【KAC20227】室町版暴れん坊将軍(クロスロード編)
石束
一陽来復と火縄銃
1.開戦
林と林の間、森の中にぽっかり空いた小さな広場。
枝がきれて空が開けており、かつ、見下ろす崖なり岩場がある場所が見つかった。
立木の枝折れ具合。草の踏み具合。
もっとも直截な、足跡やフンといった痕跡。
「……まず、ヒグマの縄張りと移動経路を絞り込む」
「分かりましょうか? 我らには地の利もございませんが」
「そこは少年――勇太に父君の動きを教えてもろうたことと」
男は大きな杉の幹をやや見上げた。人間としては相当大きな彼が「やや見上げ」る位置に、見るも無残な爪痕がある。
「これら縄張りを示す『目印』がある」
男はもう一人の武士――十兵衛を見て、のちに、崖を眺めた。
「この間合いで、どうじゃ?」
同じく、崖を見上げて十兵衛が答える。
「よい加減にて過不足なく。――風向きもこの程度なれば。ですが」
谷底から吹き上がる川風が松の枝を揺らしている。すなわち風下。
「参りますかな? この場所へ」
男は片膝をついて大地に手をやった。わずかな痕跡――血の跡だ。
「ここが勇太の父の死に場所だ。おそらくは罠を仕掛けるつもりだったのだろうが、地面が固く、あたりは開けていて木立が遠い。おおよそ罠を仕掛けるのに向いておらぬ」
「さりとて開けておらねば、鉄砲はつかえませぬ」
「――先に見つかれば、不利を承知でナタか山刀で立ち向かうほかない。鉄砲使いには酷な話よ。……あるいは、ヒグマめ。それを承知で」
「……まさか。さすがにそれは」
推測だ、と首を振って、しかし、男は黒々と蟠る森の闇を眺めて言った。
「だとすれば、なおの事、きゃつ奴を野放しには出来ぬ」
◇◆◇
――大丈夫だろうか。あの人。
勇太が見下ろす広場にあの大男がいた。大地に抜き身の刀を二本、三本と突き刺し腕組みをして森の奥を睨んでいる。
「……」
辛いことかもしれぬが、勇太。おぬしの父上のこと、わしに話してくれんか?
父の火縄銃を抱きかかえたまま、とつとつとすべてを話し終えた後、男は「ようくわかった」と、大きな掌で勇太の頭を撫でた。
「そなたの父の侠気、見事の一言。無駄にはせぬ」
撫でて、死んだ父の事をそう褒めてくれたのだ。
「心配はいりませんよ。あれでも新当流という兵法の達人です」
振り返ると、もう一人の侍――『十兵衛』がいた。
「危なければ逃げます。優れた兵法家とはそういうものです」
それでも勇太が心配そうに見ているものだから。十兵衛は根負けしたように
「……たぶん。」と口を濁した。
勇太が重ねて問いただそうとした時、
「―――」
森を揺るがすような咆哮がした。
慌てて二人が広場に目をやると、森の中彼らのいる崖の下、「風下」から谷に向かって、巨大な黒い塊が四つ足のまま広場の真ん中で腕組みしている男へと突進していくのが見えた。
男は谷川に向かって立ち、十兵衛たちがいる崖に背を向けている。
勇太が声にならない叫びをあげ、十兵衛が「上様あっ」と叫ぶのが聞こえ、
「ぬうううううううっりゃああああっ」
まさに半瞬。気合一閃。
振り返った男は、突進する黒い塊――ヒグマの眉間に向かって、雷(いかずち)のような右ストレートを放つ。
「―――――は?」
今、勇太と十兵衛の心は一つだった。
周りの地面に突き刺した刀は何のため――?
「背後をとった程度で、勝ったと思ったか! 」
谷底から吹き上がる風に乗って怒号が轟く。
「笑止! 貴様如きに得物を用いるなど、この足利義輝が貴様より弱いと認めるようなもの! この素手にて十分! 十三代征夷大将軍の拳、誉れと受け取れい!」
2.足利義輝
京の室町に本拠を置いて日本の武士団を総帥すること、十三代。
守護大名の頂点に君臨する足利将軍家の当主こそ、足利義輝である。
主に幕府と名の付く組織は三つある。高度に組織化された江戸幕府。戦争に強く武力で朝廷を圧倒した鎌倉幕府。そして足利尊氏に始まり義輝をもって十三代となる室町幕府。この室町幕府は、他の二つとはちがい政治的な駆け引きと調停と対外勢力や内部勢力との争いの上に成り立つ組織だった。
いわば「バランサー」。調停役として全国の武士に必要とされるからこそ、存在する幕府。それゆえ経済文化政治力から果ては占いまで様々な分野に優れた将軍がその時々にいて、幕府の命脈は受け継がれてきた。
だが、その中でただ一人、鎌倉時代に先祖返りしてしまった将軍がいた。
父の代から居場所すら定まらず各地各勢力を放浪し、その途上、剣聖塚原卜伝の教えを受けて新当流免許皆伝(諸説あり)秘太刀「一の太刀」を授けられた。
人呼んで「剣豪将軍」。
将軍という立場故に戦場や立ち合いでその実力が明らかにされることはなかった。
彼が剣士として名を上げるのは不幸にしてその死の間際。三好三人衆の反逆にあって、闘死する際であるが、その未来はもう少し先のことになる。
「……やはり、あの方のことは今一つよくわからん」
軽やかなステップと左手のジャブでヒグマを翻弄する足利十三代将軍を眺めながら、十兵衛は例によってため息をついた。
この男は文句をいいながらも、命じられた仕事はきちんとやる。
