ユグドー、黒い太陽を知る編
ヴォラントの冒険譚に曰く。
突然だが、魔王とはなんだろうか?
リュンヌ教国が、発行流布する「リュンヌ経典」には、このように定義される。
リュンヌ神は、黒き民との決戦後、この精霊世界リテリュスを白き民──人間や妖精種──に預けた。
その際に、黒き民の生き残りを監視するように白き民に伝えたという。
黒き民には、二通りある。
黒曜族と魔王族。
前者は、エールデ大陸に封印。後者は、エールデ大陸以外の各大陸に存命。
魔王族は、黒き民の中で、唯一リュンヌ神に降伏した種族だ。
これが、魔王の祖先であるとされる。
やがて、人間は、白き民のリーダーを自称して精霊世界リテリュスを支配。
リュンヌ教国は、黒き民を監視するために「勇者と聖女」を作り出した。
リュンヌ教国が、定める特別な儀式にもとづいて、選ばれた人間が任官される。
その儀式は、各国の大本山で行われていたのだ。
しかし、イストワール王国だけは、違っていた。彼の国では、勇者と聖女は、名ばかりの存在なのだ。
それは、世界中で尊崇される武門の棟梁、ベトフォン家が存在していたからである。
✢✢✢
「やっと、属領下出来たってときに迷惑な幽霊さんたちだな……まぁ、ここいらが……」
いつもの酒場。ディアークは、テーブルに足を乗せて大きなため息を吐いた。
「今日は、すでに何件か行商人が、襲われたそうですね」
イストワール王国の若い騎士が、眉尻を下げて答えた。声には、疲労の色が見える。
ディアークは、ゴーストを幽霊と表現した。
リュンヌ教的には、野良の魔物でも魔王の配下でもない。未確認生物とされる。
一部では、黒き民の生き残りだと主張する人間もいるそうだ。
ユグドーは、ディアークの認識を知りたくなった。ゴーストをどう捉えているのだろうか。
「ゴーストって魔王の配下でも、野良の魔物でもないんでしょ?」
「あぁ、そうだ。ユグドー。俺は、悪魔の子供だと思ってるよ。悪魔は、放任主義なんだよ?」
ディアークは、ユグドーをからかうように笑う。
それを火種として、昼間の酒場は、夜の酒の席のような雰囲気になった。
「ディアーク、真面目な話なんだけど……」
ユグドーは、悪魔の子供を知っている。故郷の村で、捕縛されていたからだ。
人間などよりも、親子の繋がりは強いはずだ。
「ハハッ、すまんな。ユグドー。そう、怒るなって。幽霊さんには、剣も弓矢も通用しないからな。行商人を守る隊商もお手上げらしい」
ユグドーは、自分の皿に残ったデザートを半分ほど、ユグドーの前に置いた。
「ええ、でも、火の魔術には弱いらしいですね。しかし、魔術師を雇うのは高値ですからね。それに……」
「魔術に惹かれて、余計に集まるんだろ?」
「ええ、そのとおりです」
ユグドーは、デザートと睨み合う。
しかし、最近になって、その美味しさを知ってしまったので我慢ができなかった。
「で、イストワールさんはどうする?」
ユグドーは、デザートを食べながら、ディアークの顔を見る。勝ち誇った顔のディアーク。
「ゴーストが、魔王の配下であると主張するものがいます。なので、ターブルロンド帝国の勇者……。いえ、ベトフォン大公に救援要請をすべきかと」
イストワール王国の若い騎士は、慌てた様子で声をうわずらせた。
彼が、ターブルロンド帝国の勇者と言った瞬間に、ディアークが嫌な顔をしたからだろう。
「冗談だよな? ターブルロンド帝国の勇者サマに活躍されたら、イストワール王国のメンツは丸つぶれだぞ? 俺らの金をドブに捨てるのか?」
ユグドーは、イストワール王国の若い騎士を気の毒に思った。
ディアークは、イストワール王国に招かれたとはいえ、マーシャル人だ。
