第三章「降臨」③

「憐れだと? 貴様、このれを前にして何を見ている?」


 アーシャの宣誓に、魔王ガロードはあからさまに不機嫌な顔をした。

 それは、ガロードにとって少々勘に障った程度の怒りだったのかも知れない。

 しかし彼が放つ怒気は大気をヒリつかせ、禍々しい威圧感プレッシャーを俺達に容赦なく叩き付けた。

 それなりに修羅場をくぐり抜けて来た俺が息を飲むその支配感の中で、それでもアーシャは凜と立ち、切っ先をピタリと向けたまま憐憫の瞳をガロードに向け続けた。


「憐れではないか」


 静かに、アーシャは答えた。


「お前はその何にでもなれる体を手に入れたことで、死の恐怖も傷の痛みも感じずに済むようになってしまった。

 最も大切にしなければならない自分の命すら軽んじて、平気でその身を放り投げる。だから他の命を簡単に奪うことができる、違うか?」


「あぁ、違うね」


 間髪入れずに、ガロードが返す。


「教えてやろう。

 己れは一度喰らったことがあるものへと身体を造り替えることができる。己れの身体を精霊アルマに分解し、風になることもできるし炎にも雷にも、大地の一部になることだってできる。

 己れが喰らうことで世界は己れの一部となり、己れは世界の一部となる。そういう力だ」


 朗々と語るガロードの声を、アーシャは黙って聞いていた。


「よって、れには肉体という頸木くびきがない。

 己れという存在は姿形に捕らわれない。ただ、それだけのことよ」


「じゃあ何故、こんなことをするんだ。

 こんなにたくさんの命を奪って、暮らしをめちゃくちゃにして、お前はいったい何がしたい?」


「何がしたいってワケじゃない。

 ただ、そうさな……強いて言うなら『己れがゴブリンだから』かな?」


 口元にいつもの三日月を湛えながら、ガロードは続けた。


れはゴブリンだ。お前らが鳥や鹿を狩って食い、魚を釣って食うように、己れは人間やエルフ、ドワーフなんかを填め殺して食う。

 鹿や魚も食えないことはないが、食って漲る活力が全然違う。だから、己れ達ゴブリンは人間共を襲い食らっている。ここまでは、理解できるか?」


 肯定も否定も、アーシャはしなかった。

 それを理解と受け取ったのだろう、ガロードは続けて語る。


「ただ、そう在る種族なのだ。

 たまたまこの世界を縛る者の理からあぶれてしまっただけで……たまたま世界の主権を握った者共を食べる種族だったというだけで、お前達は己れ達を敵と見做し、淘汰しているに過ぎん」


「だから……主権を奪い取ると?」


「そこまで高尚な事は考えておらんよ。

 れは己れ以外の雑魚のことなど、心底どうでもいい。

 ただ、己れがあずかり知らぬところでできた勝手な理屈に殺されてやる言われもない。己れは生きたいように生きて、死にたいように死ぬ。

 理とやらがそれを邪魔するならば、壊してやればいい。本当に、ただそれだけのことだ」


 そう話したところで、ガロードは蛮刀を抜き払った。


「お喋りが過ぎたな。さて、これからの話をしよう。

 先ほどお前は『イリスとナターシャを返せ』と言ったが……」


 ガロードはその背に聳えるゾアス山脈――獣人が聖域と呼ぶ魔鉱石の採掘場を顎でしゃくり、


「あそこに二人がいる。とある儀式のために、な」


 その言葉を聞いた刹那、アーシャの目の色が変わった。


「儀式?」


 短く問うと、ガロードはこれまでになく歪んだ笑顔で楽しそうに告げた。


「魔人を召喚する」


「魔人? 魔人って、あの迷宮の番人をしている……?」


 ガロードの答えに、俺は思わず問い返していた。


「そうだ。迷宮の番人にして、限定的ではあるが摂理すら自由自在に操る魔人……そんなものをこの世に召喚することができたらどうなるか、想像するだけでワクワクしないか?」


「それをイリスが……ナターシャを使ってやろうとしてるってのか?」


「その通り」


 心底愉快そうに答えるガロード。

 込み上がる怒りが、未だ回復しきっていない身体に鞭を打つ。

 棍を杖代わりにして、震える膝を叩いて俺は立ち上がった。


「やらせねぇ」


 腹底で煮え立つ思いを、俺は声にして吐き出した。


「あぁ、その通りだ。そんなこと絶対にさせない」


 炎のドレスと【光翼スパルナ】を滾らせ、アーシャも剣を構える。


「なら己れを退けてみろ。お前ら二人にできるかは、分からんがな?」


「いいや、三人だ」


 俺達の間を割って、白虎の獣人――オルガが前に立つ。


「お前達二人はあいつを抜き去ることだけ考えろ。俺がアイツの足を止める」


「しかし……!」


「俺達の目的はアイツを倒すことじゃない」


 食い下がろうとするアーシャを、オルガがぴしゃりと遮った。


「おそらく放浪王は、まだ奥の手を持っている。今この場で奴を倒せるなどとは思わない方が賢明だ」


「同感だ。ただ……」


 岩のようにデカいオルガの眼を見上げ、俺は釘を刺した。


「アンタも死ぬな。俺達が抜けたら、適当にやり過ごして逃げろ」


「……善処しよう」


 俺の言葉に、オルガは片笑んで答えた。

 俺たち魔導師は嘘が吐けない。自分の意に反する言葉は精霊を遠ざけるからだ。だからこういう時の返事が曖昧になるのは仕方がない。

 オルガの答えに、俺も片笑んで見せた。


「アーシャ、お前のその力は何だ?」


「セレーネは『第二の門セカンドステージ』って言ってた。炎とか水とか、生き物以外のものを吸収して、その量と質に見合った力を【光翼】に与えるらしい」


「『第二の門』、ね……」


 その呼び名は気になるが、ともかくこの能力のおかげで、アーシャはほぼ無敵になったと言えるだろう。

 ガロードの変身は先に見たとおり、おそらく魔法ですら無力化される。

 加えてアーシャの並外れた身体能力を持ってすれば、傷付けられる者などいないのではないか。


「作戦会議は終わったか?」


 蛮刀の背で首を叩きながら、ガロードが訊ねた。


「お前の前ではあいつは迂闊に変身できない。どんどん攻めるぞ」


「分かった!」


 言ったが早いか、アーシャは炎の翼を羽ばたかせ、ガロードとの距離を瞬時に詰めた。


演舞ヴィリエ火鳥の愁嘆ネフティア・ラ』……!」


 低く唸るように唱え、炎を纏った二刀をガロードへと振り下ろす。

 その剣撃を、ガロードは蛮刀を叩き込むようにして受け止めた。

 まるで火の鳥が悲鳴を上げているような、化鳥音にも似た打剣音が響き、互いの剣を弾き飛ばした。


「まだまだぁ!」


 その反動を利用して、アーシャが炎の渦の如く回転し、苛烈に剣撃を繰り出し続ける。

 しかしその尽くをガロードは受け、躱し、時には自ら剣を伸ばして剣撃を封じ、こちらが目で追うことすらできない攻防も含めて、全てアーシャの動きに対応している。


「……娘、お前本当は何者だ?

 その〝大いなる力〟を差し引いても、見た目通りの人間ができる動きではない」


 ガロードの表情からは笑みが消えていた。じっとアーシャを見据えている。

 俺は大地の真言を唱えて穴を掘り、ガロードの足を取った。

 そこにすかさずアーシャの袈裟斬り。

 ガロードは腕を肥大化させ、その万力で振り上げられた蛮刀がアーシャごと剣撃を吹っ飛ばした。

 そこへ、


「《ヴォルガ》!」


 オルガの雷がガロードを捕らえた。

 バチバチと迸る紫電に、ガロードが呻き声を上げる。


「今だ! 行け!」


 オルガの声が鋭く響いた。


「《ウィルフ》!《収束カルバーシ》!」


 俺は真言で球状に圧縮した竜巻をガロードの足下へと放った。

 凄まじい爆発音と共にガロードごと砂が吹っ飛ぶ。

 その隙に俺の手をアーシャが掴み【光翼】の全速力で戦闘から離脱する。


「すまないオルガ、すぐ戻る!」


 アーシャの声に、雷を操りながらオルガは片笑んで見せた。

 その後は振り返らず、俺達二人はムーラン鉱脈の入口――聖域を目指す。

 イリスとナターシャ。

 二人の運命が手遅れにならないように。

 

 ◆◇◆


「……やはり、迷宮覇者と魔導師を一手に引き受けるのは難儀だったか」


 皮膚を焦がし僅かに紫電を迸らせながら、ガロードがゆらりと立ち上がる。

 どこか楽しそうなその声は、風体ほどのダメージを感じさせなかった


「その割には、まだまだ余裕がありそうだな」


「クカカ、分かるか? 己れもまだまだだな。

 面白いことが起こると、演技どころではなくなってしまう」


 そう話す間にも、ガロードの傷はみるみるうちに癒えていった。


「やはり、あの二人を行かせたのもわざとか。なぜそんなことをする?」


「決まっておる。そっちの方が面白いからだ」


 さも当然と言った口ぶりで、ガロードは続けた。


「あの小僧の姉の運命も〝砂漠の女神〟の運命も、既に決している。

 そこに他が入り込む余地などないほどにな。他人の絶望ほど、面白いモノはない」


 そういうと、ガロードはパチンと指を鳴らした。

 死屍累々と転がる同胞の死体が、ぐらりと動き出す。

 黒い靄を燻らせながら。


「貴様……」


「無論、お前にも見せてやる。それまでは殺さずにいてやるから、安心しろ」


 元は同胞だった魔物が俺へと飛びかかる。

 怒りと遣る瀬なさが腹の底で混ざり合い、そのあまりの熱と痛みに、俺は咆哮して彼らを薙ぎ払った。

    

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