第二章「暗躍」⑥

 深夜。

 夜の闇に溶け込むように物陰に隠れながら、俺はルードイル商会の商館を覗き見ていた。

 前世で見たオランダ商館のような三階建ての白壁が、闇の中で茫と幽霊のように佇んでいる。商館には明かりが一切ともっておらず、ひっそりと静まり返っている。

 ここでナターシャ分身アバターと落ち合い状況確認を済ませたところで、救出作戦は決行となる予定だ。ちなみに、アーシャは別の所で待機している。


「ロア」


 その声を聞いて、俺は反射的に曲げていた背筋を伸ばし、振り返った。


「姉……さん……?」


「久しぶりね」


 その顔を見た瞬間、目にじわりと熱い物が迸った。

 真っ黒なローブに身を包んでいるため、その雪のように白い顔と彗星のように蒼い瞳が余計に際立つ。

 十年前に生き別れた時よりも、その表情はずいぶんと大人びていた。

 あの頃は活発でころころと感情を表に出していたが、今の彼女は口元に薄く微笑を湛えるのみで、あの頃の瞳の輝きは失せ、眼差しは氷のように冷たかった。


「背、ずいぶん伸びたわね」


 少し見上げるようにして彼女は俺に言った。


「……本当に、イリス姉さんなの?」


「えぇ、そうよ。会いたかったわ、ロア」


 俺の問いに小さく頷いた瞬間、俺は衝動的に彼女を抱きしめていた。


「姉さん! 無事でよかった、本当に……!」


「えぇ。あなたも無事で、本当に良かった」


 抱きしめる腕に、そっと姉の手が触れる。

 息吹と涙が、服を通してじわりと胸に温もりを齎した。


「俺と一緒に行こう、姉さん。また昔みたいに、静かにどこかで暮らそう」


「……」


 俺の言葉に、イリスは答えなかった。

 その代わりにそっと俺の腕を払い、数歩後ずさった。


「ごめんねロア。それはできない」


「どうして……?」


 俺の問いに、イリスは悲しそうに笑って答えた。


「私は、人を殺しすぎた。もう世界中に、私を恨む者がたくさんいるわ。

 そんな私が、静かに平和に暮らすなんて、もう無理よ」


「そんなことない、俺がいる。二人でひっそりと、隠れて暮らせばいい」


 俺は負けじと反論した。

 それでもイリスは、首を縦には振らなかった。


「私の業に、あなたを巻き込みたくないわ。

 それに私にはやらなければならないことがある。これまで奪ってきた命が報われるためにも、必ず、やり遂げなければならないことが……」


「やらなければならないこと? 『真世界の救済』ってやつか?」


 ナターシャ分身アバターがガロードから聞き出した言葉だ。〝アルマトロスの亡霊〟は、それを目的に動いていると。


「……そうよ」


「それは、そんなふうにたくさんの命を殺めてまでしなければいけないことなのか?」


「えぇ、誰かがやらないと。世界を私達の手へと取り戻すために」


 それは、どういう……?

 そう問おうとした刹那、上空から何者かが降り立ち、イリスに襲いかかった。

 待ち合わせていたナターシャ分身アバターだ。

 繰り出された二刀の剣撃を持っていた魔法杖で受け流し、イリスが更に後ろへと飛び退る。


「大丈夫かい、ロア?」


 イリスを睨みながら、分身アバターが訊ねる。


「俺は何ともない。それよりもイリスと……姉さんと話をさせてくれ」


「残念だけど、時間切れだわロア。私も行かなければならない」


 氷のように閉ざされたイリスの声。その表情も、暗闇に潜んでしまって見えない。


「これは忠告よ、ロア。今すぐここを離れなさい」


「姉さん!」


「《ルミニス》」


 俺が追おうと一歩踏み出すと、眩い光が路地裏を包んだ。

 光が消え、視界が元の夜の闇に戻る。

 もうそこには、姉の姿はなかった。


「それと」


 どこからともなく、姉の声が響いた。

 風魔法の応用だ。空気を震わせて離れた相手に声を届ける。


「商館に潜り込んでも無駄よ。そこにはもう、誰も居ない」


 心を閉ざしたその声に、少しだけ名残惜しさが顔を覗かせている。

 そう思うのは、俺の願望なのだろうか。

 それきり、姉の声は聞こえなくなった。


 その後、俺達は予定通り商館へと潜入したのだが。

 イリスの言うとおり、置き土産のようにナターシャの愛刀が転がっているのみで、そこはもぬけからだった。


 商館を調べ終わった頃にはもう、空は白み始めていた。


◆◇◆


「よくぞ参った、アーカード。おもてを上げよ」


「はっ」


 帝の言葉に、私は跪いたまま首を擡げた。

 帝は玉座の上で気怠そうに頬杖をつき、無機質な目でこちらを見るでもなくみていた。


「お前にめいを与える」


 さして期待も込もっていない、淡々とした口調。


「ムーラン鉱脈を奪還せよ」


「奪還……と言うと?」


 十二年前、私が将として指揮を執り、砂漠地帯ムーランにある魔鉱石の鉱脈を占拠した。

 彼の地に住む獣人を奴隷にして魔鉱石を掘り出し、運ばせ、我が国の領土としていくつかの街を興し、支配した。

 その支配が十年続いたところで〝砂漠の女神〟率いる反乱者達レジスタンスに敗北し、我々はムーラン鉱脈を手放した。


「言葉のとおりだ。奪い返せ。獣人共が刃向かうようなら、滅ぼしてもかまわん」


「お言葉ですが、帝……」


 十二年前の私と同じ瞳をした帝に、私は進言した。


「彼らは……獣人は気高き種族です。我々人間と変わらない……いや、ある分野に関しては、我々よりも優れた感性をもった知性です。

 ドワーフ達と同じように、和平を結び友好関係を築くことこそ、我が国の真の繁栄に繋がるかと」


「……言いたいことはそれだけか、アーカード」


 終始、私の進言をつまらなそうに聞いていた帝が口を開く。


「負け犬が、よく私に意見する気になったな。何か勘違いしているようだから言ってやろう。此度の将は、誰がやっても構わんのだ。十剣会じっけんかいが出る幕でもない」


 十剣会とは、この国の最高位貴族に与えられる称号だ。二年前までは、私もそこに名を連ねていた。


「主な作戦執行も、この者達に任せる」


 帝がそう言うと、玉座の裏から黒装束に身を包んだ者達が幽霊のように茫と現れた。

 皆一様に白い仮面を付けており、男なのか女なのか、人間かどうかすらも分からない。


「イリス、前へ」


 仮面の集団の誰かが、そう言った。野太い老爺の声だった。

「はい」と答えて一歩、黒装束の一人が前に出る。

 若い女性の声。黒装束に包まれた体も華奢だ。

 仮面を外すとやはり、白く美しい雪のような肌の女がその素顔を晒した。


「イリスと申します。よろしくお願い致します、アーカード将軍」


 跪いている私に対して、彼女は立ったまま軽く会釈をして名乗った。

 彗星のように輝くターコイズブルーの瞳が私を無関心に見つめる。


「その者を補佐せよ。お前の無様な敗北にも、少しは価値が生まれよう」


 そう言って、帝はムーラン鉱脈奪還を私に……いや、イリスに命じた。


 それが十日ほど前のことだ。


 私は今、ゾアス山脈の麓に設けた野営地にいる。

 二年前の敗走以来、なにかと肩身の狭い思いをしている我が兵たちと共に。

 目的地であるムーラン鉱脈までは目と鼻の先。

 予定では軍備が完全に整う二日後に行うはずだった進軍を、イリスは突然夜明けと共に行うと言ってきた。

 理由を問えば「〝砂漠の女神〟にしてやられた、分身アバターを取り逃がし、相手にこちらの手の内が伝わった」と答えた。

 まぁ、あの女ならそれくらいはやるだろう。

 私も幾度となく煮え湯を飲まされた。

 これくらいの作戦変更は、想定の範囲内だ。

 しばし待っていると、商人に扮したイリス達がアグラ荷車を引いてやってきた。


「急な作戦変更、申し訳なかったわね」


 形だけの謝罪をイリスが述べる。


「それはいいが、そいつは誰だ?」


 イリスの隣に立つ、緑色の皮膚をした男。

 只ならぬ雰囲気オーラを放つこの男は、嫌らしい笑みを浮かべながら我々の野営地を物色するように眺めている。


「紹介が遅れたわね。彼はガロード。〝放浪王〟と呼ばれるゴブリンよ。そして」


 スン、と冷たいものが首にはしった。


「あなたの代わりに、この部隊の指揮を執る者です」


 頬が砂に接した。

 首から下が灼けるように痛む。

 イリスとガロードは私を見ようともせず、野営地へと足を進めた。


 待て。

 そう手を伸ばそうとして気付く。腕がないことに。

 声帯を震わせる空気が腹から持ち上がってこないことに。


 そこでやっと、私は己の末路を知った。

 視界が赤く染まる。

 水の中にでも居るように、我が兵たちの悲鳴と断末魔がくぐもって聞こえる。


 意識が、遠退く。


 まだ終わるわけには、いかぬのに。



 

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