第二章「暗躍」③

 赤々と燃える太陽が、地平線へと沈んでいく。

 太陽の残した光の残滓を黄昏が絡め取り、風の中に夜の冷たさが匂い始める。

 ぽつり、ぽつりと。

 空に星々が顔を出すのと同時に、陽光の中ではあまり目立たなかった精霊達が、夜の訪れの中、蛍火のようにチラチラとその姿を覗かせ始めた。


 また、この景色を見られる日が来ようとは……。


 見えることが当たり前だった頃は、少しうるさくも感じていた精霊達の姿を、俺は懐かしんだ。

 アーシャは、風に弄ばれるままにその金髪を遊ばせ、物思いに耽っている。

 おそらく、先ほど弔った仲間達と、どこかで捕らわれているナターシャのことを思っているのだろう。


 俺達は今、ムーラン最大の隊商都市キャラバンタウン――大市場マーケットの近くにいる。

 隊商都市とは、獣人達が交易を行うために設けた街のことだ。

 元々はガルドアがムーラン全土を支配していた頃の拠点を獣人達が再利用してできた都市で、全部で六つの隊商都市が砂漠のあちこちに点在する。

 ムーラン最大の隊商都市とはよく言ったもので、二~三キロ離れたこの場所から見ても、大市場が人間の大国でもなかなかお目にかかれない大都市であるということが覗えた。

 砂丘の輪郭すら飲み込む闇の向こうに、白と黄色と橙と……様々な色の明かりが煌めき、闇に忍ぶ砂漠の中でそこだけははっきりと、キャラバン群が織りなす色とりどりの天幕と白壁の建造物が見えた。


「おぉ~い、二人とも」


 俺達の姿を認めると、チャロモ老はアグラの後ろから短い手を懸命に振って見せた。

 大市場へと入る前に、俺達はここでチャロモ老と落ち合うことになっていたのだ。


「じーじ!」


 声が聞こえた途端、アーシャの表情がパッと明るくなり、荷車へと駆けていく。

 その変わり身の早さに少々驚きつつ、俺もアーシャに続いた。


「ちゃんと、皆に挨拶できたかね」


 ひしと抱きつくアーシャの頭を撫でながら、チャロモ老は訊ねた。


「うん。ロアのおかげで、みんなの姿を見ながら挨拶できた」


「ほぉ。人間の魔導師は、そんなこともできるんかの?」


 アーシャの言葉に、チャロモ老が目を見開く。


「いや、俺にも何が起こったのかよく分からん」


 あんなふうにして死者が姿を現すのは、怨霊ゴーストとか屍者ゾンビとか、そういう類いしか見たことがない。

 きっと彼らが精霊に成りきる前に、アーシャにいろいろ託したかったのだろう。

 そこにたまたま、俺の魔力と詞が噛み合った。

 やろうと思ってできたことではない。

 俺がそう答えると、チャロモ老は「そういうもんかの」と眼をしばたたかせた。


「それで、首尾はどうだった?」


 今度は俺が訊ねると、チャロモ老は頷いて見せた。


「あぁ。言われたとおりに換金しといたぞ」


 ごそごそと懐から三つの銭袋を出し、手渡す。

 袋の中には、銅貨と銀貨と金貨がそれぞれぎっしり詰まっていた。

 人間社会で最も広く流通している東連邦貨幣ギルダックスだ。


 この世界の貨幣流通は全て硬貨で行われており、その国々で単位や若干のレートの違いはあるものの、銅貨が前世で言うところの一枚五〇円、銀貨が一万円、金貨が一〇万円くらいの価値で取引される。

