第二章「暗躍」⑤

 大市場マーケットへと入った俺達は、すぐに適当な宿屋に入った。

 大市場は夜も明るく人通りや屋台も多いが、それでも日中に比べれば死角や隠れ潜める場所は多い。

〝アルマトロスの亡霊〟が動きやすい時間帯での活動は、極力控えたかった。

 この日は何者かに追跡を受けた様子もなく、二人で見張りを交代しながら眠りに就いた。

 そして翌日何事もなく朝を迎え、街が栄え人通りが多くなった頃を見計らって、俺達は宿屋を出た。

 まず最初にやるべきこと。それは、この街に滞在している〝砂漠の守人ナルガルータ〟にナターシャキャラバンの現状を伝えることだ。


〝砂漠の守人〟とは、その名の通りムーラン全土を守る自警キャラバンのことで、ナターシャキャラバンを含め、獣人の中でも特に戦闘能力に秀でた七つの有志キャラバンがその役目を請け負っている。

 それぞれのキャラバンが必ずどこかの隊商都市キャラバンタウンに滞在するようローテーションが組まれており、〝砂漠の守人〟は自身の本業を行いながら、それに従って警邏の旅をしている。


 アーシャ達はツエリという隊商都市を出て聖域の関門街かんもんがいオルンに向かおうとしているところを襲撃された。

 ということは、ナターシャキャラバンが次に向かおうとしていたオルンでも、他の〝砂漠の守人〟がその到着を待っているはずだ。

 彼女らが襲撃を受けて三日。

 旅の中で生きる獣人達にとってこの三日というのは誤差の範疇。

 未だナターシャキャラバンの現状を知る者は俺達以外にいないと見ていいだろう。

 こうしている間にも〝アルマトロスの亡霊〟は何か事を起こす計画を着々と進めているはず。

 俺達は、それを知らせる必要があった。

 人混みに紛れるようにして大通りを歩いていると、通行人がガヤガヤと色めき立った。

 歓喜と興奮と共に人々が駆け抜け、その先に大通りを埋め尽くすほどの人集りができている。

 俺は横を通り過ぎる獣人の若者をつかまえて、何が起きたか訊ねた。


「女神様が来てるんだよ。ムーランの英雄、〝砂漠の女神〟ナターシャが!」


 そう答えて獣人の若者は人集りの中へと消えていく。

 俺達も互いに目配せ合い、そこに潜り込んだ。


「ナターシャ! 今日は何時から踊るんだ?」


「ごめんねぇ。今日は野暮用でちょっと来てるだけなんだ」


「ナターシャ! いいリンゴが入ったんだ、食ってけよ!」


「ありがとう。一つもらっていくよ」


 その一声一声に応え、手を振り、獣人の女性が大通りを歩く。

 炎のように赤い髪にネコ耳が凜と立ち、焼けた肌と黄金の瞳が陽光を浴びて眩しい。

 その身に纏う雰囲気はまるで太陽のようで、いつもそこにある安心感と、近付きがたい神性カリスマが同居していた。

 道行く人々は彼女のことをナターシャと呼んだ。


 だが……


「あれは【分身アバター】。ナターシャの大いなる力だ」


「あぁ、分かってる」


 告げるアーシャに、俺は頷いた。

 確かにぱっと見は獣人だが、魔力を見る事ができる俺には彼女が生物ではない事が分かる。

 生きとし生けるものの体内には血の循環と同じように精霊アルマ――この場合は魔力の流れが存在する。

 目の前にいるナターシャと呼ばれる存在にはそれがなく、まるでナターシャの形をした器の中に魔力という水が堆積しているようだった。


「お、アーシャ。隣りにいるのは誰だい?」


 俺達に気付いたナターシャ分身アバターが歩み寄る。

 見れば見るほど偽物フェイクとは思えない、本当に生きているような仕草だ。


「こんなイケメンを引っかけてくるなんて、いよいよアンタもお年頃ってヤツかい?」


 ナターシャ分身アバターの軽妙な口ぶりに、大通りに笑い声が舞った。


「君、名前は?」


 滑るような足取りで俺の懐に近付くと、ナターシャ分身アバターは下から覗き込むようにして俺と眼を合わせ、パチリとウィンクをしてみせた。

「こちらに合わせろ」、そう言いたげに。


「ロア……です」


 若干しどろもどろになりながら、俺は答えた。


「そうかい。じゃあロア君、これから三人で飯でも食おう!

