第5話 黄昏な放課後

 有栖が反省文を書き終えた頃にはすっかり日も暮れ、窓の外は橙色から青暗くなる兆しを見せている。時間は六時、有栖はさすがにもう早稲を起こして教室から出た方が良いのではないかと思っていた。


 すると、廊下で誰かが駆ける音が響き始め、その音は次第に大きなっていく。


「ごめんね早稲ちゃん、委員の仕事が長引いて遅れちゃった」


 そう言って現れたのは、やはりというべきか、昼間に有栖が会話を交えた委員長の高瀬桜である。まだ入学して間もないというのにこんな遅くまで委員の仕事があるとは恐ろしいものだ。それに自ら志願した彼女もまた末恐ろしい。


「なんだ、ちゃんと友達いるじゃん」


「へ? なんで淀川君なんかがまだここに残ってるの?」


「いや、帰ろうとは思ったんだけどね。これをそのままにしておく訳にはいけないなって」


 有栖は隣で眠ったままの早稲を指差した。早稲は相も変わらず机と頭を一体化させてスースーと寝息を立てている。


「もしかして、早稲ちゃんの寝顔を見て如何わしいこと考えてた?」


「だとしたらこんな堂々としてないだろ」


「でも淀川君なら……」


「今日初めて会ったはずなのにもう最悪の印象ついてるけど」


 するとその言葉に対して高瀬は突然黙りこくった。有栖は特に高瀬を傷つけるようなことは言っていないつもりだが、見るからに高瀬の機嫌が斜めに傾いている。その理由を問いただしたい気持ちはあれど、わざわざ有栖が言及すると地雷を踏みかねないように感じたので口を閉ざすことにした。


 それぞれがお互いの心情を察したせいだろうか。場に少々気まずい空気が流れる。


 そんな中、早稲はいつの間にか目を覚ましており、隣で話す二人の姿を机に頬をつけたままずっと眺めていた。早稲が眠りから目覚めるとき、目は開いていても脳がまだ完全に起きていないという場合が多い。自分が長い間待っていたはずの高瀬が目の前に立っていたとしてもすぐに声をかける気にはなれないのである。


「……で、私はいつ帰れるの?」


「あ、起きてたのね。そうよ、こんなやつに構わず早く帰りましょう」


「じゃあ俺もお供させてもらおうかな」


 途端に嫌そうな顔をする高瀬。しかし流石の有栖も女子二人の間に割り込むつもりはなく、完全に冗談で言っただけであった。高瀬の方も段々有栖の性格を理解してきたのか、そこまで本気に捉えていないようにも思える。ただ早稲がのろのろと帰る準備をしているせいで気まずい時間が再び続いた。


「私は教室のカギを返さなきゃだから二人は先に行ってて」


 高瀬は申し訳なさそうに手を合わせて頭を下げる。一応は嫌がる素振りを見せながらも、当然のように有栖と一緒に帰る気でいるのは彼女の優しさの現れだろう。「よし」と教科書を詰め込んだ鞄を肩にかけて準備万端だった早稲が気遣うような表情を見せたため、高瀬はより決まりが悪そうになった。


「俺がカギ返しに行くよ。これ以上早稲さんを待たせるのも悪いだろ」


「それはダメ……と言いたいけれど、そんなことで言い争っても時間の無駄よね」


 渋々といった様子で教室のカギを渡す高瀬。単なる人助けの気なら高瀬も断っていただろうが、有栖は別に善意の気持ちで言った訳ではない。そもそも一人で帰る予定だった上に、その時間が多少遅れても何の問題もないため、自分がやった方が収まりが良いと思っただけである。だから善意の押し付けをしているつもりは一切なく、変に遠慮せずに提案を受け入れてくれた方が楽に済む。


「じゃあまたね有栖」


「ああ」


「いつの間に下の名前で呼ぶほど親しくなったの!?」


 すかさず高瀬は突っ込みを入れるが、早稲の距離感がおかしいだけで実際には二人の間柄はそこまで深まっていない。まずもって、有栖の方は未だに早稲のフルネームすら存じていないのである。


「桜が私を放置するから有栖に浮気することにしただけ」


「だけ!? 私と早稲ちゃんは中学以来の親友じゃない! こんな人に私が負けるなんてありえないでしょ」


 一人で騒いでいる高瀬は無視して、有栖は早急に職員室へと歩み始める。一応早稲のせいで良くも悪くも反省文を書きあげてしまったため、ついでにそれを神崎先生に提出するという考えもあった。しかし、流石の神崎先生であろうか。おそらく定時で即帰ってしまったのだろう。職員室の中にはご年配の先生たちしか残っていなかった。今学校に残っているのはほとんどが部活がある生徒ぐらいのはずで、廊下の窓の外からは野球部の掛け声だったり、吹奏楽部の演奏だったりが聞こえてくる。


(部活何にしようかな)


 特にこれといってやりたいことはない有栖であるが流石に無所属というのも味気ない。とりあえずはどこかの部に籍を置きたいと現段階では考えている。おそらく大体の高校生は部活動を通して青春をするはずであり、有栖もそれにあやかりたいという所存だ。キラキラ学園生活とまではいかなくとも、それなりに充実させたい気持ちが多分にある。


 有栖はそんな風に今後の学園生活に思いを馳せながら階段を下り、下駄箱へと向かう。スマホを取り出した有栖は、帰りの電車の時刻を確認しながらことさらゆっくりと靴に履き替えた。たとえ次の電車の出発時刻が迫っていたとしても、急いで駅へ向かうといった余裕のない状況に身を置きたくなかったからである。


「遅い! いつまで早稲ちゃんを待たせる気なの」


「有栖はとろい」


 スマホを見ていた有栖は耳に入ってきた二人の女子の声に驚き顔を上げる。立っていたのは有栖がすでに先に帰っていたと思っていた高瀬と早稲であった。思わず勢い余ってスマホを落としてしまう。


「それはちょっとどんくさいかも……」


「有栖はとろい上にどんくさい……」


「まあどんくさいかどうかはこの際置いといて……なんでまだ学校にいるんだ」


 有栖がそう言うと、高瀬と早稲は目を見合わせてまさに「やれやれ」といった様子で肩をすくめた。


(この二人合わさるとちょっとうざいな)


 有栖はこれを声に出して言うと話が進まなくなってまた要らぬ時間を取られると思い、心の中で留めておくことにする。


「別にあなたを置いて二人でそそくさ帰っちゃうほど薄情じゃないからね」


「桜は普段は空気が読めないけどこういう時だけ気が利く女」


「確かに普段は全くなのにな」


「突然私だけ孤立した気がするんだけど!?」


 そんな何気ない会話のやり取りに思わず有栖も笑みが零れる。いつの間にか遠慮という名の壁を一切感じさせないほどに三人の仲は深まっており、すっかり暗くなってしまった夜空に溶け込むように帰途に就いた。


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