イストワール人である若い騎士としては、プライドもあるだろう。
「ディアーク、僕が時間稼ぎをするよ。ゴーストなら、僕の魔術でも消せるしさ?」
先日、ユグドーはそれを証明したばかりだ。ディアークも奥の手になると、喜んでいた。
「相手は、悪魔の子だ。危険だし、そんな必要はないよ、ユグドー。俺に作戦ありだ」
ディアークは、ユグドーの皿が空になったのを見て、自分のデザートの残りを再び皿の上に置いた。
✢
ディアークは、すでに動き出していたのだ。リトゥアール近郊に、木造の砦を建設したらしい。
そこには、ターブルロンド帝国の捕虜を収容したという。帝国の魔術兵だ。しかも、飢餓状態で。
すでに、現場の近くでは、ゴーストの目撃も確認されていると、ディアークは語る。
「砦に一人分の食料を運ぶつもりだ。何が起きるか、分かるかな?」
ユグドーは、心臓が痛くなった。ディアークの迷いのない声に、背筋が寒くなる。
「なるほど、争奪戦になるな。喜色満面のゴーストどもが、集まるというわけだな」
イストワール王国のリトゥアール駐留司令が、テーブルを叩いた。
「後は、駐留司令様の許可待ち。火矢の準備も完璧ですよ。ん、なんだ?」
ディアークのもとに、行商人風の男が駆け寄る。耳元で何かを囁いて、金袋を受け取った。
「どうした? ディアーク君?」
「親玉が、砦近くで目撃された。やるなら、今日かな? それとも、ベトフォンの旦那を待つかい?」
行商人らしき男は、その金袋を持って店の奥へ駆けて行った。
それを、冷ややかな目で見つめるディアーク。
「良かろう。ディアーク君ならば、上手くやってくれるだろう。許可する」
「ディアーク、非道が過ぎると思う。捕虜だって人間だよ。非道は、報いを受けるよッ!!」
ユグドーは、少しだけ語気を強めた。怒りだろうか。人間に対する。
「司令、自分も反対です。ここ最近のディアーク様の作戦は、苛烈さを増しています……。特に、ターブルロンド帝国の捕虜に対しては……」
「うん、嫌な予感がするよ。ディアーク」
「ユグドー、戦争は非道なものなんだ。捕虜にタダ飯を喰わせるつもりかい? 俺は、彼らに仕事をさせてるんだよ。美味しいご飯を食べれるようにね。今回は、仕方がない。魔術兵は、一般兵よりも金がかかるんだよ」
ディアークは、ユグドーの頭に手を置いた。そして、優しい声色と眼差しを向ける。
「ユグドー、今回の作戦からは外れてくれ。何だっけ、あの魔術師。ほら、玉磨きの。アイツに、魔術でも習っててくれ。ユグドーには、これから活躍してもらいたいしな。それじゃ、俺は行くよ」
ディアークは、テーブルの上に金貨を数枚置くと、カウンターにいる店主に手を振った。
ユグドーは、ディアークの背中を見守ることしか出来なかった。
戦争は、非道。それは、ユグドーも感じていることだ。ディアークの意志は、誰よりも強い。
「……司令。ベトフォン大公は、このようなことを許すでしょうか?」
「我が忠勇なる騎士と、ユグドー君。案ずるな。ベトフォン大公にも報告はする。我は、ディアークとその傭兵団の絆とやらを信じてるよ。家族の絆を」
イストワール王国の駐留司令は、酒の入った杯を飲みほした。
✢
数日後。
ユグドーは、ベトフォン大公が動かないのではないかと、不安になっていた。
その足は、魔術図書館に向けられる。魔王について、調べるためだ。
不死魔王。
このリテリュスにいる魔王族の中でも、特に存在感のある四大魔王の一柱だ。
ゴーストは、不死魔王の配下なのではないかと、ユグドーは考えた。
自分の中に眠る悪魔の知識が、そう告げているような気がしたのである。
四大魔王の中でも、いや、魔王族の中でも不死魔王は異常であった。
