第三章「降臨」①

 静謐せいひつ


 外に比べてほんの少しだけ湿り気を帯びた冷たい空気が頬を撫で、音に変わってじわりと耳朶に染み入る。

 聖域の深奥にある洞穴。俺達は古くからここを霊廟れいびょうと呼んでいる。


 おいで。


 いつもと同じように岩床に胡座をかいて、目を瞑り呼びかける。

 霊廟中を渦巻く大量の精霊が声に応え、俺の中へと飛び込んでくる。

 父の代から――いや、もっとずっと遙か昔より続いている、俺達の役目だ。

 万物の営みの根源として、空と大地を絶えず循環する精霊アルマ

 しかしその循環が停滞し、まるで池や湖のように精霊が溜まる場所が稀に生まれるのだそうだ。

 この霊廟もそうした場所の一つで、ここから精霊が染み入り、長い年月をかけてここら一帯の鉱物を霊晶れいしょうへと変える。 

 日の光も届かぬにもかかわらずここが明るいのも、霊晶と化した鉱物が光を放っているからだ。


 俺がガキの頃、霊晶に目が眩んだ人間共がここら一帯を支配した。霊廟の守護者として人間共に抵抗していた俺の一族は奴隷になることすら許されず、皆殺しにされた。

 まだ十を過ぎたばかりだった俺は、家族や他の獣人たちの犠牲によって何とか逃げ果せることができた。

 人間共は霊晶のことを魔鉱石と呼び、金になるからと俺たち獣人を奴隷にして搾取した。

 金ってなんだ。

 俺の家族は、そして俺たち獣人は、そんなよく分からない物のために命を奪われ、自由を奪われ続けなければならないのか。

 俺の幼心は、絶えず怒りで煮えくり返っていた。

 隷属と人間の世界と化した砂漠の中で、泥水をすすり、残飯をあさり、人間の物を盗み、殺し、闇に潜み、汚辱にまみれて生きてきた。

 母が褒めてくれた真っ白な毛並みが砂と乾いた血で汚れるごとに、俺の尊厳と誇りは失われていくように感じた。

 それでも。

 亡き父の姿が、俺の頭から離れなかった。

 俺達の一族には役目があった。

 精霊が留まり続けてしまう霊廟は、放っておくとその膨大なエネルギーによって土地をダメにしてしまうのだという。霊廟に溜まった精霊を定期的に自らの体に取り込み、発散させるのが俺達一族の役目で、父は定期的に霊廟の精霊を自らの魔力として取り込んでは、砂漠を巡回し、病やケガに苦しむ者を救い、枯れたオアシスを水で満たしたりしていた。

