第三章「降臨」⑤

 関門都市オルンがガルドアの手に墜ちて、十日が過ぎようとしていた。

 この十日で、砂漠地帯ムーランは文字通り地獄と化した。

 オルンで殺された獣人達は全て魔物と化し、ガルドアの――否、〝アルマトロスの亡霊〟の蛮兵となって北から南下しながら各隊商都市キャラバンタウンを蹂躙していった。

 既にムーラン最大の隊商都市である大市場マーケットも敵の手に墜ち、さらにそこで殺された獣人達が魔物となって、廃墟と化した都市周辺を跋扈ばっこしている。

 俺達は今、ムーランの最南端にある隊商都市アーレンにいる。

 ムーランがガルドアに支配されていた十二年前に、ゾアス山脈の水脈を伸ばして造られた地下水路カナート

 この地下水路は全ての隊商都市に通じており、俺達はこれを通じて奴らの手が伸びないうちにここアーレンへと逃げ果せることができた。

 今ではこのアーレン以外の隊商都市は全て陥落し、何とか生き延びここへ辿り着いた獣人達およそ三千五百名が身を寄せ合っている。

 俺達に残された兵力は、生き残った〝砂漠の守人ナルガルータ〟二組と若い男衆一千二百人ほど、

そして俺とオルガの二名。

 アーシャとナターシャは未だ目を覚まさず、救護テントの片隅で眠り続けている。


◆◇◆


 イリスとガロードが魔物化したガルドア兵を引き連れてオルンへ攻め入ってきた、あの日――。


「その二人を連れて失せなさい、ロア」


 イリスは俺にそう言い放った。


「もうこれ以上邪魔するなら、たとえあなたでも容赦できない」


「姉さん、どうしてこんなことをするの?」


 厳しい目付きで睨むイリスに、俺は昨夜と同じ問いを繰り返すことしかできなかった。


「言ったでしょう。世界を私達の手に戻すためよ」


「誰から取り戻すって言うんだ? 『私達』って、俺達魔導師のこと?

 昔迫害を受けたから、そいつらに復讐しようって言うの?

 そんなの、今を生きる俺達には関係ないじゃないか」


「……そうじゃないわ、ロア」


 少しだけ逡巡し、イリスは答えた。


「この世界は、違う世界からの侵略を受けているの。

 それを阻止するために、私達は活動しているのよ」


「違う世界からの侵略? いったい、どういう……」


「これ以上は、部外者のあなたには話せないわ」


 一度突き放すように言った後、イリスはこちらへと手を伸ばし、


「私と一緒に、組織に入るなら……教えてあげる。私達が、何と戦っているのか」

 

 そう言って、俺の返答をじっと待った。

 氷のように冷たい彗星の瞳が、俺の眼に何かを訴えかけている。

 その何かに俺は気付きながら、それでも、敢えて問うた。


「俺がそっちに行ったら、手を引いてくれる?」


「それは、できないわ。

 魔人の〝裏孵うらがえり〟に失敗してしまった今、私はそれに匹敵する代わりの戦力を用意して戻らなければならない。そういう計画なの。

 あなたがどんなに優れた魔導師でも、あなた一人で魔人に匹敵する戦力になんて、到底なれないわ」


「それは、そうだけど……」


 言い淀むと、イリスはふっと笑って見せた。

 悲しそうな笑みだった。


「その子と〝砂漠の女神〟を連れてどこか遠くへ逃げなさい。これが私にできる、最大限の情けよ」


 イリスの表情が敵の――〝殲滅の謳姫〟と呼ばれる冷酷なものへと戻った。

 その瞳には、アーシャが何かを決意したときと同じ、強い光が宿っている。


「……俺は獣人達を助けるよ、姉さん」


 俺の返答に、イリスの瞳が揺れた。


「そして、姉さんも助ける。絶対に」


 アーシャやイリスのような強い光が俺の眼に宿っているかは分からない。

 だが俺は、今の俺が思っているままを姉にぶつけた。

 俺の宣言に対してイリスは「そう」とだけ返し、厳しい目付きで俺に退場を促した。


「……ひとつだけ、教えてあげるわ」


 ナターシャを背負いアーシャを横抱きにして踵を返した俺の背に、イリスが告げる。


「その子が『お母さんと』呼んでる、"砂漠の女神"だけど――……」


 次に放たれた言葉に、俺は絶句せざるを得なかった。


「どうしてそんなこと、俺に教えるの?」


「さぁ、どうしてかしらね」


 そうはぐらかしすと、イリスはそれきり言葉を発さず、風景に溶けるようにして消えた。


「姉さん……」


 姉の真意が測りきれずあれこれと考えてしまう。

 纏まりきらない思考を一時中断し、俺は聖域を後にした。

 その後オルガの元へ戻った時には、ガロードは既に居なかった。

 オルガは魔物と化した獣人達とやりにくそうに戦っており、俺達は関門都市オルンから逃げた。


◆◇◆

 

