ユグドー、戦う術を学ぶ編
ヴォラントの冒険譚に曰く。
私は、ユグドーをただの家族愛の探求者だとは思っていない。
前にも述べたが……
彼は、いくつもの歴史の転換点に立ち会っているからだ。
今回は、その最初の出来事だ。無論、今まで書いてきた挿話も転換点になり得るかもしれない。
しかし、それはあくまでもユグドー自身の問題に過ぎなかった。
今回は、世界を動かしたと言っても過言ではないのである。
ファミーリエ傭兵団。
一時代を築いたイストワール王国専任の傭兵団である。
団長は、ディアーク・ベッセマー。元々は、マーティン公国のベッセマー子爵家の生まれだ。
ターブルロンド帝国との戦争で名を挙げて、野戦任官とはいえ、中将にまで登りつめた。
しかし、後ろ盾のない将軍など捨て駒にしかならないし、なれない。
ディアークは、身の危険を感じ、イストワール王国の招きもあって専任の傭兵となった。
それから、自分に付き従った部下たちとともに組織を拡大したのだ。
イストワール王国暦850年。
彼らは、歴史を変える戦いのさなかにあった。
✢✢✢
「よし、そっちに逃げたぞ!!」
ディアークは、剣を掲げて振り回す。包囲を完璧にせず、あえて活路を作った。
命の危機にわずかに見えた希望の光だ。飛び込まないわけがない。
こうして見ると、哀れなものだとユグドーは、小さく息を吐いた。
罠に掛かった哀れな魔物は、金網に全身を傷つけながらも暴れている。
「大物だな。ユグドー、とどめを刺してやりな」
ディアークは、灰色の瞳に夜月を映す。魔物の血で染まった白銅色の短い髪が、風に揺れた。
ユグドーは、金網に全身を喰いつかれた魔物に軽く触れる。
それだけだ。魔物は、身を縮ませて絶命した。
「よし、お前たち焼肉だ。からっからに焼きあげろよ」
ディアークは、自分と
彼らは、ディアークが、マーティン公国の将軍だったときからの部下たちである。
今日は、これで何度目だろう。魔物を狩っては、食べるわけでもない。
ただ、焦げるまで焼くのだ。それを
森は、すっかりと静かになった。先程まで、黙っていた虫たちが鳴き始めた。
森の無頼漢たちが、逃げたからであろう。
「ふー、いい風だ。虫の声もいい。魔物の断末魔よりもな……」
ディアークは、切り株に腰を下ろした。ユグドーもその少し離れた位置に座る。
魔物の肉が焼ける。焦げ臭い匂いが、漂う。
これをいい風と表現できるディアークには、賛同できない部分もある。
しかし、良い部分もたくさんあると、ユグドーは自分で自分を否定した。
ディアークは、焦げた魔物の肉を手に取る。迷うことなく豪快な歯型をつけた。
今まで、食べずに背嚢に詰めていたのにだ。
「ユグドーも食べたらどうだ? 結構美味しいぞ。……本当にいらないのか? ……いざってときに力が出ないぞ?」
ディアークは、騎士たちの間で戦時食として常用されている丸薬をくれた。
「ありがとうございます。僕は、これでいいです」
ユグドーは、丸薬を両手で持って口に入れた。苦いし、固い。だけど、お腹は満たされる。
「今回の依頼。ここからが正念場だぞ。補給部隊をイストワール王国のリトゥアール包囲軍まで護衛! これが成功すれば、イストワール王国の勝ちだ」
この森を抜け、フルーフ平原を南下したところに『城塞都市リトゥアール』がある。
リトゥアールは、ターブルロンド帝国の重要拠点の一つだ。
ここを押さえれば、帝都や主要都市への攻略の橋頭堡を得ることができる。
現在、イストワール王国は、このリトゥアールを包囲している。
ただ、敵地であるために補給が困難らしい。
これまでに、何度か失敗をしている。
正規軍が頼りにならなくなったのか、イストワール王国は、ディアークに補給部隊の護衛を依頼した。
「ユグドーは、リトゥアールにはなんの用向きなんだ? 何かアテでもあるのかい?」
ユグドーは、リトゥアールに住む高名な魔術師を訪ねようとしていたところにディアークと出会った。
ディアークと目的地が一緒だったために、ここまで行動をともにしてきたのだ。
「魔術師に会うんだ。魔術の勉強がしたくて。この力を制御する方法とか……」
ディアークは、月を見上げて低い声をもらした。どこか残念そうな響きがある。
「確かに、リトゥアールはターブルロンドでも、様々な人種の集まる場所だ。魔術の勉強にも向いているだろうね。ただ……」
眉間にシワを寄せて、魔物の肉を見つめるディアーク。
「イストワール王国の包囲が続いているから、その高名な魔術師とやらが元気でいるかは不明だ」
ユグドーは、イストワール王国がリトゥアールを包囲していることを旅先の宿屋で知った。
悪魔から得たこの力は、歳を重ねるごとに強くなっている。
早く制御する方法を学ばなければならない。魔力の流れを操るには、魔術を学ばなければならない。
ユグドーのような放浪者を受け入れてくれる場所は、イストワール王国にはない。
だから、ターブルロンド帝国のリトゥアールを選んだのだ。
「ユグドー、もしその高名な魔術師とやらのアテが外れたら俺たちの仲間にならないか?」
ディアークは、はじめてあったときから『仲間』になれと、ユグドーをしきりに誘っていた。
「仲間ですか……でも、ディアークさん。僕は、魔物の肉を食べるなんてできないよ?」
ユグドーの答えに、顔を歪めながら魔物の肉を咀嚼していたディアークは、目を丸くする。
「ハハハ、俺たちがいつもいつも魔物の肉を喰らって生きてるなんて思ってるのかい? ユグドー、そうじゃない。平時には酒も飲めるし、普通の肉も食えるぞ。おっと、これは内緒だけどな?」
イストワール王国では、酒や肉の飲食は、貴族にしか許可されていない。ディアークは、特別なのだ。
ディアークの愉快な笑い声に誘われて、部下たちの笑い声も反響した。
それは、ディアークが好んでいる虫の鳴き声よりも心地よく、温かな心を感じさせてくれる。
✢
「反対ですぞ。むざむざ、死ににいくようなものだ。隘路を通るなどと。貴君は、元はマーティン公国の将軍を努めたのだろう? 隘路の危険性は学ばなかったのか?」
イストワール王国の補給部隊の隊長は、ディアークに詰め寄った。
仮設テントの中は、険悪な雰囲気だ。薄い天幕の外からも戸惑う声が聞こえてくる。
ディアークは、谷底の道を通ると提案した。狭い道だ。しかも、ターブルロンド帝国の支配地。
危険なのは、ユグドーにも理解できた。
「まぁ、まぁ。最後まで聞いてくださいよ? 補給物資は『俺たち』が、オプファーの谷を通って城塞都市まで運ぶ。ただし、実際の補給物資ではなく魔物の肉を詰め込んだ背嚢や馬車ですがね?」
補給部隊の隊長は、片手を前に出して疑問を口にして顔を歪めた。
ディアークの部下たちは、ただ座って話を聞いている。彼の話に疑問を感じていないようだ。
「いいかな? 俺らが、谷底で攻撃を受けているうちに、本物の補給部隊を率いてこの先のフルーフ平原をリトゥアールまで南に進むんだ。その間、奴らに襲われる心配はない」
ディアークは、言い切る。補給部隊の隊長を制して、その理由を説明した。
現在、フルーフ平原では魔物が大量発生している。原因は、ディアークによる魔物狩りである。
この間に、ディアークの部下がある偽情報を流布したというのだ。
それは……
魔物らは、イストワール王国の補給護衛隊との戦闘の末、森から追放される。
その際、護衛隊は、かなりの被害を出したとも付け加えた。
ディアークが、何人かの部下を悲鳴をあげさせて森の外へと逃したのは、このためだったという。
これにより、魔物との戦いを避けるために補給部隊は、オプファーの谷を選ばざるを得なくなった。
という内容のものである。
その上で、ディアークは魔物の肉が入った背嚢や馬車とともに、オプファーの谷を行軍。
それに、騙されたダーブルロンド帝国は、彼らを壊滅するためにオプファーの谷に兵力を差し向ける。
ターブルロンド帝国は、イストワール王国のリトゥアール包囲部隊への補給を阻止してきた。
そのための部隊をフルーフ平原に配置。ただし、当初よりも兵力は減少しているという。
彼らは、これまでの勝利で油断しているのだと、ディアークは指摘した。
彼らも少ない兵力で、補給部隊の壊滅を狙わなければならないのだ。
当然、魔物が押し寄せるフルーフ平原よりも、オプファーの谷のほうが戦いやすい。
彼らにとっては、絶好のチャンスになる。だから、釣り針に食いついてくるだろうと。
ディアークは、自信をにじませて説明を終えた。
「それでは、ディアーク。貴君は、我らの尊い犠牲になってくれるのかね?」
補給部隊の隊長は、複雑な表情でディアークを見つめる。
異国生まれの傭兵が、囮宣言をしたのだ。素直に信じられるはずがない。
「そんなつもりはないですよ。俺らの背負っている背嚢には、何が入っているか分かりますか?」
ディアークは、鋭い目つきを更に細めて補給部隊の隊長を見返した。
「魔物の肉であろう? 貴君らが、捕縛されるか、倒されれば、中身を見て囮だと看破されるだろう……」
補給部隊の隊長は、ため息をついた。期待を裏切られたとでもいいたげである。
確かに、調べればすぐに偽物の補給物資だと分かることだ。
その後、フルーフ平原で背後から襲われる可能性もあるのではないかと、ユグドーは危惧した。
「ええ、魔物が気付きますね? 自分たちの仲間の仇が、オプファーの谷で暴れていると……」
背嚢には、加工が施されていて匂いが漏れないようにしているのだ。
しかし、背嚢を開ければ匂いは、風にのって森から平原へと漂うだろう。
人間の嗅覚では、分からない。魔物は、人間とも動物とも違う。
魔物は、利口だ。そして、執念の塊である。今は、フルーフ平原で体制を整えているはずだ。
「魔物たちが、オプファーの谷に向かったら補給部隊をリトゥアールに急いで移動すればいいですよ」
ディアークは、立ち上がる。黙って耳を傾ける部下たちを見回した。
「よし、我らは、オプファーの谷に向かうぞ。よろしいですか?」
ディアークの顔を見て、補給部隊の隊長は、懐疑的な表情を浮かべた。
しかし、ディアークが護衛にも兵力を回すと付け加えると、補給部隊の隊長も作戦を承認。
こうして、リトゥアール包囲の運命を決める戦いがはじまった……
✢
「ディアークさん、これでいいですか?」
両側に見える居丈高なオプファー連峰。
既に弓矢や魔術の攻撃が、ユグドーのいる谷底を地獄に変えようとしていた。
「いいぞ。よーし、全軍。谷を抜けるぞ。補給物資を捨てて全力で走れ!!」
ディアークは、どこか楽しそうだ。まるで、お祭りに行く子供のようである。
それに答える部下たちは、悲鳴を上げて背嚢を開けて放棄していく。
強烈な肉の匂いが、ユグドーの鼻孔を満たした。
不思議だったのは、ターブルロンド帝国が、逃げるファミーリエ傭兵団に追撃をしないことだ。
ユグドーが、来た道を振り返る。
ターブルロンド帝国は、優位な高地を捨てて補給物資を漁っていた。
「奴らにとっても大切な補給物資なのさ。今のターブルロンド帝国に三正面作戦なんてできるわけないからな。ハハハ、愛する祖国に感謝だ」
ディアークの言葉に、近くにいた部下たちも大笑いをする。
口々に「へーウィット元帥様、ありがとう」などとふざけた合唱をはじめた。
✢
合唱の声も枯れ果てた頃、ディアークは、後ろを振り返った。
「やはり来ないな。当然、俺たちを逃すわけがないからな。補給物資を略奪したら追撃するだろう普通? でも来ない。いや、来れるはずもない」
ディアークは、不敵な笑みを浮かべた。確かに、どれほど逃げても追っ手は来ない。
先程から、なにかの遠吠えが聞こえる。ユグドーには、歓喜の声に感じるのだ。
ディアークたちの訳の分からない合唱と似た響きがある。
ユグドーたちは、オプファーの谷を抜けた。そこから、迂回してフルーフ平原に向かう。
遠く、城塞都市リトゥアールの方角に黒煙が立ちのぼっていた。
「勝利、かな。イストワール王国の勝ちだ。流石は、リュンヌ教国の兄弟国。まさに神の思考だ」
フルーフ平原に魔力を含んだ風が吹いた。一度に多くの魔力が使われると、起きる風である。
自然の風とは違って、肌ではなく心に感じる風だ。ユグドーは、目を閉じた。
悪魔と契約した彼にとっては、とても心地良く満たされた思いに包まれる。
「ユグドー、俺らの仲間……家族にならないか? 俺はな、ユグドー。俺を慕ってくれる人間の父親になりたいんだ。俺の亡くなった父のようにな……」
ディアークは、まだ若い。『父親』という言葉が、どこか嘘くさく感じてしまう。
「お父さん……」
ユグドーは、森から飛び立っていく鳥を見た。きっと、無頼漢たちが森に帰ったのだろう。
森は、生物の家だ。でも、そこに住むものは、家族ではない。ユグドーは、それを強く感じていた。
「まぁ、答えを焦らなくてもいいよ。さあ、お前たち報酬までもう一仕事だ。リトゥアールの救世主様になる準備はいいか?」
ディアークは、剣を天高く掲げた。勝どきの声が、フルーフ平原に木霊する。
✢✢✢
ヴォラントの冒険譚曰く。
イストワール王国による城塞都市リトゥアール包囲軍への補給物資。
その中身について、話題になったことがある。
食糧や武器などの他に、リュンヌ教国が使用を禁じていた禁術魔法があったのでは?
という憶測だ。
リトゥアールのターブルロンド帝国は頑強に抵抗していた。包囲は、長期に渡っていたのだ。
しかし、この補給物資が到着した直後に城塞都市リトゥアールで、大災害が起きたという。
イストワール王国は、この大災害に深い悲しみを表明するとともに包囲軍を救出軍に再編成した。
ターブルロンド帝国は、救出するための軍を編成できなかったのだ。
何故なら、当時ターブルロンド帝国は二正面作戦を行っていたからだ。
イストワール王国とは、開国当初からの戦争。この時代は、フジミ草原での大会戦。
マーティン公国とは、和平交渉失敗による国境での戦闘。
そのせいで、城塞都市リトゥアールを助けることも、包囲を阻止することもできなかったのだ。
何にしても、リトゥアール大災害の救出活動は、イストワール王国への無条件降伏となった。
これ以降、城塞都市リトゥアールはイストワール王国領となる。
ファミーリエ傭兵団にとっては、歴史的な大勝利であった。
ユグドーの活躍は、彼らをして『家族』と認めさせるほどだ。
果たして、ユグドーは彼らの好意を受け入れるのだろうか……
【ユグドー、戦う術を学ぶ編】完。
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