それはもう「いちゃもん」のつけようのないくらい、完璧に。
荒探しをして弱点をついてマウントをとりたがるタイプの上司なら、きっと腹が立つ種類の部下である。
ため息をつきながら、十兵衛は自らの『得物』を準備した。
それは一挺の火縄銃だった。
すでに火薬は装填、弾丸を込めて準備済み。
火皿に口薬を入れて火蓋を閉じ、火縄に火をつける。
一連の動きに全く無駄がない。
十兵衛が持つ鉄砲は、勇太が持つ父の形見のそれとは違い、象嵌のある銃身といい杢目が美しい白樫の銃把といい何もかも洗練されていた。
勇太は父以外に初めて目にする本物の鉄砲撃ちの洗練された動きに圧倒されていた。
「鉄砲は担いで山野を駆け巡る道具ではない。弓矢や槍とは違う考え方で運用せねばならない。お前が鉄砲を抱えてヒグマを捜しておったのは全くの見当違いなのだ」
ぽつり、ぽつりと、そんな言葉が聞こえた。
「勇太。お前の父がそれをお前の教えなかったのは、それが猟ではなくそのまま戦の技術だからだ。ゆえに父を恨むな。我が子が戦を知ることを望む親など、この世にはおらぬのだ」
静かに火縄の煙をくゆらせながら、だが、と十兵衛がいった。
「それでも、お前が父の火縄銃とともに生きるというのであれば、手前がおぬしに手練の全てを授けよう」
十兵衛の言葉は静かだった。それは射撃の動作中の事だったころもあろうし、勇太の心情をおもんばかった故でもあろう。
「明智十兵衛光秀――参る。」
轟音。火縄銃から放たれた弾丸が、義輝の動きにいら立ち、両手を振り上げて立ち上がったヒグマの頭部に着弾する。
冷静に――あくまで冷静に、明智十兵衛は傍らで父の火縄を構える勇太に告げた。
「勇太。とどめを」
3.明智光秀
明智光秀。この歴史上もっとも有名な反逆者の前半生は不明な点が多い。
交渉力に長け、先見性に富み、組織運営者としてよく配下の軍団を指揮して戦争を有利に展開し、支配地を支配しては行政者としても識見があった。
この有能が才覚が、血脈とも組織とも全く関係なく、忽然と歴史上に登場することこそ、戦国時代という時代の不思議さだろう。
しかし、ゆえにこそというべきか。この人物がなぜ本能寺おいて自らの主へとその銃口を向けたのかについては、背景が全く分からないのだから当然、全く不明である。
おそらくこの先もきっと、わからないだろう。
◇◆◇
――まず構え。もっとも自分が安定する姿に構えよ。
――次に見。相手をよく見よ。
――そして、引き金。引き金は引くものではない。引き金に掛けた指を指に繋がる筋でもって引く。その筋は手首の中をとおり、肩へそしておぬしの体の芯につながっておる。
――それを意識せよ。引き金は引くのではなく、絞るのだ。
勇太は十兵衛の指示のまま、半ば夢心地で引き金を引いた。
十兵衛の着弾の直後、一瞬、クマの動きがとまる。
その動きが止まったクマの胸元へ、勇太の弾丸が吸い込まれていく。
「見事。」
十兵衛の小さな声が聞こえ、それから「見事見事!」と下で叫んでるのにすぐそばにいるような足利義輝の大声が聞こえた。
「手前と上様……あすこで手を振っている義輝公がこの地へきたのは、火薬の原料となる硝石を求めてのことであった。手前は堺にて鉄砲を学びその縁で紀州の雑賀衆とつながりを持った折、かつて鉄砲の名手として名をはせながら跡目争いから身を引き、一族のために硝石を集めておる人物を知った。それこそがおぬしの父」
自らの火縄銃を片付け終えて、十兵衛は勇太と目を合わせて目を細めた。
「先代の、鈴木孫一どのだ」
聞きながら、十兵衛の言葉が脳裏に繰り返された。
――父の、火縄銃と、生きる。
勇太は、胸の奥で何かが大きく動くのを感じた。
4.雑賀孫一
石垣ごしの、遠く地鳴りのような人々の声に、つかの間の微睡みから醒めた。
「上様と出会った時の夢か。
殺しても死なない人だと、思ってたんだけどな……」
永禄の反乱の直後、危険を冒して京に潜入したが、義輝にも十兵衛にもあえなかった。
◇◆◇
出会いの不思議、という外ない。
あの日、山の中であの二人に会わなければ、今日の自分はここにいない。
二人につれられて村を出ることもなく、紀州雑賀に行くこともなく。
あいも変わらず山の里で猟をしていたに違いない。
あの時出会い、わずか二月ほど、京を経て紀州への旅。
足利義輝に兵法を教わり、明智十兵衛に火縄銃を学んだ。
そして今。
天正八年。石山合戦最終局面。
彼は、日の本最大の巨大城塞に立てこもって、天下取り目前の、日の本最強の武将と、五分にわたりあっている。
この有様を足利義輝が何というか。そして――向こう側の明智十兵衛がなんというか。
あの出会いの、幸運であったのか不幸であったのか。
収支を問うのは、今しばらく先のことになるだろう。
いつか、もう一度彼らに会えたら、何と言ってやろうかと、彼は少し笑った。
完
【KAC20227】室町版暴れん坊将軍(クロスロード編) 石束 @ishizuka-yugo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます