということなら、十分に気をつけている。
そのために、近寄らずに話もしないのだ。
廃材をを置くときは、なるべく遠くに置くようにもしている。
「あの、マリエル様に感謝を伝えてください。とても、名誉なことだと」
「あぁ、いつも伝えているよ。ユグドー、酒場は使っているか? あそこには、酒もある。疲れを癒やすあらゆるものがそろっているぞ。酒場の主人に聞いたが、一度も利用してないようだな?」
都区長は、首の後ろをさすりながら息を吐いた。酒場は、酒飲みの集まる場所だ。
リトゥアールでは、夜も眠れないほど騒ぐ声が聞こえていた。
正直な話、あまり好きではない。
「ユグドー、根を詰めすぎて。あぁ、いや。作業は、早く終わるにこしたことはない。一日も早くだ? でも、疲労で倒れられても困る。マリエル夫人に悪影響があるかもしれんだろ。だから、休んでほしい」
都区長は、マリエル夫人が置いていったリンゴをユグドーに手渡してくれた。
そして、掃除が進んで綺麗になっていく、大霊殿を見て、顔をほころばせた。
その日の作業を終えたユグドーは、少し迷ったが酒場に行くことにした。
都区長の好意を無下にしたくなかったからだ。
✢
ジェモーの北部の外れに酒場はあった。ユグドーの自宅は、南にある。
帰り道は、足がつかれるくらい歩かなければならないだろう。
木造作りの縦長の建物。軽煉瓦で作られた片流れの屋根である。
リトゥアールの酒場よりも小さい。ジェモーの街並みに合わせたのだろう。
この街は、建物が小さい。おそらくは、大霊殿をより、神秘的に見せるためではないかと思われる。
ユグドーは、扉を開けて中に入った。いくつかのテーブルが並んでいる。
何人かの騎士たちは、座って酒を飲んでいた。飛び交う大声に、耳をふさぎたくなる。
ユグドーは、カウンターに行く途中に何人かの女性とすれ違った。
生気のない顔つきで、給仕をしていた。同じ女性でも、マリエル夫人とは大違いである。
仕事が楽しい。そんな感情は伝わってこない。
騎士たちに、手招きをされて無理やり座らされているようすも見える。
(嫌な場所だ……。騎士たちの目が、気持ち悪い。こんなとこ、休めないよ)
「おう、カワイイ顔のお兄ちゃん。アンタか。都区長の言ってたラッキーな男。ん、酒かい? それともアレかな?」
この酒場のマスターだろう。
彼の後ろには、酒樽が積み上がっている。樽から漏れ出す酒の匂いが強烈だ。
「水を貰えませんか?」
マスターの顔は、嘲笑を隠すように痙攣している。何処からか、声が聞こえてきた。
「水なら、広場の噴水でも飲んでろよ。コップなら買ってやるぞ?」
奥のテーブル席に座る頬に傷のある男が、言ったのだろう。その男の両脇には、女性が座っていた。
二人の女性は、俯いている。笑い声が、そこらじゅうから聞こえてくる。
酒の匂いも、そうだが。嫌な気分だ。人生の全てを否定されているような胸に響くものがある。
「ディアークの兄貴。この青年はな。都区長の知り合いなんだ。あまり、からかわないでくれよ」
え?
ディアークと呼ばれた男は、コップをそっと掴むとゆっくりと持ち上げて少し飲んだ。
また、そっとテーブルに置いた。どこか品を感じる飲み方だ。
周りの騎士と比べても、それはよく分かる。
「ディアーク? アハッ、ハハハハ。やっぱり、ディアークだ。相変わらず無理してるよね。無骨を気取っても上品さが隠れてないよ?」
先程よりも、大きな笑い声が起きた。喧嘩を煽るような騎士たちの声。罵声が、飛び交う。
「ん、嘘だろ……。お前、ユグドーか?」
ディアークは、酔いのさめた表情で立ち上がった。声にならない低い声をあげながら近付いてくる。
間違いない。ディアークだ。生きていた。
✢✢✢
ヴォラントの冒険譚に曰く。
私の生きている時代は、酒は全てのものに楽しまれている。
当時、ユグドーの青年期では貴族と騎士の飲み物であった。
そのために、市民が酒を飲みたければ、騎士になるしかない。
この時代、酒の飲み方で貴族階級出身か、成り上がり騎士かを見極めることができたのだ。
貴族階級出身は、お茶会で飲むお茶と同じように酒を嗜むのだ。
しかし、成り上がり騎士は、豪快に飲む。溢れようが、喉を鳴らして飲んでいた。
酔って問題を起こすのも、成り上がり騎士が多かったという。
また、給仕をする女性の多くは平民だ。彼女らは、家族のために働いている。
無論、酒を運んでいるだけでは大した金にはならなかったようだが。
人間の社会には、多くの歪がある。それらは、大抵の場合、歪のまま見捨てられる。
しかし、それは大きな穴となり、やがて国をも飲み込む底なし沼に変わることもあるのだ。
そうして、滅びた国は、書き尽くせない。
名も知られぬ国は、星の数よりも多いだろう。
【ユグドー、人に絡まれる編】完。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます