第二章「暗躍」④

 目を覚ますと、今度は大きなベッドの上だった。

 服も白い夜着に着替えさせられ、結んでいた髪も綺麗にかされている。

 手足に填められた拘束具も今はない。

 地下牢とは一転、まるで人間の貴族が住まうような豪華で広い部屋にあたしはいた。

 ソファセットに、窓辺には小さなテーブルセット。

 驚いたことにトイレと小さな湯浴み場まで設けられている。

 食事さえどうにかできれば、この部屋から出ずとも快適な日々を送ることができそうだ。


「なんとも、人間好みの持て成しだねぇ」


 あたしは苦笑まじりに独り言ちた。

 脱出経路を探しつつ、一通り部屋の中を物色してみる。

 案の定、扉も窓も開かなかった。

 というより、ドアノブや窓に触れようとすると不可視の力で反発を受けてしまう。

 扉や窓だけでなく、壁に触れようとしても、そこに一枚透明な壁でも建てられているかのように触れることができない。

 おそらく魔法の類いだろう。

 窓外を見やれば、よく見知った隊商都市の風景が広がっていた。

 陽光を浴びて白光りする建物と色とりどりの天幕が街道沿いにずらりと並び、獣人や人間、ドワーフや小人ハーフリングの姿もチラホラ。

 こんなに多くの建物と人を一望できる場所など、一つしかない。


「……大市場マーケットか」


 思わず、安堵の息が漏れた。

 今のところ、皆いつも通りの毎日を送っているようだ。

 ひとまず脱出は諦めて、クローゼットの中に綺麗に掛けられた自分の服に着替える。

 さすがに剣は没収されたままだ。


「さぁて、どうしたモンかね」


 ローテーブルに置いてあったパンをムシャリとやり、水差しの水をそのまま煽りながら思案する。

 ここが大市場なら、滞在している〝砂漠の守人ナルガルータ〟にどうにかして現状を伝えたい。

 できれば、あの黒装束の正体と目的も明らかにした上で。

 地下牢での一件からどれくらい時間が経ったのだろう。

 パンを食べ終え、果物に手を伸ばす。

 体が食べ物を求め、手が止まらない。


「なかなか、いい食いっぷりじゃあないか」


 突然声を掛けられて、ナシを囓りながら声がした方をチロリと見た。

 扉の前に、いつの間にか男が一人立っていた。

 緑色の肌に、銀色の髪。

 紅い瞳に、尖った耳。

 ゴブリン臭い。だが、その容姿は野性味を帯びた八頭身の美男子だ。


「誰だいあんた」


 もう一口ムシャリと囓りながら問うと、その男は口を三日月のように歪めて答えた。


「お前に会うのは始めてだったな。

 れの名はガロード。察しの通り、ゴブリンだ」


「ガロード……? 〝放浪王〟とか呼ばれてる、あの?」


 それには答えず、ガロードは対面のソファにドッカと身を沈めた。


「ここから抜け出そうとは思わんのか?」


 足を組み、皿に載ってるブドウを摘まみながら訊ねてくる。

 その問いにあたしはかぶりを振った。


「できるならとっくにやってるさ。それに、いろいろ調べなくっちゃならない」


「黒装束の正体か?」


「話が早くて助かるね。その口ぶりだと、あんたは連中とは違うみたいだけど?」


 あたしが訊ねると、ガロードはくつくつと笑いながら答えた。


「残念ながら、れも奴らの一員ということになっている。少なくとも、今はな。

 まぁ名前を貸してやってるだけで、己れは己れのやりたいようにやっている」


「ハッキリしないね。それで、あんたは何をしにここに来たんだい?」


「ここで面白いことが起こると聞いてな。それを観に来た。

 屋敷を彷徨うろついてたら何やら厳重に警備されてる部屋があったので、ちょっと覗いてみた」


 再度扉に目をやると、僅かに空いた隙間から何者かがこちらを覗いている。

 大方この部屋の見張りと言ったところだろう。

 その者の視線は恐怖に彩られ、あたしではなくガロードに釘付けになっている。

 あたしはその視線を無視して話を続けた。


「……ここで、何が起きるんだい?」


 訊ねると、ガロードは値踏みするような眼であたしの眼をじっと見詰め、


「ついてこい」


 そう言って立ち上がり、扉へと向かった。

 突然の出来事にあたしが呆然としていると、


「どうした、千載一遇のチャンスだぞ?」


 ガロードがからかうように促す。

 確かにこれを逃したら、もう期日までに脱出のチャンスは巡ってこないかも知れない。

 少し考え、あたしはソファから腰を上げた。


「それでいい。人の厚意は素直に受け取っておくものだ」


 三日月のような笑みを浮かべたまま、ガロードは部屋を出る。

 ずっとこちらを覗いていた見張りはそれを止めることもできず、押し黙り、震えたまま、あたしたちが歩み去っていくのを見ていた。


 まるでこの屋敷の主のように悠然と歩くガロードの後ろを、あたしはついて歩く。

 時折使用人とおぼしき人間とすれ違うが、彼らは一様にあたし達を見て顔を引き攣らせるだけで、特段悲鳴を上げたりせずにそそくさと道を開けてしまう。


「ここにいる連中は皆〝アルマトロスの亡霊〟の構成員だ。

 表向きはどこかの商会の末端拠点員だがな」


 ガロード曰く、元々いた商会員は全て〝アルマトロスの亡霊〟とやらの構成員と入れ替わっており、表向きには商会の業務をそつなくこなし、その裏で今回の計略を謀っているのだという。


「そのうち、この商会自体も食われるだろうな。

 奴らはそうやって、溶け込む場所を増やしていく」


 まるで朝が来たら夜が来るとでも言うような口ぶりで、ガロードは語った。


「それで、その〝アルマトロスの亡霊〟とやらの目的は何なんだい?