 未だ村落では物々交換が主流で、貨幣で買う物=特別な物という認識が強い。


 三袋の合計金額は七〇〇万ギルダほど。

 その換金率の高さに、正直驚いた。


「危険な仕事を請け負わせてすまない。

 砂漠住みの獣人が人銭を欲しがるなんて、怪しまれなかったか?」


 獣人同士の商いはほぼ物々交換である。

 この大市場では人間も商いをしているが、人間を嫌う獣人も少なくない。

 そんな中で高額な人銭にんせん換金を行っている獣人がいれば、それだけで目立ってしまう。


「なあに、いくらかに分けて換金すれば目立たんし、わしにもいろいろ伝手がある。

 基本的にはいつもの物々交換と変わらんて」


 煙管を噴かしながらチャロモ老は得意げに笑う。

 俺は、金貨袋をチャロモ老に差し出した。


「……どういうつもりじゃ?」


「ここまでいろいろしてもらった礼だ。

 爺さんがいなかったら、俺はとっくに終わってた」


「それだけじゃないだろ?」


 ギロリと睨むチャロモ老。

 その眼差しを俺は一身に受け止める。

 昨晩、今後の打ち合わせをしていたときに切り出すタイミングはいくらでもあったし、切り出すべきだった。

 それをしなかったのは、アーシャと話してちゃんと納得させてからにしたかったのと、何より、俺がこの心優しき獣人の老爺と離れがたかったからだ。

 大きく深呼吸をして、俺は切り出した。


「ここでお別れだ。爺さん」


 俺の言葉に、チャロモ老は深々とため息を吐いた。


「二人で相談済み、ってところか」


 押し黙って俯くアーシャを横目に、チャロモ老がこぼす。


「悪い。これ以上、巻き込むわけにはいかない」


 これから俺達がケンカを売るのは、謎の暗殺組織〝アルマトロスの亡霊〟。

 残忍で冷酷無慈悲。利用できるものは全て利用してミッションを達成しようとする連中だ。

 そして奴らは、己の存在を他の者に知られることを極端に嫌う。

 アーシャが奴らの手を掻い潜って逃げ出せたと聞いて、俺はこのムーランに点在する全ての隊商都市に、奴らの手の者が潜んでいるとみている。

 こうして都市の外でチャロモ老と落ち合ったのも、俺達とチャロモ老の関係を極力悟らせないようにするためだ。


「……分かっておったわい。ワシができるのは、ここまでじゃとな」


 そう言って、チャロモ老は袋から五枚だけ金貨を抜き、残りを俺に投げ返した。


「礼だというなら、カンテラとロープ代だけで十分じゃ。ワシも久方ぶりに楽しい夜を過ごせた」


 眼をくしゃっとさせて微笑むと、チャロモ老はアーシャを手招きして、強く抱きしめた。


「アーシャよ。お前さんは、迷宮覇者にしてこの砂漠を救った英雄の娘じゃ。辛く苦しい戦いになると思うが、お前さんならきっとナターシャを救えるよ」


 チャロモ老が頭を撫でると、アーシャは押し黙ったまま、そのふかふかの体に顔をうずめた。


「ロア。お前さんのお陰でワシも命拾いした。本当にありがとう。

 アーシャをよろしく頼む」


「あぁ。こちらこそ本当にありがとう、爺さん」


 俺が礼を言うと、チャロモ老は「いい面構えじゃ」と頷いた。


「少しだが、餞別も用意してある。持って行きなさい」


 そう言って、チャロモ老は迷宮に潜ったとき同様、医薬品などでパンパンに膨れた頭陀袋を俺に手渡した。


「何から何まで、すまない」


「気にするな。いいか、ナターシャを救って一段落したら、必ず三人で顔を見せに来い。

〝砂漠の女神〟救出の功労者として、ムーラン一の剣舞と魔法のショーを見せておくれ」


「おいおい、俺は奇術師マジシャンじゃないぜ?」


 苦笑交じりに俺がそう答えると、獣人の老爺は心底愉快そうに「ふぇっふぇっふぇ」と笑った。


「お前さんらに、善き風の導きがあらんことを」


「あぁ、爺さんも達者でな」


「ここまでありがとう、じーじ」


 別れの挨拶を交わしたところで、チャロモ老はアグラに鞭を入れた。

 ガラガラと音を立てて離れていく荷車を、その姿が見えなくなるまでずっと見守り。

 俺達は互いの眼を見て一つ頷き、大市場へと歩を進めた。

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