ユグドー、異界人との交流編

 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 この世界の海は、ドゥオール海と呼ばれているが、それは総称だ。


 例えば、アンフェール大陸のイストワール王国とオグル大陸のアミュゼ王国を結ぶ海がある。


 その名前は、ピュール海と呼ばれている。ただし、これは、イストワール王国側からの名前だ。


 アミュゼ王国から見て南の海は、バァーバル海と呼ばれていた。


 私は……。イストワール人なので、ピュール海と呼んできたし、これからもそうだ。


 意志のない山川草木などの名前は、複雑なものだ。名乗らないので、人間が決めるしかない。


 ユグドーは、イストワール王国領の最北にある漁村に流れ着いていた。


 この小さな漁村で、船の掃除や靴磨きをして生計を立てていたのだ。


 この漁村に名前はない。何故なのか、それは分からない。


 イストワール王国でも公式記録のなかで黒塗りにされている部分だからだ。


 それは、一人の海賊が関係している。この時代、ピュール海で、名を馳せていた異界人の名だ。



✢✢✢



「ユグドー。おかげで、キレイになった。シードラゴン様も喜ばれることだろう」


 黒曜石のように磨き抜かれた靴を受け取った村長の顔は、とても明るい。


 いい仕事をしたのだろう。


 ユグドーは、安堵した。掃除の才能は、王都メモワールの貴族も唸らせたほどだ。


 自信がなかったわけではないけれど、こればかりは、渡してみなければわからないのである。


 磯風が、心地よい。初めて訪れたときは、あれほど不快だったのに。


「よかった。シードラゴンさんは、もうすぐ戻られるのですか?」


 村長は、靴をながめて惚けていたが、ユグドーの声に我に返ったようだった。


 ユグドーに紙袋を丁寧に渡してくる。中身は、パンとミルクだ。


「そうだね。そのはずだよ。だから、贈り物も用意したんだ。宴の準備もすでに始めているからね」


 ユグドーは、お礼を言って紙袋を受け取った。


 まだ、朝も早いのだが、村人たちはすでに起床している。


 全ては、シードラゴンのためだ。小さな漁村で、漁具も古い。採れる魚も少ない。


 その殆どは、領主である貴族に徴収されるのだ。貴族が食べない部位や残飯が、村人の食料となる。


 ここの領主は、イストワール王国国王ルロワの甥である。


 その地位を利用して、横暴な統治を推進していた。貧困にあえぐ領民。


 そんな状況を変えた男がいた。まともな家など数えるほどしかない廃村。


 救世主となった男。


 海賊シードラゴンである。


 彼がいなかったら、流れ者のユグドーを漁村に住む人々が、受け入れることはなかっただろう。


 シードラゴンは、イストワール王国と敵対するアミュゼ王国の商船を襲って、金銭を略奪していた。


 それらを、イストワール王国の北部沿岸の漁村にばらまいていたのだ。


 その代わり、漁村は海賊船の停泊を許可して、彼らを歓待していた。


 ユグドーは、漁村の掃除の他にも、海賊船の清掃も行ってあり、シードラゴンとも交流がある。


 その日、ユグドーが磨き上げた黒い靴は、みんなで作り上げた。


 シードラゴンの靴が、ボロボロになっていることに気付いた村人が提案。


 村人たちの思いを込めた靴を送ろうということになったのだ。



 昼すぎの漁村。早朝から大騒ぎだった漁村も静かになりはじめた。


 いつもより帰りが遅い。宴を楽しみにしていた子どもたちも、寺院で無事を祈りながら眠っていた。


 ユグドーは、リュンヌ教のことを旅の中で、ある程度は、学んでいる。


 海賊の無事を祈られて、聞き届ける神や精霊は、いないだろうと思いつつも、気持ちは理解できた。


 ユグドーにも、かつて無事を祈った気のいい連中がいた。長年の付き合いではなかったが。


 家族になりたいと、心の片隅に思ったことがあるのだ。


 漁村の大人たちは、漁港で待ち続けていた。カモメたちが、同じような歌を何度も歌う。


 村民の誰もが、海を見つめている。


 遠くに船が見えた。ポルデヴォン号だ。


 すぐに分かる。イストワールのものともアミュゼのものとも違う。帆柱があるからだ。


 帆柱とは、シードラゴンがそう呼んでいる何かだ。実際には、この世界の海では、なんの意味もない。


 シードラゴンは、これがある方が落ち着くという理由でつけている。


 とにかく、ポルデヴォン号に間違いない。漁港の村人たちは、大声で叫んだ。


 腕がちぎれんばかりに、手を振っている。


 ユグドーは、そんな光景を見ていると、幸せな気持ちになった。


 ポルデヴォン号が、近づくにつれて魔術の匂いがした。悪魔の力を宿すユグドーにしか分からない。


 法願魔術。祈りの力によって、行使されるものだ。主に、リュンヌ教国が使う。


 法願魔術の前では、王国の宮廷魔術師であろうとも、子供の手品と言われる。


 簡易禁術レベルと、ユグドーの中にある悪魔の残滓が告げていた。


(……シードラゴンさんたちが、使ったのかな。ありえない。リュンヌ教国が、海賊に手を貸すことなんてない。だったら、なぜ?)


 シードラゴンは、ポルデヴォン号の船首に立って、魔術銃を天に向けて発砲する。


 ますます歓喜する漁村の大人たち。その声に目を覚ましたのか、子どもたちも集まってきた。



 何度目の宴だろう。海賊たちは、飽きもせず略奪品を自慢したり、村人と分け合ったりしていた。


 アミュゼ王国の貴族たちの口に入るはずだった酒や食料を豪快に食べる。



「宗教ってのは、この世界でも金になるんだな。ユグドー。おっと、靴ありがとな。まるで、黒ダイヤの輝き。大事にするよ」


 宴も落ち着きはじめた虫夜。飲み疲れたものから、眠りについた。


 焚き火の音と、虫の声がよく聞こえるようになったので、ユグドーはやっと落ち着けたのだ。


「ユグドー。宴は嫌いか? この世界はいい。力こそすべて。ややこしくないのもいい。魔術もいいな。海の化け物もいい。リュンヌ教だっけか? あれもいい。信じたりはしないけどな。ハッハハハ」


 シードラゴンは、アミュゼ王国貴族の口に入る予定だった肉を頬張った。


 勝利の美酒に酔いしれるとは、彼のことを言うのだろう。


「人は苦手です。シードラゴンさんは、この世界の人ではないんですか?」


 ユグドーの言葉に、眉をひそめるシードラゴン。食いかけの肉を皿に戻した。


「こっちでは、よくあることなのか? 俺はな。元の世界でも海賊だった。ただし、私掠船のな。ある日、略奪した物の中に変な絵を見つけたんだ。クスヴァプナという名前の絵だ。その絵が、そう自己紹介をしたのさ。ハッハハハ」


 シードラゴンは、大声で笑った。その声に驚いたのか、虫が鳴くのをやめた。


 からかわれたのかと、ユグドーが小さく息を吐くと、シードラゴンは、ユグドーの頭に手を置いた。


「俺は、死に際にその絵にこう言われた。悪夢の続きを見たくはないか、とね。俺はなんて答えたと思う?」


 シードラゴンは、薄茶色の顎髭を手でさすりながら聞いてきた。


「見たいと答えたから、ここにいるんだよね。その絵が、召喚の鍵になったってこと?」


 シードラゴンは、黒い目玉を興味深そうに動かした。そして、大きく頷く。


「この世界は楽しいよ。リュンヌ教国は、世界宗教だろ。そして、この世界には、他に宗教がない。富はすべてリュンヌ教国に向かう。まるで、ロー……。俺の世界の国の名前を言ってもわからんよな。これからも、狙わせてもらおう。ハッハハハ」


 ユグドーは、背筋が寒くなる。お腹の底を捻られたような感覚を覚えた。


 法願魔術の痕跡、今回は、とくに太っ腹で上機嫌なシードラゴン。


 彼の部下までもが、村民にお金を配っていた。


「シードラゴンさん、まさか。リュンヌ教国から略奪をしたの!! それって、布施船だよね?」


 シードラゴンは、ニヤリと笑った。悪びれもしない。恐れもしない。


「俺は、別の神を信じてるんだ。この世界では、地獄におちんさ。ハッハハハ」


 そんな精神論を語っているのではない。ユグドーは、シードラゴンの無謀さに怒りを覚えた。


 シードラゴンとその海賊たちは、間違いなく神罰執行対象になる。


 リュンヌ教国の神罰規定によると。


 最も軽く、討伐の優先度が低い『神罰候補』


 自国の剣聖や教門騎士に討伐を命令する『神罰対象』


 そして、最も重い『絶対神罰対象』である。


 世界中の勇者や聖女だけではなく、リュンヌ教国に神門騎士団。世界中の剣聖が討伐に乗り出す。


 これらは、リュンヌ教を教わるものが、最初に学ぶことだ。


 シードラゴンは、異世界の人間。


 知らなかったのだろう。無理もないことだが、リュンヌ教国は、それでも許さないはずである。


「ユグドー。案ずるなよ。俺はな……。元の世界では、信じられない物を沈めたんだ」


 シードラゴンの顔は、不敵に歪んだ。青き月にすら喰らいつきそうな表情であった。





「あぁ、この村を神罰執行対象にすると書いてあるよ……」


 村長は、リュンヌ教国の使者が持ってきた書状を手に、見て分かるほどに震えていた。


 この世界の人間にとって、リュンヌ教国は、頭だ、腕だ、腹部だ、足だ。全てなのだ。


 どんな犯罪者も、無辜の悪人も、転輪聖王リュンヌに救いを求める。


 それは、人間の最後の良心だと教えられてきたからだ。でも、この漁村の人たちは……。違う。


「村長、シードラゴン様から受けた恩。返すときですよ。漁村総出で守りましょう。古びてはいますが、漁具も武器になりますよ」


 村人の一人が、声を上げる。それに、みんなが続いた。もう後戻りはできない。


 神罰執行対象となった以上、シードラゴンたちの身柄を引き渡しても無駄だろう。


「ユグドー。君はどうする? 部外者である君を巻き込むわけには行かないよ」


 シードラゴンは、言った。「信じられない物を沈めた」という言葉を。


「また、逃げるのか?」ユグドーの中で、もうひとつの言葉が、浮かんだ。


 ユグドーは、残ることを告げた。ともに戦うと、決意のない返事を彼らは、歓迎してくれた。



 シードラゴンと、その海賊──私掠船船長と呼べとシードラゴンから言われた──は、強かった。


 燃えた船や爆発する船。


 果ては、海中から体当たりする船などを次々と、リュンヌ教国の船団に突撃させた。


 村人たちは、その勝利を祝った。また、シードラゴンと宴ができると喜んだ。


 ここに、ディアークがいたのなら、僕よりも早く気付いたに違いない。


 リュンヌ教国の船団は、罠だった。


 人間は、海賊を名乗ろうが、私掠船船長を名乗らせてもらおうが、魚にはなれない。


 生きていくためには、陸地が必要なのだ。


 リュンヌ教国の狙いは、最初から陸地にあった。つまりは、この小さな漁村。


 ひいては、イストワール王国北部沿岸にある漁村全てだ。


「わしが、行って交渉してこよう。シードラゴン様には、リュンヌ教に改宗して貰えばいい。なぁに、心配はいらない……ヘヘッ」


 リュンヌ教国による苛烈な漁村潰しで、村長は、正気を失った。


 この漁村の目前に迫った教門騎士の集団に、村長は単身で、交渉に向かう。


 ユグドーは、心の底に眠る悪魔の呼び声をおさえるのに必死だった。


 寺院で、子どもたちを守るように頼まれたユグドーだったが、村長の話を聞いて、寺院を飛び出した。


「良いかッ!? 神罰執行対象となったものは、残らずこうなるのだ。よく見ているがいい。あぁ、リュンヌ神よ。この者を清める剣を与えたもう!!」


 村長は、教門騎士の剣の前に魂を砕き斬られた。それが、号砲になる。


 次々と、漁村に踏み込んだ教門騎士を前に、漁具など役に立たない。


 まるで、魚釣りのように村人たちの悲鳴は、空高く舞い上がり、地面に打ちつけられた。


 彼らは、寺院をも焼き払おうとした。


 それだけは、絶対にしないだろうと、子供たちを寺院に避難させたのだ。


 神罰執行対象になるということの恐怖を、身を持って知らしめられることになった。


 ユグドーは、閉じ込めていた悪魔の呼び声が、叫び声に変化するのを感じる。


 抵抗する漁具も壊れた。悪魔と契約をして、得た魔術も効かない。


 寺院を守る親たちは、すでに燃やされていた。


(もう、無理だ。せめて、せめて、子どもたちだけでも。でも、魔術も効かない。どうすれば……)


