ユグドー、尋ね人に会う編

 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 城塞都市リトゥアール。ターブルロンド帝国が、帝都防衛のために建設した新興都市だ。


 ターブルロンド帝国は、多民族国家。リトゥアールには、様々な人種が住んでいる。


 ここは、移民や亡命による研究の成果が、集まる場所だった。


 帝国の富国強兵策の中心地は、ファミーリエ傭兵団の活躍で、イストワール王国によって陥落。


 ユグドーが、探していた人物は、ブーゼという魔術師であった。


 この時代においては、彼こそ人類最高の魔術師と噂されていたのだ。


 彼は、魔術より生み出された魔術兵器をターブルロンド帝国に献上していた。


 しかし、ターブルロンド帝国は、彼の作った兵器を操ることができなかったのだ。


 ユグドーは、彼の工房を何度も訪ねたと記録されている。



✢✢✢



 実に都合のいい大災害だ。


 城塞都市リトゥアールにある貧民街だけを狙ったように、あらゆる天災が起きたらしい。


 しかし、上級市民や普通の市民にも影響はあった。災害ではなく、包囲戦の影響だ。


 多くのものが、鉛の空を移したような灰色の顔を地面に向けていた。


 食料は、軍に優先的に流されていたようだ。上級市民といえども、満足に食事すら出来ていない。


 そのような状況だった。


 路上に置かれた人や動物の死体が、鼻を削るような匂いを放っている。


 物乞いの声が、そこらじゅうに反響していた。


 ユグドーは、ディアークにもらった地図を見ながら、ある場所を目指していた。


 瓦礫の山は、大災害の爪痕ではない。人々の暴動のあとだと、イストワール王国の騎士は嘆いていた。


 リトゥアールの中央区にある小さな研究所。近寄りがたい雰囲気を痛いほど感じる。


 天井の煙突からは、煙が出ていた。リトゥアールで唯一、活きている建築物だ。


「すみません。ブーゼさんはいますか?」


 暗い屋内の奥には、大きな釜がある。薬草を煮詰めたような匂いと、何かが煮立った音が聞こえた。


「望みはなんだ。魔術兵器か……イストワール人よ」


 声帯が、潰れたような声。警戒感よりも、嫌悪感を感じる口調だ。


「いえ、そんな物に興味はありません。魔力をコントロールしたいんです。その方法を教えて下さい」


 ユグドーの質問に答えたのは、ブーゼなのだろうか。分からないが、そうだと仮定した。


「何故、コントロールをしたい?」


「大切な人が、もし……。もし、出来たら、魔力の暴走で、傷つけたくないからです」


「そなたの力で、誰かが傷つくかなど分からない。本当に傷つけたら、来るがいい……」


 ブーゼと思しき人物は、静かな口調に変わる。個性も感情も感じさせない。ただ掠れた声である。


 ユグドーは、言葉に詰まった。確かに、まだ大切な人を傷つけてはいない。


 魔物を何匹か消したことはある。でも、もし魔力の暴走が、無辜の人を消したら、どうなるのか。


「分かったら、帰るといい」


 その声には、対話を続けようとする気持ちを削ぐ力があった。


「そ、それなら。うん。弟子にして欲しいです。そうしたら、ブーゼさんは、大切な師匠になります」


 ユグドーは、対話ではなく交渉に切り替えた。


 自分の魔力をコントロールできなければ、ブーゼに不利益があると、思わせたかったのだ。


 それでも、拒絶されたら諦める。ユグドーは、入口からは、一歩も入らなかった。


「なるほど、悪魔の思考か。君の名前は?」


 ユグドーが、自己紹介をする。ブーゼと思しき人物も、自分の名前を名乗る。


 やはり、ブーゼその人であった。



「それで、九つの宝玉をもらったのかい? 全て磨き上げたら、弟子にしてやると?」


 リトゥアールの酒場で──イストワールが、入植させた給仕たちが経営──宝玉を磨くユグドー。


 ディアークは、カウンターに並ぶ汚れた九つの宝玉を懐疑的な表情で見てくる。


「そうだよ。正しくは、十個だ。最後の一つは、九つの宝玉を磨いたあとだよ。嘘かもしれない。でも、まずは相手の要求を飲むことで話を進めたいんだ」


 ユグドーは、手拭いで宝玉の表面についた汚れを拭い取る。


 宝玉の表面には、真剣な表情の子供が映っていた。


「悪い魔法使いなんじゃないか? ターブルロンド帝国の協力者なんて、詐欺師だと思うね」


 ディアークは、白銅色の短い髪をかきあげて、そのまま腕を広げた。


 部下たちは、大笑いだ。それにつられて、酒場に集まったイストワール王国の騎士たちも笑う。


 笑いの大合唱が、酒場内に響いていた。楽器の音も聞こえないほどだ。


 余興とばかりに大声で笑うイストワール人たち。まるで、強すぎる日差しのように感じた。


 笑い声がおさまると、宝玉を磨く音だけが、静けさの中になりはためいた。


 ディアークは、間者を使って市民から様々な情報を聞き出していた。


 特に、リトゥアールの市民が望んでいる物資と、望まない物資を重点的にだ。


 どうやら、望む物資をイストワール王国からの配給品として、市民に供与するつもりのようだ。


 望まぬ物資は、どうするのか?


「それは、ターブルロンド帝国からの救援だということにする。俺らは、支配者じゃない。例え、敵国であっても困窮する人間を救うための行為は、無下にしない。それが、リトゥアールの市民が望まぬものであってもな……」