 どうしてガルドアに加担している?」


 あたしが問うと、ガロードは「せっかちな女だ」とあたしを笑った。


「奴らの理念はただ一つ。『真なる世界の救済』だ。

 そのために、この世界のことわりをいくつか破壊しようとしておる。

 そして今はその力を蓄えているところだ」


「その力が、霊晶だってのかい?」


 あたしが訊ねても、ガロードは答えなかった。

 代わりにとある部屋の扉を開けて、入るように促す。


「あんたが先に入りな」


「クカカ、用心深い女だ」


 ガロードに続いて部屋へと一歩踏み入ると、ぞわりと全身が総毛立った。

 この部屋に入った瞬間感じ取った何かに、体が逃げろと警笛を鳴らす。


「どうした?」


 そんなあたしを知ってか知らずか、ガロードは訊ねた。


「……いや、何でもない」


 悟られたくなくて、あたしはゆっくりとかぶりを振った。

 そこは、何の変哲もない書斎だった。


「まぁ、そこのソファにでも掛けて待っていてくれ」


 そう勧めると、ガロードは部屋の奥にある書架の前に立ち、本を出しては表紙も見ずにまたしまうという行為を繰り返した。

 その間、あたしはその場に立ったまま悪寒の理由を探し続ける。


「おお、ここか」


 目当ての何かを見付けたガロードは本を放り投げ、できた隙間に手を突っ込んだ。

 ガコン、と床下で重たい音がして、勧められたソファが床ごと動き出す。

 そこに現れたのは、石造りの階段だった。

 階下に沈む闇の中から死者の手のように冷たい風が吹き抜け、あたしの頬を撫でた。

 微かに、ザワザワという不気味な音が階下で響いている。

 この音を、あたしはどこかで聞いたことがあるような気がした。


「この下だ」


 そう言うと、ガロードは灯りも持たずに階段を降りていった。

 あたしもそれに続く。

 闇の中に潜ってしまえば、灯りなどなくてもあたしの眼はその有り様をハッキリと捉えることができる。

 それはゴブリンも同じようで、先を行くガロードの足取りに迷いはない。

 階段を降りた先は、左右にずらりと檻が積み上げられた石倉のような部屋だった。

 あたし達が足を踏み入れた途端、それまで静かだった闇が一斉に軋み、ガシャガシャと聞くに耐えない騒音が鳴り響いた。


「お前は何度、迷宮ダンジョンに潜った?」


 けたたましい音が鳴り響く中、ガロードが訊ねてきた。

 苦い記憶を思い出し、あたしは顔をしかめる。


「一回きりだ。あんな思い、誰がこのんでするものか」


 幼い頃、奴隷としてガルドアの兵士に連れられて迷宮へと潜った。

 ガルドアの兵士達は、あたしの父を、母を、友人を、そしてあたし自身を、物のように扱った。

 罠に落とされ、魔物モンスターに殺され、慰み者にされ……。

 あたしが生き残ったのは、運が良かったからに過ぎなかった。

 後ろから迫る魔物の群に兵士達が先に殺され、たまたま逃げ果せたところが魔人の部屋で……。

 あたしの顔を見て、ガロードは愉快そうに笑い、


「それでは、懐かしいモノと対面させてやろう」


 そう言ってけたたましく鳴り響く檻を示した。

 促されるままに檻へと近付く。

 あたしと目が合ったのは、狼のような形をしたソレだった。

 生物のようなのに臭いはなく、その眼光も茫と紅く揺れるのみで生気が感じられない。

 他の檻の中には狼だけでなく、猿や鳥、蝙蝠や蜘蛛の形をしたモノもおり、ソレらはみな体から黒い靄を燻らせ暴れ狂っている。

 間違いない。


「魔物……⁉ どうしてこんなところに⁉」


 迷宮ダンジョンの中にしか存在しないと言われ、生命かどうかすら分かっていない謎多き存在――魔物。

 どうして迷宮の外に、しかもこのような形で捕らわれているのだろうか。


〝アルマトロスの亡霊〟奴らの中に、迷宮について研究している者がおってな。そいつがこれらを造った」


 驚愕するあたしの顔を面白そうに眺めながら、ガロードが語る。


「奴の蘊蓄うんちくを聞いてもさっぱりだったが、一つだけ己れにも分かったことがある。それは、これらは全てこの世界の生物で造られたということだ」


 そう言って、ガロードは部屋の一番奥にある檻を顎で示した。


「とっておきがそこにいる。あまり近付くなよ、他のに比べてちぃとばかし、リーチが長い」


 言われたままに檻の中を見て、あたしは絶句した。 

 そこにいたのはあたしと同じ、獣人の女の形をした魔物だった。

 あたしたちに騒がしく敵意を向ける他の魔物達とは違い、その魔物だけは、眼窩の奥底で輝く紅い眼でじっとこちらを見据えていた。


「下衆がッ! さっさとこの子を元に戻しな‼」


 あたしが詰め寄り胸ぐらを掴んでも、ガロードの表情は変わらない。


「一度魔物になった者は元に戻らん。その核石が破壊されるまで死ぬことも許されず、永遠に製造者の命令に従う奴隷へと成り下がる」


「……あんたらの狙いは、コレかい?」


「さぁな。だが、ここは優秀な肉体の宝庫だと思わんか?

 そして一度戦が始まれば、誰某だれそれの体が失われようとも誰も気にせん」


「貴様ァ!」


 怒りで掴む手に力が込もる。

 それでも、目の前のゴブリンが表情を変えることはなかった。


「ここで遊んでやってもいいが……お前がすべきことはそうではないだろう?」


 そう忠告しながら、ガロードはあたし達が降りてきた石段を目配せした。


「……あたしを逃がそうってのかい? どうして?」


「その方が面白いからだ。それ以上でも以下でもない」


 ガロードの紅い瞳があたしの眼を捉える。

 釈然とせず舌打ちしながらも、あたしは手を放した。

 そこへ、


「そこにいるのは誰?」


 石段の辺りからあの女――イリスの声。


「《ルミニス》」


 真言マルナを唱えて宙空に小さな太陽を顕現させると、イリスは深々とため息を吐いた。


「……これはどういうこと? ガロード」


「おぉ、今回の参謀はお前だったか。邪魔しているぞ」


「本当に邪魔しないで頂戴」


「まぁまぁ、そう言うな……」


 ガロードとイリスは何やら問答を繰り返す。

 親しげに話すガロードに対して、イリスの方はガロードを嫌悪しているようだ。

 単純に迷惑がっているだけなのかもしれない。

 何にせよ、隙ができている。

 だが、この隙すらも目の前の男――〝放浪王〟ガロードの産物。


 乗ってもいいのか。

 否、乗らざるを得ない。


(おいで、【分身アバター】!)


 二体の分身を顕現させ、一体をイリスに、もう一体を死角になるよう迂回しながら石段へと向かわせる。


「ちっ」


 イリスは魔法杖ルーンスタッフ分身アバターの爪撃を受け止め、


「《ファラズ》《燃焼イグネッサ》!」


 石段を登ろうとするもう一体の分身アバターに火炎魔法を放った。

 分身はその尽くを避け、ネコのような動きで石段を横から一足跳で登り切り、上の書斎へと滑るように消えていった。


「待ちなさいッ!」


 イリスの注意が脱出した分身へと流れた瞬間、その足をあたしは蹴り払った。


「ぐっ……!」


 背中を床に打ち付けて倒れ、イリスの呼吸が一瞬止まる。


 ――今だ!


 分身アバターの爪がイリスの首を掻き切る――刹那。


「さすがに三対一では分が悪いか」


 斬刀一閃、ガロードの蛮刀が分身アバターの首を刎ねた。

 分身が霧散し、代償の激痛があたしを襲う。

 その一瞬の隙に、イリスが魔法杖であたしの頭を殴打した。

 ガン、と鈍い音が脳で響き、世界が揺らぐ。


「よくも、よくも、よくも……!」


 蹲ったところを、二度三度四度とイリスが魔法杖を打ち据える。

 あたしを殴る杖は、少し震えていた。

 聞き取れない罵倒を撒き散らし、イリスはがむしゃらにあたしを打ち続ける。

 痛みが熱へ、熱が痺れへと変わって、なにも感じなくなり始めたところで、


せ、これ以上は本当に殺してしまうぞ」


 朦朧もうろうとする意識の中で、ガロードの声が耳朶を打った。


「元はと言えばアンタのせいでしょう! どうするのよ! 一匹逃がしちゃったじゃない⁉

 ここも見られちゃったし、もうアーカードにも迂闊に会わせられない‼」


 怒気に声を荒らげながら、イリスが捲し立てる。


「たかが分身風情がはしゃごうが、お前らの計画に支障が出るとは思えんがな。時が経てばそのうち消えるのだから、放っておけば良かろう。

 むしろれが楽しむ特等席ができた」


 彼女と打って変わって、落ち着いた物言いでガロードは語る。


「……あぁ、そういうこと」


 クツクツと笑うガロードの言葉で、それまでヒステリー気味だったイリスも落ち着きを取り戻した。


「どちらにせよ、もうこいつを表に出す理由は無くなったわね。順序が変わったけれど、最重要任務を果たしましょうか」


「あぁ、協力しよう。己れはそれを見に、わざわざ来たのだからな」


 喜々としたガロードの声。

 視界が、暗転していく。


 最後にあたしの眼に映ったのは、空ろな紅い瞳でこちらを見つめる、魔物と化した獣人の少女だった。

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