 ウチの娘をたぶらかしたんだ、高く付くよ?」


 意地悪い視線でニヤッと笑いながら、ナターシャ分身アバターはそう言うと、くるりと民衆へと振り返り、


「そういうことで、あたしらはここで失敬するよ!

 また公演があるときは報せるから、みんな観に来ておくれ!」


 朗らかにそう宣言して、大通りを一瞬で沸かせた。

 俺達は促されるままその場を後にして、彼女が勧める飯屋に入った。


 ◆◇◆


「アーシャ、良かったよ。生きていてくれたんだね」


 開口一番、ナターシャ分身アバターは顔を綻ばせながらそう言った。

 その言葉にアーシャもはにかみながら頷く。


 ナターシャの大いなる力【分身アバター】。

 使用者のそれまでの記憶と能力を完全に模倣コピーした分身を生み出し、使役することができる。

 分身は意志を持ってはいるが、使用者の命令や生み出されたときの目的を忠実に守り、使用者の死亡、制限時間の経過、分身自身の破壊、任務の完遂、このいずれかを向かえるまでその活動を止めることはない。


 今、俺達の目の前で分身が言うことはナターシャ本人の思考に基づいてのものだし、分身が存在しているということは、少なくとも本人はまだ生きているという証左となる。


「ちなみにあたしは、何もなければ明日の日の出まで活動できる。

 本人から受けた命令は〝砂漠の守人ナルガルータ〟に現状を伝えること、そして可能であれば、本人オリジナル救出に協力してくれる者を見付け、それを手伝うことだ」


 既にこの街の〝砂漠の守人〟には現状を報告済みで、追っ手が手出しできぬようわざと大通りを歩いているところで俺達と出会でくわした、ということらしい。


「なぁ、あいつら……」


 アーシャが顎でしゃくって斜め隣の席を示した。

 男三、女一の四人組。

 俺達が入店してからほどなくして入ってきた客だが、俺もさっきからその視線が気になっていた。

 ナターシャ分身アバターも苦笑交じりに肩を竦めてみせる。そういうことだ。

 俺はため息を吐きながら分身に話を続けるように促した。

 ナターシャは〝アルマトロスの亡霊〟に捕まった後、この大市場マーケットにあるルードイル商会のムーラン拠点に幽閉されたらしい。

 そこで二年前までこのムーランを侵略していたガルドア帝国の将軍、アーカード=ジェイクスとの再会を果たし、ガルドアと〝アルマトロスの亡霊〟の目的を知った……。


「あたし達を襲った連中の頭目はイリスっていう女だ」


「イリス? イリスだと!?」


 分身の言葉に、俺は思わず声を荒げた。


「そいつはどんな顔をしていた? 年はどれくらいだった? 頼む、教えてくれ!」


「どうしたんだい、血相変えて」


 エールを口に付けながら、ナターシャ分身アバターが訝しがる。


「……」


「姉だそうだ」


 追っ手に聞かれることを迷っていた俺の横で、アーシャが答えてしまった。


「バカ!」


 小声でアーシャを叱り、追っ手の方に目をやる。

 気取られないようにしているが、俺とイリスの関係が伝わったとみて間違いないだろう。


「訳ありみたいだね」


 俺の態度のナターシャ分身が訊ねる。


「あぁ、ボチボチな。あとで話すから続けてくれ」


 そう言って、俺は逸る気持ちを抑えようとエールに口を付け、


「“放浪王”ガロードと名乗るゴブリンも一緒だ」


 その名を聞いて噎せ返した。


「だ、大丈夫かい?」


 心配そうに見つめる二人を、俺は手で制した。

 どういうことだ?