 隊商都市キャラバンタウンアーレンを、疲弊と恐怖、そして張り詰めた緊張感が常に支配していた。

 数人の魔導師を中心とした魔物の軍勢が、毎日昼夜を問わず何の前触れもなく襲ってくるのだから無理もない。

 魔導師はともかくとして、魔物は睡眠も食事も休息も要らない。

 やろうと思えば、核石が破壊されるまで不眠不休で戦い続けることだってできる。

 それを敢えてしないのは俺達を潰しきる兵力が揃っていないのか、はたまた、俺達のことを弄び、心を完全に挫いてから潰そうと思っているのか。あのガロードのことだ、間違いなく後者だろう。

 アーカードに扮して「ガルドア」の指揮を執るガロードは、この状況を楽しんでいる。俺達を追い詰め、嬲り、殺し、今頃は愉悦に浸っている事だろう。

 それとも、何か狙いがあるのだろうか。

 俺達を追い詰めることによって、何かを呼び出そうとしている?

 その『何か』の正体について、俺には何となく察しが付いている。

 既にオルガにも、その可能性については話してあった。

 この砂漠に住む獣人の精神的支柱を失う話なので、俺とオルガを始めとする〝砂漠の守人ナルガルータ〟の中だけでとどめているが。


「ロア」


 他の獣人達と車座になって飯を食っているところに、オルガが神妙な面持ちでやってきた。


「敵襲か?」


 湯で戻した干し肉の戻し汁をすすり、訊ねる。


「あぁ。だが、これまでの数とは比べものにならない。おそらく、あちらも片を付けに来ている」


「……《ゾオン》《変移トラズ》《増加インカラス》」


 ふやかした干し肉を汁ごと胃の中に流し込み、一帯を見渡せるところまで飛ぶ。

 昇りきるまでもなく、俺達の置かれている状況がすぐに分かった。

 魔物の大群が、北の砂漠を真っ黒に埋め尽くしている。

 黒い靄が濃霧のようにその上空を染め上げ、無数の紅い光がチラチラと黒海の中で蠢く。

 距離にして、ピッタリ二キロ先。

 その手に得物を握り、微動だにせず、力なき紅い眼光を瞬かせている。

 目算するのも投げ出したくなるその数に、俺は苦笑いするしかなかった。


「どうする?」


 地上に降りた俺を、オルガが神妙な面持ちで出迎える。


「どうするって、やるしかないだろ。ここが文字通り、最後の砦なんだから」


 腹の底に沈む重たいものを、俺はため息と一緒に外へと吐き出した。


「とにかく、戦えない連中をどうするか考えないと。地下水路へ逃がすのは……やめとこう。待ち伏せされたら即全滅だ」


「確かに。それならまだアグラで強行突破した方が生き延びる可能性がある」


 俺とオルガでああでもないこうでもないと思案していると、救護テントの垂れ幕が開いた。


「戦って、勝つしかないだろ」


 その瞳に強い意志を滾らせ、凜然と背筋を伸ばし、アーシャは俺達二人に告げた。


「それに、魔物になってしまった獣人達みんなを、解放してやりたい。それができるのは、私達しかいない」


「そうだろ?」そう問いたげに、アーシャは真っ直ぐに俺の眼を見詰めた。


「気持ちは、分かるが……」


「ナターシャなら、そうする」


 俺の言葉を、アーシャは遮った。


「ロア、お前の魔法を貸してくれ。あの炎の力が有れば、みんなを解放してやれる」


「いや、いくらなんでも……お前一人では……」


「あぁ、私一人で全員を元に戻すのは無理だ。

 だから、私が抱えられる分だけでいい。

 あとの者達には、申し訳ないけれど……」


 言葉を最後まで紡ぐことができず、アーシャは俯いた。

 こいつはいつも、背負わなくてもいい罪を背負おうとする。


「あぁ。助けられなかった奴らは、俺達が責任もって倒す。

 お前にだけ罪は背負わせない」


 無茶なことだとは分かっている。

 だが、その無茶を通さなければ、どちらにしろ俺達は全員殺される。

 現状生き延びる策が無いなら、戦いの中で見出すしかない。

 策が無いからといって、はいそうですかと己と大切な者の命を差し出すバカなんていない。


 やれることは全部やる。そうして、生き残る。

 

 俺達に残された道は一つしかない。

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