 ディアークによるイストワール王国のリトゥアール属領下は、ゆっくりと確実に進んでいた。



 ユグドーは、九つすべての宝玉を磨き上げた。貴族の家での経験が活かされたのだ。


 なんの苦労もなく、ブーゼの出した課題を成功させたのである。


「本気のようだ。よろしい。ならば、十個目の宝玉を渡そう。これを水晶のように綺麗にするんだ」


 ユグドーは、ブーゼの店の入り口で九つの宝玉を渡した。ブーゼからは、十個目の宝玉を貰う。


 今は、夜の闇ではない。最後の宝玉は、日差しの下にあっても輝かない。


 中に透かしてみても、太陽は見えない。汚れで包まれた真っ黒な汚い玉である。


 ユグドーは、布で拭き取った。布が擦り切れるまで、徹底的に。


 しかし、汚れ一つ落ちない。


 浄化作用のある植物の汁を塗って、丁寧に磨いても駄目だった。


 それらの汁を溜め込んだ水瓶の中で、一日つけても何も変わらない。


 浄化魔法を使える人間に頼んでも無理だった。酒にも、泥にもつけた。


 自力、他力、問わずにあらゆる方法を試したが無理である。


 ユグドーは、気分転換にリトゥアールを歩くことにした。


 以前は、塞ぎ込んでいたリトゥアールの市民たちは、活気に満ち溢れている。


 彼らは、ターブルロンド帝国の軍旗や彼の国から送られた救援物資を燃やして喜んでいたのだ。


 ディアークの占領政策は、確実にリトゥアールの市民から魂を奪っていったのである。


 ユグドーは、イストワール王国騎士たちのためだけに開店した酒場の前で足を止めた。


 ディアークの話によれば、ここをリトゥアールの市民にも開放するらしい。


 提供するのは、酒ではないとのことだ。


「よお、ユグドー。まだ、宝玉磨きの仕事をしてたのかい?」


 ディアークは、手でユグドーを制する。


 ディアークの側には、見慣れない格好の男が立っていた。


「ありがとう。これは、報酬だ。良くやってくれた。これからも頼むぞ。あ、イストワール王国での爵位の件。帝国領の獲得が進んだら、考えてもいいとのことだ。良かったな」


 ディアークは、白い歯を見せる。見慣れない格好の男に、重そうな布袋を手渡した。


「あ、ありがとうございます。ディアーク様……」


 見慣れない格好の男は、飛び跳ねるように店の奥へと小走りにかけていく。


「ディアークよお、あんなスパイ野郎に何でそこまでの大金を? いつ裏切るともしれないだろ。それよりも、仲間に金をもっと配ればいい」


 イストワール王国の騎士は、ディアークの肩を数回叩くとため息をついて他のテーブルへと移動した。


「スパイの重要性を知らん軍隊は、滅びる。スパイは、一人の騎士よりも価値があるんだ。ユグドー、無知とは怖いね……」


 ディアークは、鼻を鳴らした。その灰色の眼光は、ユグドーの黒い玉にも向けられる。


「僕は、無知にならないために。この玉を水晶に変えるんだ。何か大切なことを理解できる気がするから……。その……」