(親のところに帰れたのは、君のおかげだ。ユグドー。力を貸してもいいよ)


 声だ。故郷の村で聞いた。悪魔の声だ。昼なのに、夜のような景色。


 虫の鳴き声が聞こえる。それを蹂躙する獣の遠吠えも。


 今しかない。ここしかない。


(ユグドー。心を解放して。一緒に戦おう)


 真っ赤に燃える視界。怒りが、怒りの太陽が、ユグドーの中で生まれた。


 教門騎士の剣など、紙で作った子供の工作だ。


 鎧は画用紙だ。何人もの教門騎士が、陸に打ち上げられた魚のように死を待っている。


 何をしているのだろう。怒りに燃える自分を、冷徹に見つめる自分がいる。


 とても、冴えた頭で見る自分。


 汚い罵倒の言葉が、自然に心の底から吐き出された。愉悦と疲労が交互に、顔をのぞかせる。


 これが、悪魔の宴なのだろう……



「ユグドー、これはどういうことだ。村人が、それに教門騎士とやらか? こいつら」


 シードラゴンが、ユグドーの後ろに立っていた。周りを見回してみる。


 ほとんどの家は燃え落ちて、半壊した寺院の前で、子供たちが泣いていた。


 遠くに教門騎士の神旗が見える。まだ、ここに攻めてくるつもりだ。


「やっぱ、私掠船だけじゃ……。つらいなぁ。国の支援がほしいな。ハッハハハ。補給を受けられないのは、痛い。ユグドー。俺たちは、陸戦だって得意だぞ。やるか?」


 シードラゴンの目は、言葉通りの力を宿していなかった。


 漁村から聞こえてくるのは、悲痛な声だけだ。夜になっても、しばらくは虫も泣かないだろう。


 昼になっても、カモメたちもよりつかない。全ては、死んだのだ。


「シードラゴンさん。僕がすべて破壊する。村も、ポルデヴォン号もね。だから、子どもたちを連れて逃げて。いつか話してくれたよね。生き残るために、大切なものを捨てることも大事だって。今がその時だよ。……ぁ、く、靴、汚れてないね?」


 ユグドーは、別れの言葉として語った。シードラゴンの返事を聞く前に、心の中の悪魔を呼んだ。


 シードラゴンは、ただ変わりゆくユグドーの姿を、悔しそうに見つめていた。


「ユグドー、お前に磨いてもらった靴。汚すわけがないだろ。さらばだ。俺を非情な男と呼ぶか? 俺は逃げる。あの子達を連れてな。そして、戻ってくる。あの子らを立派な復讐者に育ててな。必ず潰そうぜ。リュンヌ教国。俺はな。あんな国を潰したくて仕方がないんだ……」


 ユグドーは、返事をしない。


 ただ、生き物がいなくなった漁村や異界の船をすべて破壊するのであった。



✢✢✢



 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 リュンヌ教国によると、イストワール王国北部沿岸地帯の漁村を一夜で、滅ぼした悪魔がいたという。


 かの悪魔によって、異界から事故で召喚された男と現地人が全て殺されたとされる。


 同時期には、名もなき男の子が、神罰執行対象に選ばれた。


 名前は公表されていないが、研究者の間では、ユグドーであると、推測されている。


 さて、小さな漁村の名前だ。


 イストワール王国の記録からも抹消されたために、未だに分かっていない。


 これは、リュンヌ教国の指示によるものと噂されている。


 そのことから、一部の研究者からは、この話は創作の可能性があると指摘されている。


 その証拠として、挙げられる名前が、イストワール王国にとっては災厄の名前。


 イストワール王国ルロワ国王の甥であり、北部方面総括大公ガーランド・イストワールだ。


 一方で、シードラゴンの行方だが、ガーランド・イストワール同様に、また別の機会に話そうと思う。


 【ユグドー、異界人との交流編】完。

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