第二章「暗躍」②
ジリジリと肌を焼く砂漠と違い、ひんやりと冷たい空気が肌を撫でる。
濡れた石の臭いと鉄の臭いに、少々のカビ臭さ。
両手足にずしりと重い感触。
石壁に囲まれているのか、全ての音が反響して聞こえる。
鈍い頭痛に眼を開くことも億劫だったが、それでも獣人の持つ鋭敏な聴覚と嗅覚が、あたしに自らが置かれている状況を教えてくれた。
ゆっくりと目を覚まして上体を起こす。
どうやらどこかの地下牢に閉じ込められているらしい。
……あれから、いったい何日経った?
突然、黒装束と仮面に身を包んだ妙な連中に襲われた。
相手は総勢二十人。
臭いからして、十人が人間。
残りは獣人が四、オークが三、リザードマンが一。嗅いだことがない臭いが二。
人数だけで見れば、怯むような相手ではなかった。
普段は陽気な演芸キャラバンだが"
たとえこの倍の人数で襲われても負ける気はしない。
相手が全員、魔導師じゃなければ。
突然激しい耳鳴りに襲われたかと思いきや、荷車がけたたましい音を立てて転倒した。
あたし達が荷車から抜け出したときには、既にアグラと馭者を務めていたヨポヨポは首を切り落とされて死んでいた。
その姿に息を飲む暇すら与えられず、あたし達に黒装束達が襲いかかった。
明らかに訓練された、統率の取れた身のこなし。
それに加え、魔法による予期せぬ足すくいや妨害にペースを乱され、不意打ちから態勢を整えるまでにずいぶんとかかってしまった。
何とか勝機が見え始めたところであの女が現れ――あたし達ナターシャキャラバンはアーシャとあたしを残して全滅した。
複数名の足音が遠くから響いてくる。
見れば、衛兵と黒装束の集団を引き連れて、あの女がこちらに向かって来ていた。
雪のように白い肌、真っ直ぐで艶やかな長い黒髪、こちらを睨み据える、彗星のような水色の瞳。
手には金でできた
あの時、唯一仮面をしていなかった黒装束――。
あたしの仲間を殺した魔導師――名前は確か、イリス。
「気分はどう?」
牢の前に立つなり、イリスは短く、さして興味もなさげに訊ねた。
「……最悪だよ」
答えながら、あたしは彼女を睨み付けた。
「そう。貴女ならこんな所、さっさと抜け出せるでしょうに。
それをしないってことは、私達のことを探ろうって魂胆なんでしょ?
さすがは
こちらに感情を読み取らせないようにしてるのか、はたまた感情を表に出さないタイプなのか、淡々とした、冷たい炎を思わせる口調でイリスは言った。
「今起きたばかりなんだよ。これから身支度調えて、お暇しようとしてたところさ」
目一杯の虚勢に笑ってみせ、あたしは答えた。
すると、イリスの背後で男の声が冷たく響いた。
「……それは困るな」
この声、忘れるはずもない。
さっと道を空ける衛兵の後ろから、色白銀髪の人間が歩み出る。
胸には竜殺の意匠――ガルドアの国章だ。
「アーカード……」
その男の名を、あたしは腹底から絞り出した。
アーカード=ジェイクス。
十二年前に聖域を占拠し、あたし達獣人に地獄の時代を齎した張本人。
「久しいな、ナターシャ。今は"砂漠の女神"だったか。元気そうで何よりだ」
あたしが付けた右眼の傷を撫でながら、アーカードは僅かに口角を上げた。
「……アンタが絡んでるってことは、狙いはまた聖域の
霊晶を原料として作られる魔石、そしてそれを核とする魔道具は人間だけでなくあたしたち獣人の生活でもなくてはならない物となってきている。
そして人間の世界では魔道具――ひいては魔石の生産力を上げることが自分達の強さを示す基準となっているらしい。
ガルドアもその例外ではなく、獣人達を奴隷にして霊晶を得て、それで作った魔道具を使って領土を大きく広げ、人間社会でも有数の武力国家にのし上がった。
「少なくとも
こちらも淡々とした口調で、アーカードは答えた。
「それで? 何なんだいコイツらは」
黒装束共を顎でしゃくって訊ねると、アーカードは
「私もよくは知らん。私が帝都に呼び出されムーラン鉱脈の奪還を命じられた時には、こいつらが帝の周りを
相変わらずの無表情だが、その言葉には微かな自嘲が孕んでいた。
その言葉だけで、アーカードの立場が少なくともムーランを侵略していた二年前までとは大きく違うことが覗える。
「……これから何をするんだい?」
「ムーラン鉱脈を明け渡してもらう。できるだけ、穏便な方法で」
「はっ! あたしの仲間殺しといて、よく言うよ」
「なに?」
あたしが吐き捨てると、アーカードは眉根を潜め、
「どういうことだ?」
と、イリスに訊ねた。
「帝からの命令よ。『統治が完了するまで、獣人に手心を加えるな』って」
アーカードの視線を物ともせずに、イリスは答える。
「それにしたって、やり方というものがあるだろう。
話し合えるところは、話し合うべきだ」
真剣なアーカードを嘲るように、イリスは笑った。
「それは貴方がやるべきことだったんじゃなくて?