 イリスとガロードが、なぜ一緒にいる?

 思考が堂々巡りを繰り返す。

 その後もナターシャ分身の話は続くが、詳細が頭に入ってこない。

 だが――。


「だが、伝説の魔王の一人がいるとなると、迂闊に飛び込むわけにもいかないな。奴の力量は底知れない」


 十年前の惨劇を思い出す。

 己の姿を自由自在に変化させ、巧みな話術で人心を掴み、焼かれても刺し貫かれても元通りになる不死身の肉体を持つ化物……それが俺が見た〝放浪王〟ガロードだ。

 村を滅ぼされた後、その行方を追ってはいたが、あまりにも情報が少なく、けっきょく俺が奴について知れたのは、奴が〝伝説の魔王〟の一人として語り継がれている程度だった。


「だからと言って、諦めるという選択は私にはないぞ」


 頑とした口調で告げ、アーシャが俺に目を向ける。


「どんな相手だろうが、私はナターシャを救う。そのために私はここまで来た。

 お前もそうだろ、ロア?」


 そうだ。

 俺はこの十年間、姉を救うことだけを目的にして生きてきた。

 前世の俺ならとっくに諦めてたであろう状況も、その後の死んだも同然の人生を知っているから。

 己を汚し、絶望に耐え、どんなに苦しくてもずっと諦めずにやってきたのだ。


「そうなんだが……」


 俺は二の句を継げずにいた。勇気と無謀は違う。


「私はナターシャを助けに行く」


 その碧い瞳に決然の光を灯して、アーシャは言った。


「私達の目的は救出だ。相手を倒すことじゃない。

 〝放浪王〟とやらがそんなに厄介なら、出会でくわした時に逃げればいい」


 アーシャの言葉にナターシャ分身も賛同する。

 分身は本人が下した命令に基づいて思考するしアーシャは奴の恐ろしさを知らないから、そういう判断になるのは無理もない。

 だが……。

 革手袋グローブの下で、奴に付けられた烙印が疼く。

 奴を相手取って、俺はナターシャを――そしてイリスを救い出すことができるのだろうか。

 放浪王だけじゃない。下手をするとイリスとも対峙することになるかもしれない。

 そうなったときに、俺自身がどういう判断を下すか分からない。


「ロア」


 黙考している俺にたった一言、アーシャが告げた。


「迷うな」


 これは在り来たりな「一緒に来てくれると信じているぞ」という意味ではない。

 俺が同行しようがしまいが、この二人は行動を変えない。

 だから「迷うな」ということなのだろう。

「後悔のない選択をしろ」と、アーシャは俺に言っているのだ。

 一つ溜息を吐き、俺は村を滅ぼされてからの十年をもう一度思い出した。

 来る日も来る日も落胆と焦燥を繰り返すばかりで、姉を救い出す機会は一度も訪れなかった。

 これを逃せば、もう二度とこんなことは起こらないかもしれない。

 これは、俺にとってもまたとない機会チャンスなんだ。


 だから――。


「俺も行く」


 そう、俺はアーシャに告げた。

 まだ迷いが完全に断ち消えたわけではない。

 だが、踏み出さなければ始まらないことを、目の前の脅威に立ち向かい足掻かなければならない時があることを、俺はアーシャから教わったばかりだった。

 だから俺は、俺の中の理屈をねじ伏せ、言い聞かせた。

 俺は鞄から黒塗りの板と石灰石の欠片を取り出す。

〝アルマトロスの亡霊〟は諜報と暗殺の術に長けている。

 読唇術を使って俺達の会話を「聞かれ」ることを想定して買っておいたのだ。

 俺達が何者かは、もう相手に伝わってしまった。

 それは仕方ない。


東人エルニスト語は読めるか?」


「あぁ、問題ないよ」


 俺の問いにナターシャ分身アバターが頷く。

 俺も軽く頷いて黒板に文字を走らせた。

 具体的な作戦だけは、相手に渡るわけにはいかない。


 ナターシャ救出の作戦会議は火点ひともし頃まで続き。

 その晩、俺達は動き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る