 昔は俺達以外にもそれができる魔導師が居たらしいが、いつの間にか俺達の一族しかできなくなってしまった。

 常人では霊廟に入っただけで精霊に当てられて精神を侵される。

 常人よりも魔力の容量が大きい魔導師ですら、霊廟の膨大なエネルギーに当てられ続ければ死期を早める。

 それでも父はその役目を放棄することなく、実年齢よりもだいぶ老いた体を引き摺って、砂漠を巡った。


「俺が繋いだ命が俺を生かし、俺達の明日をつくる」


 そう口癖のように言いながら。

 そんな姿を見ていたからだろうか。

 隷属と支配のおもりに項垂れる同族を鼓舞して、俺は俺の心のままに従った。

 この砂漠を――父が繋いできた命を取り戻す。

 この思いを己の心に滾らせ続け、仲間を募り、俺は反乱者レジスタンスとして人間共と戦い続けた。

 だが、いくら身体的にこちらが優れていようとも、人間の武力と兵法とやらの方が巧みで、俺達は生き残ることで精一杯だった。

 多くの仲間が殺された。

 その度に、俺を逃がした家族の姿を思い出した。


「お前は獣人おれ達の希望だ」


 皆口を揃えて、そう言ったから。

 戦っては逃げて、仲間を増やしては減らし……。

 俺の心は疲弊していった。

 己の心に掲げた「獣人達に再び自由を」という想いが、えらく重たい荷物のように感じた。

 俺は、己の無力を呪った。

 そんなときだった、彼女と出会ったのは。


「オルガ!」


 叫びに近い上擦った呼び声が、俺を瞑想から引き剥がした。

 霊廟の入口で、狼の獣人がこちらに焦燥の視線を向けている。

 今は大市場マーケットに駐在しているはずの〝砂漠の守人ナルガルータ〟――鋼の狼牙、武器商人ダントだ。


「ダント? どうしてここに? いや、そんなことより……」


 千切れた左耳に血塗ちまみれの身体。いつもは不敵な輝きを放つその瞳もくすみ、今にも倒れ伏してしまいそうだった。


「ガルドアだ」


 息を荒らげながら、ダントは一言ひねり出した。

 曰く、ガルドアが〝アルマトロスの亡霊〟とかいう魔導師集団を引き連れて乗り込んできたと。ナターシャもそいつらに捕まり、何とか逃げ果せた彼女の分身が、ダントに事の顛末を伝え託した。

 それを俺に伝えようとアグラを走らせていたところで追っ手に遭い、何とかここまで辿り着いた、とのことだ。

 霊廟から受け取ったばかりの魔力で傷を癒しながら、俺は息も絶え絶えに話すダントの話に耳を傾けた。


 そこへ。


 ドン、という爆発音が鳴り響いたあとに、悲鳴と怒号が洞窟の中を駆け抜けた。

 この洞窟の外――関門都市オルンで何かが起きたのだ。


「お前はここで休んでいろ」


 俺はダントをその場に横たわらせ、オルンに向かって全速力で走った。

 関門都市オルンは、元々は霊晶の発掘奴はっくつどにされた獣人達の収容施設だった。

 それを俺達が街として発展させ、関所として使っている。

 ガルドアに制圧されるまで、聖域は誰のものでもなかった。

 先にも述べたとおり、常人が入ると精神を蝕まれるので霊廟だけは立ち入りを禁じていたが、それ以外は誰がどこへ潜って霊晶を採っても構わなかった。

 俺達獣人にとって、それらは精霊の恵みに他ならず、誰のものでもないのだから。

 しかし奴らに聖域を占領され、俺達はその考えを改めざるを得なかった。

 自らの自由と尊厳を守るために、閉めるべき門戸を用意せねばならない。

 そうして俺達は、人間共が残していった分厚く大きな鉄扉だけは残し、関門都市オルンを作り上げた。

 洞窟を抜けると、その鉄扉が跡形もなく吹き飛ばされ、残骸が燃えていた。

 街の中を嫌というほど見慣れた兵装をした者共が蠢き、商いや採掘の準備をしていた者達を無差別に斬り殺している。

 悲鳴、怒号、炎、血飛沫。

 二年前に追い出したはずの地獄がまた、俺達を蹂躙している。


「《ファラズ》! 《燃焼イグネッサ》!」


 俺は手近の兵士共めがけて真言マルナを唱えた。

 俺の魔力が周囲の精霊を屈服させ、紅く染め上げる。

 くれないの精霊が標的へとはしり、その頭蓋を焼いた。

 焼いた、はずだった。

 しかし頭を焼かれたにもかかわらず、兵士共は立ち上がり頭部を燃やしたまま何事も無かったかのように殺戮へと戻っていった。


「なんだ、コイツらは……」


 ここで初めて、鎧に身を包んでいる者が人間でないことに気付く。

 ソレは、鎧の隙間から黒いもやくゆらせていた。

 目だと思しきところに眼球はなく、赤い光が茫と不気味に輝いている。


「久しぶりだな、オルガ」


 蹂躙と殺戮に満ちた街路を、その男は散歩でもするかのように闊歩してきた。


「アーカード……」


 その男の名を、俺はヒリヒリと焼け付く喉から引き剥がす。


「そんなに恐い顔で睨むな。せっかくの宴だ、楽しもうではないか」


「宴……だと?」


 俺が問うと、アーカードはこれまで見せたこともない、残虐な笑みを見せた。


「宴だよ。こんなに美味そうな獲物が、たんまりと転がっているんだからな」


 その口元が三日月のように更に釣り上がる。

 死臭と黒煙の中に、ゴブリンの臭いが孕んでいた。


「貴様、何者だ!?」


 咆吼と共に、俺は炎の真言を唱えていた。

 アーカードに扮する何者かの体を、炎と化した精霊が包み込む


「ほう、お前も外法使いチーターか」


 全身を焼かれ異臭を放ちながらも、その声は俺の力を楽しんでいるようだった。

 得体の知れない恐怖が、脳内で警笛を鳴らす。

 俺は立て続けに大地の真言を唱えて砂の大蛇を顕現し、アーカードの姿をした何かを喰らわせた。

 バグン、と音を立てて大蛇が敵を喰らい、口から煙をくすぶらせながら還っていく。

 あまりに呆気ない終焉。


「まぁ、そう焦るな」


 突然背後から呼び止められ、反射的に裏拳を放っていた。

 拳を追うようにして背後を見れば、そこには緑色の皮膚をした男が立っていた。

 俺の拳がその頭蓋を割る刹那、男の顔が砂のように霧散して拳が通り過ぎた。

 驚いている隙に、首に得体の知れない触手が巻き付く。

 触手は男の右腕から伸びており、その凄まじい膂力で俺の体は持ち上げられた。


「さすが〝砂漠の女神〟と共にムーランを救った英雄。戦い慣れている。聞き及んでいるぞ〝最後の交霊師アルミニスタ〟白虎のオルガ」


 男はその赤い双眸で俺を見つめた。


「お前を勧誘するよう頼まれている。組織に入るならその命、助かるぞ」


 試すような瞳で男は言った。


「あ、いつ……の……ナターシャの、命は……?」


 俺が問うと、男は「あぁ、」と思い出したかのように言った。


「残念ながら手遅れだ。彼奴あやつの命運は、既に決している」


「そ……うか、ならば……」


 首を締め付ける触手を握り締め、爪を食い込ませ、


「俺と一緒に……地獄へ落ちろ!」


 いかずちの真言を唱えて、自身もろとも男を焼いた。


「クカカカカカ! いいぞ、その息だ! 果たしてソレで、れは死ぬかなぁ⁉」


「殺す! 刺し違えてでも……お前を! ここで!」


 迸る紫電が俺と男の肉を裂く。

 その度に血飛沫が爆ぜ、血潮の焼ける臭いが鼻を刺した。

 殺してやる。

 俺の希望を……愛する女を殺した、この男を‼

 紫電が盛大に爆ぜ、男の頬を裂く。

 男はそれに怯むことも狼狽えることもなく、三日月の笑みを浮かべたまま爛々とした瞳で俺の眼を見ている。


「クカカカカカ! やはりお前をただ殺すのは惜しい!

 お前という存在を、己れの、“放浪王”ガロードの身体に刻んでやろう!

 光栄に思え!」


 紫電で爆ぜた腕の傷から、触手が肉を突き破って潜り込んでくる。

 腕から肩を通って、触手の先端が頬をなぞる。


「させるかぁ‼」


 内に秘めた魔力を全て解き放とうと、丹田に力を込めた。

 身体が白光に包まれ、ガロードもろとも一帯を吹き飛ばす――その、刹那。


「オルガァーーーーーーーッッッ‼」


 自分を呼ぶ声と共に、蒼天を斬り裂く紅閃がガロードの触手を寸断した。

 ガロードの手から離れた触手が、雷で燃えて灰と化す。

 無様に跪く俺とガロードの間に、一人の少女が立っていた。

 その背に青白く輝く光の翼を顕現させ、両手には俺がナターシャに譲った半月刀――"紅月ガーネットムーン"を握り。

 赤い炎に輝く黄金の髪をなびかせた、人間の少女。

 その少女を、俺は知っている。


「《大いなる万有の母マゾアレーナその腕に抱かれウムアルゴート――……眠れイドゥ》!」


 天空より、若い男の声。

 その声は聞いたこともない真言を朗々と響かせる。

 刹那、何かに押し潰されるように眼前に立っていたガロードが跪き、耐えきれずその場に倒れ伏した。

 それまで殺戮を繰り返していた黒い靄の化物共も押し潰され、その内に秘めた何かが破壊されて霧散していく。

 化物だけじゃない。

 燃えた建物やキャラバンテントまでも、見えない何かが炎ごと押し潰し火災を鎮火させている。

 しかし、生き残った、あるいは殺された獣人にその力は及んでいないようだった。


「助けに来たぞ、オルガ!」


 剣を構え、ガロードと名乗ったゴブリンを見据えたまま、ナターシャの娘――アーシャは俺に力強く言い放った。

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