そこの女神様も、貴方の話に聞く耳なんて持っていないじゃない」
イリスの言葉に、アーカードが黙り込む。
「〝砂漠の女神〟が捕まれば、獣人達も諦めて従ってくれるでしょ。たぶんそれが、一番『穏便に』事が進む方法だわ」
そう言うと、彼女はこちらに見下して、
「そういうわけで、協力してもらうわよ。こちらの作戦が終わるまでは、客人として丁重に持て成すわ」
と冷たく告げた。
「客人?
拘束具をジャラジャラと鳴らしながら吐き捨てると、イリスは「それもそうね」と溢し、
「よろしいかしら? アーカード将軍」
イリスの問いにアーカードは黙って頷いた。
衛兵が格子の中へと踏み入り、拘束具を外す。
――やるなら、今しかない。
(おいで、【
胸中で、あたしは内なるあたしを呼び出した。
体から魔力が抜け出し、あたしの記憶と能力を
開け放たれた牢屋の扉を一足跳でくぐり、分身とほぼ同時にあたしはイリスへと飛びかかった。
剣など持たずとも、あたしには人間の皮膚を容易く斬り裂く爪がある。
真言を唱える暇は与えない。
斬――!
イリスの首と胴をあたしと分身がそれぞれ掻き切る。
しかし、その喉笛から噴き出したのは血ではなく……。
「バカね」
傷口から砂を噴き出しながら、舌打ち混じりにイリスは溢した。
――
格子の前に立っていたのは本物のイリスではなく、砂でできた人形だった。
「《
別の方向からイリスの声。
それに呼応して砂人形が巨大な刃へと
真っ二つに寸断された分身が、切り口から精霊を噴き出しながら霧散する。
「ぐぅっ!」
外敵に分身を破壊された反動で激痛が
その一瞬の隙を、鋭く冷たい真言が貫いた。
「《
刹那、ドクンと心臓が脈打ち突然呼吸が止まった。
呼吸だけではない。
まるで全身が石にでもなったかのように硬直し、指一本動かせない。
体の自由を失ったあたしは、為す術なくその場に倒れ伏した。
「か……は……っ」
まただ。
あの時と同じ。
このよく分からない魔法によって、あたしのキャラバンは全滅した。
分身にアーシャを抱えて逃げさせたけれど、無事に逃げ果せたかどうか……。
「勇敢と無謀は全くの別物よ、〝砂漠の女神〟」
アーカードを守っていた黒装束の一人が仮面を外し、あたしを見下す。
「《
格上の魔導師でもない限り、いくら迷宮覇者でも、私には勝てない。
まぁ、私の手に負えない化物のような迷宮覇者も、ウチには居るけど」
何者かを思い出しているのか、苦々しくそう言って、イリスはあたしにかかった魔法を解いた。
それまで呼吸もままならなかった体が一気に解放され、ドクンと大きな脈動が全身を叩く。
あまりにも強い鼓動に噎せ返る。
激しい頭痛に朦朧とする意識。
とてもじゃないが、動ける状態じゃない。
衛兵に何やら告げると、悶え苦しむあたしを一瞥して、イリスは踵を返して去っていった。
「部屋を用意してある。悪いが、事が済むまではどうか大人しくしていてくれ。
君を無下に傷付けたくない」
そう告げて、アーカードも踵を返す。
くそ、くそっ……!
動かない体の奥底で、あたしは悪態を吐いた。
争いが避けられないなら、せめて最大の脅威を――仲間達の仇を討ちたかったのに。
ジズ、アカハ、ヨポヨポ、カンラ――アーシャ……。
薄れゆく意識の中で、仲間達の視線があたしを真っ直ぐ見つめる。
すまない、みんな。
本当に、すまない……。
遠退く意識の中で、あたしは仲間達に詫び続けた。
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