 ユグドーは、喉まで出た言葉を飲み込んだ。きっと、ディアークには何を言っても無駄だろう。


 酒場に入り浸る人間たちは、磨くことのできない黒い玉と同じなのだ。


 ユグドーは、それ以上ディアークとは、何も語らずに振り返ることもなく酒場を出た。


 その後も、あらゆる方法を試してみる。しかし、黒い玉を水晶に変えることは、できなかった。



「随分と時間がかかったな。それでも、水晶に変えることはできなかった。ようだな」


 ブーゼの無感情な口調は、相変わらずであった。結果は、予想通りだったのだろう。


「この黒い玉を水晶に変えることができません。ですから、これはお返しします」


 ブーゼは、黒い玉をユグドーから受け取った。何も語らない。


 ユグドーには、分かったことがある。


「その黒い玉は、僕自身ですね。だから、磨いても水晶には変わらなかった。だから、教えていただきたい。僕自身の心を水晶に変える方法を」


 ユグドーは、この街を見て感じたのだ。


 活気を取り戻しても、リトゥアールの人々からは、消えないものが一つある。


 暗い心だ。


 酒場に入り浸るイストワール王国の騎士たちも、黒い心を表情に映している。


「ふ、ふふふ。不正解だよ。ユグドー。これはな、ただの黒曜だ。別名、悪魔の石。ターブルロンド帝国のルグラン家が所有している鉱山でのみ採掘できる」


 ユグドーは、信じられなかった。何のために、嘘をついたのか。


 ディアークの言うとおり、詐欺師だというのか。でも、ユグドーは、時間以外は盗られていない。


 そんな詐欺師がいるのだろうか。


「大事なのは、ユグドーの心だ。黒曜になるか水晶になるか。黒曜は、すべてを黒く染める。水晶は、すべてを映す。努力こそ魔力をコントロールする」


 ブーゼは、この言葉遊びをユグドーが身を持って知る日が来るだろうと付け加えた。


 これ以上、この魔術師からは、何も学べないのだろう。心の中の黒曜が囁いた。


 無益ではなかった。結局は、自分次第ということが分かったのだ。心の中の水晶も囁く。


 ユグドーは、そう察する。この時代、最高の名を冠したブーゼの元を去るのだった……



✢✢✢



 ヴォラントの冒険譚曰く。


 ユグドーが生きた時代の最高の魔術師ブーゼ・ロバーツには、弟子はいないとされる。


 彼は、イストワール王国の貴族であったが、家も自分の子供も捨てた。


 ターブルロンド帝国に亡命して、城塞都市リトゥアールに工房を建てたのだ。


 ブーゼ・ロバーツの遺言を紹介しよう。


 珍しい石を見た。黒曜と水晶の混じり物だ。儂は、その宝石を磨いたぞ。


 ブーゼの言葉は、年をとるごとに奇っ怪な物言いになっていった。


 とくに晩年は、黒曜と水晶を磨いたという話を良く自慢げに話していたという……


 【ユグドー、尋ね人に会う編】完。

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