やがて、配下をも喰らう不死の狂喜を持っているとされる。
また、他の魔王と違う特徴がもう一つある。死の気配と呼ばれるものだ。
端的に言えば、オーラのことである。
死の気配は、生者に向けられると、死を渇望するようになるとされる。
これを無効化するには、勇者の伴侶である聖女の力か、リュンヌ教国の巫女姫の力。
もしくは、大盾使いの肩代わりが必要だという。ただし、大盾使いは、大国にも一人いるかどうかだ。
もっとも現実的なのは、勇者と聖女で対抗することである。
ユグドーは、その不死魔王に関する資料や伝記などの本を何冊も借りた。
ディアークに見せるためだ。ユグドーは、リトゥアール近郊の砦を目指そうと急いだ。
図書館を慌てて出たユグドーは、号外を配る商人とぶつかった。
「あ、すみません。急いでいたもので。その、号外を一つください」
ユグドーは、お詫びも兼ねて、お釣りはいらないと銅貨を一枚渡した。
「おー。子供のくせに太っ腹だね。はい、飴玉もオマケしてあげよう」
ユグドーは、あまり嬉しくなかったが、好意を素直に受け取るふりをした。
号外に目を通す。
(え、これは……。ターブルロンド帝国が、砦を建設。リトゥアールの市民を人質に立てこもる……)
しかし、ファミーリエ傭兵団に追い詰められ、砦に火を放って逃げ出したと書かれていた。
その際に、行商人たちを脅かしていたゴーストたちも討ち取られたと、新聞は伝えていた。
(ディアークだ。作戦は成功したんだ。よかった。でも、きっと……。たくさんの捕虜が……)
ユグドーは、人間に対する憎しみが、わいてくるのを感じていた。
頭を振って、新聞を片付けようと、折りたたむ。
(ディアーク氏、ゴーストは、ターブルロンド帝国が使役したとして、リュンヌ教国の介入を求める。白き民が、黒き民の力を行使したと語る。神をも恐れぬ蛮行であると、同氏はいきどおる。ディアーク……。リュンヌ教国を味方につけるつもりなんだ)
ユグドーは、この街にリュンヌ教国が来るかもしれないと考えた。
リュンヌ教国は、黒き民の中でも魔王と悪魔には、慈悲をかけるべきではないと主張していた。
ただ、リュンヌ経典には黒き民に対しては、慈悲と忍耐を持って「専守防衛」せよと書かれている。
今回のディアークの発言は、リュンヌ教国にとっては、願ってもないチャンスではないか。
(僕は、ここにいてはいけない。僕と関わったことが、リュンヌ教国に知れたら……)
リュンヌ教国は、ユグドーの中に眠る悪魔の存在に気付くだろう。
ディアークは、ユグドーを家族として受け入れると言ってくれた。
ディアーク。
ユグドーは、何度も名前を呟いた。呟くたびにその声は、小さく震え、かすれていったのである。
✢✢✢
ヴォラントの冒険譚に曰く。
私は、ユグドーがディアークに書いた手紙を入手した。
そこには、彼への批判と別れの言葉のみが記されていた。
専門家たちの意見は、ユグドーはディアークに対して、批判的になっていた。
この手紙は、決別の手紙だとする意見が大半。
私は、その意見には、反対だ。
なぜか? この手紙は、所々に濡れたあとがあるからだ。
そして、何よりも手紙が、捨てられもせずやぶられもせずに残っているからである。
ユグドーが、リトゥアールを去ったあとにファミーリエ傭兵団は、壊滅している。
不死魔王が、リトゥアールを襲撃したためだ。
結局は、援軍として派遣されたベトフォン大公によってリトゥアールは、防衛に成功。
ユグドーの行方やディアークの生死については、しばらくの間、不明であった。
【ユグドー、黒い太陽を知る編】完。
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