第三章「降臨」④

 ムーラン鉱脈。

 ナーザ大陸の東側七割――俗に言う人間界と、ここ砂漠地帯ムーランを分断するように聳え立つゾアス山脈。その南西にぽっかりと空いた洞窟から切り拓かれた、魔鉱石の採掘場だ。

 洞窟の中はアグラが往来できそうなほど広く、岩壁にはカンテラが随所に吊り下げられており、崩落止めもしっかりとされている。

 古くから砂漠に住む獣人達に聖域と崇められたこの場所は、今や近付くことすら拒みたくなるような禍々しく異様な空気に満ち満ちていた。

 洞窟の奥底から黒い靄が地を這うように流れていく。

 その靄は、迷宮ダンジョンの中で暴れ狂う魔物共がその全身からくすぶらせているものと同質なもののようだった。

 未だその身に炎を纏ったアーシャが先陣を切って飛ぶ。

 例によってその凄まじい推力に牽引されながら、俺達はこの靄の出所を目指した。

 奥へと進むにつれ靄は濃くなっていき、精霊の数も増える。

 しかし、この洞窟の精霊は俺が見慣れた黄金の粒子などではなく、黒く淀んだ血のような色をしていた。

 息を吸うだけで肺が真っ黒になりそうな瘴気が洞内を支配している。それに反して、進めば進むほど岩壁に含まれる魔鉱石が色とりどりの光を漏らし、美しかったであろうかつての鉱脈の姿を想起させた。

 奥へと進む度に、俺を牽引するアーシャの手に力が込もる。彼女にとってもここは思い出の場所なのだろうか。


「ロア、来るぞ」


 突然アーシャがその手を離し剣を抜き払った。

 刹那、けたたましい銃声が奥から鳴り響く。

 坑道を埋め尽くさんばかりの銃弾が唸りながら牙を剥き、俺達に迫った。

 しかし――。

 炎のドレスが翻り、触れた銃弾を舐めるように溶かす。

 剣に炎を纏わせ銃弾を溶かし斬りながら、アーシャは前に出た。

 照りつける炎の先に、獣人の影。

 狼と思しき獣人が、両手に機関銃を構えてゆらりと立ち尽くしていた。


「ダント!」


 その獣人の名をアーシャが叫ぶ。


「知り合いか?」


「あぁ、〝砂漠の守人ナルガルータ〟の一人だ。しかし……」


 銃弾を弾きながら、アーシャは歯をギリリと鳴らした。

 全身に纏った炎を螺旋状に研ぎ澄まし、矢のごとく前へと突き進んでいく。


「ダント……!」


 距離を詰めたアーシャが、口惜しそうに息を漏らした。

 紅い光が茫と二つ、仄暗い坑道の中で輝く。

 ダントと呼ばれた狼の獣人は、既に魔物と化していた。


「……今、助けてやる」


 渦のごとく燃え上がった炎がアーシャとダントを包み、あたりを強く照らした。


演舞ヴィリエ聖火サガー・タ』……」


 シャン!


 装飾品が一斉に鳴り響き、逆巻く炎の如く伸び上がった逆袈裟斬りがダントを一閃した。

 血のように噴き出す黒靄こくあいに混じって、紅い核石の破片がダントの身体から飛び出す。

 黄金の炎がダントの体を包んで靄を燃やし、元の狼の獣人へと戻していく。


「……」


 炎に包まれたダントがうっすらと目を開く。


「……ありがとよ」


 掠れた声でそれだけ伝えると、ダントの体は精霊となって霧散した。

 アーシャは背を向けたまま凜然と立ち、その背で声を受け止めた。

 彼女の頬を一筋の涙が伝う。


「ダントは、凄腕の狙撃手だったんだ。あんなふうに銃弾をばら撒くような戦い方は絶対しなかった」


 静寂が訪れた洞内で、アーシャはポツリと言った。


「助けられないなら、せめて獣人として……ダントとして葬ってやりたかったんだ」


 アーシャの姿が、不死鳥の乙女から元の姿へと戻っていく。

 今の戦いで、ガロードから奪った炎の力が切れたらしい。


「急ごう。ナターシャだけは、こんなふうにしたくない」


「あぁ」


 先を見れば、更に濃い瘴気が岩壁から漏れる魔鉱石の光すらも喰らい尽くし、禍々しい闇が口を開けて待ち構えていた。

 その闇の先に、イリスと思しき魔力と――生物が持つにはあまりにも膨大で重たい魔力を感じる。

 イリスの魔力も俺なんて到底及ばないほど強大だが、もう一つの方は辛うじて何かに押さえ込まれているだけで、解き放たれればこの砂漠全土を如何様にもできそうな、途方もない闇のようだった。


「……こっちだ」


 敢えて何も言わず、俺は前を歩いた。

 アーシャも俺の後に続く。


「Ardgulie reanief theguarlla……」


 ほどなくして、聞いたこともない呪詛のような詠唱が俺達の耳に触れた。

 イリスの声だ。

 声のする方へ走ると、大きく開けた堂のようなところに出た。

 異様な光景が、そこには拡がっていた。

 朗々と響き渡る呪詛の下、俺がいつも目にする黄金の精霊と、この鉱脈の中を満たしていた黒い瘴気が入り乱れるように渦を巻き、堂の中央へと収束している。


「ナターシャ!!」


 渦の中心で、まるで胎児のように膝を抱えて浮遊する彼女を見て、アーシャは叫んだ。

光翼スパルナ】を展開し、一直線に堂の中央へと飛翔する。


「アーシャ、待て!」


 俺が制止した頃にはすでに、アーシャは中央付近へと辿り着いていた。

 俺が見えているモノに、あいつは気付いてない。

 ナターシャの周囲を、何か得体の知れない大きなモノが覆っている。

 その得体の知れない何かは繭のようにナターシャを包み込み、絶えず胎動のような伸縮を繰り返している。

 アーシャに見えないということは、これも精霊や魔力の類いなのだろうか。

 ここに来る前に感じた途方もない魔力の正体は、どうやらこれのようだ。

バジィ! と音を立てて黒雷が爆ぜ、繭がアーシャを弾いた。


「くそ、何だこれは⁉」


 アーシャは何に阻まれたかも分からず、別の箇所へと迂回する。

 しかし結果は同じで、どこから回り込もうとも繭に弾かれ阻まれてしまう。

 黄金の精霊が逃げるように逆巻くも、繭に捕らわれて黒く染まり、ナターシャの中へと吸い込まれていく。

 黒い精霊がナターシャに取り込まれる度に、繭が膨れ上がっていく。


「無駄よ、止しなさい」


 呪詛とは別の声――おそらくは風魔法の一種で、イリスが語りかけてくる。

 当の本人はどこにいるのか、その姿を伺うことはできない。

 入り乱れる精霊が、魔力感知の邪魔をする。


「どこにいる姉さん⁉ 今からでも間に合う! こんなこと、もうやめよう‼」


 ありったけの声で叫ぶ。

 しかし、届いた声はあまりにも冷たく、鋭かった。


「彼女にはもう核石が埋め込まれている。その時点で、もう元の体に戻ることなど有り得ないわ」


 この声が届いているのだろう。イリスの答えを聞いた途端、アーシャは咆哮を上げて繭へと激突した。


「……させない!」


 弾かれ、弾かれ、弾かれ……。

 何度弾かれようとも、アーシャは繭への激突を繰り返す。


「ナターシャだけは……お母さんだけは、絶対に……」


 逃げ惑っていた精霊がアーシャの元へと飛び交い、その身に宿っていく。


「なに? 何が起こっているの⁉」


 変わりつつある堂内の空気に、イリスの声は動揺していた。

 黄金の精霊が繭の手から逃れ、アーシャの周りで渦巻く。

 精霊をその身に取り込むに連れ、アーシャの体が眩い光を放ち、【光翼】も巨大になっていく。


「絶対に、助けるんだ‼」


 決死の咆哮が、堂内に響き渡った。

紅月ガーネットムーン〟に黄金の光を纏わせて、アーシャが刀身を繭へと突き立てる。

 バリバリと耳を貫くような音が響き渡り、"紅月"の切っ先が繭を破った。

 その一点を通して、繭を構成していた黒い瘴気がアーシャの体へと吸い込まれていく。

 その身が爆ぜ、血が舞い散る。

 アーシャは、その手を離さない。

【光翼】に血管のような赤黒い光がはしり、その形を歪に曲げていく。


「止しなさい! 〝裏孵うらがえり〟はもう始まっているわ! それを無理矢理中断したら、何が起こるか分からない‼」


「ヤメナイ……ヤメナイィィィィィ‼‼」


 吐血し、鼻血を垂らし、血涙を流しながらも、アーシャは刀身を奥へと押し進めていく。

 男の悲鳴と金切り声が入り交じったような音が耳朶を殴り、繭が一気に収縮して――バリン、と音を立てて砕け散った。

 その欠片がさらに砂糖菓子のように崩れ、元の黄金の精霊へと姿を変える。

 繭と共に【光翼】を失ったアーシャが、ナターシャの元へと落ちていく。

 繭を失ったナターシャも同じく落下し、二人は向かい合うようにして岩床に伏した。


「なんてこと……」


 戦慄わななくイリスの声が、静寂を取り戻した堂内で響いた。

 俺はアーシャへと駆け寄り、すぐさま魔力をその身に送った。


「もういいだろ姉さん! もう、終わりにしよう‼」


 俺の声だけが、堂内に木霊する。

 返事は、ない。

 しかし、イリスの魔力は未だこの堂の中に感じる。

 その魔力に誘われるように視線を移すと、沈痛な面持ちで姉はそこに立っていた。

   

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