ペットロス
久世 空気
第1話
こんなこと言っても誰も共感してくれないかもしれないが、幽霊が見えると周囲に知られると、たまにどうでも良い相談事が舞い込んでくる。
大学の事務局前で掲示板を確認していたら、大して仲良くもない後輩の田中が真剣な顔をして話しかけてきた。
「先輩、今、俺なんか取り憑いてませんか?」
藪から棒になんだこいつ。
「いや、何もみえないけど」
「本当ですか? ちゃんと見てください」
信用できないなら聞かないでほしい。俺が帰ろうとしたら慌てて追いかけてきた。
「話を聞いてください! 助けてください!」
要望が多い。面倒だが後に引くのも嫌だから、校内のカフェテリアで話を聞いてやることにした。
「調子が悪いんです。最近風邪を引きやすいし、単位を落とすし、大事な日に寝坊するし」
はぁ、と適当に返事をして聞いていたが、これと言っておかしな話はなかった。予想通りすぎる。あくびを我慢しているのが気付かれ、田中がやや苛立ち始めた。
「先輩、真面目に聞いてください」
「・・・・・・うん、なんか普通すぎて」
「でも、俺は今までそんなに風邪を引いた事無かったし、大抵のことは上手くいってたんです」
悪い奴じゃないんだろうけど、価値観が違いすぎる。
「それって、ただこれまで運が良かっただけだと思うよ」
それでも田中は納得していないようだった。
「ところで服に付いているのは猫の毛か?」
ベージュのセーターに白い毛が付いている。指摘され、それまでピリピリしていた田中もへらっと破顔した。
「そうなんですよ。去年、側溝に子猫が落ちてて怪我してたんですよ。親猫もいなかったから、拾って病院に連れて行ったんですけどね、なんか懐いちゃって。あ、写真見ます」
いらん。
「それは6ヶ月位前か?」
「えっと、それくらいかな?」
「あと、もう一つ。昔ハムスター飼ってた?」
田中の目がまん丸になる。え、え、と変な音を発してから
「なんで分かるんですか? 飼ってたの小学生の時ですよ?」
表情に若干の不信感と恐怖が混じる。俺は慣れているからかまわないが。
「入学したときからすごい物、連れてるなって思ってたんだよ。金色のジャンガリアン」
「・・・・・・伊藤君は金色じゃない」
なんでハムスターを名字呼びしてるんだ。
「たまに見るんだけど、生前大切にしてたペットはたまに金色になって憑くみたいなんだ。守護霊みたいなのかな」
全部が全部そうなるわけじゃない。まるで生きているように憑いているペットもいれば、短期間で見えなくなる(おそらく成仏している)ペットもいる。伊藤君が小学生の時に亡くなっているのなら、かなり長期間憑いていたようだ。
「守護霊・・・・・・」
ちょっと感動したように目を潤ませた田中だが、ふと現実に戻ってきた。
「伊藤君が守護してくれなくなったから運が悪くなったって事ですか?」
「そうなんじゃない?」
今、田中の傍にはなんにもいない。ただの田中だ。
「たぶん、猫が怖くていなくなったんだと思うよ。ハムスターだし」
「そんな・・・・・・俺はそんなつもりじゃ・・・・・・」
「いなくなったって、ようは成仏したって事だからそんなに悪いことじゃない」
肩を落とす田中を慰めるつもりで言ったのだが、あんまり効果は無かった。
「確かに、ミャーコを拾ったとき、俺に向かってすごい威嚇してたのに、数日したらパタッとそれがなくなって、懐き始めたんです。敵じゃないって気付いたからと思ってました」
はぁ、と田中は顔を覆って大きなため息をついた。
「伊藤君は充分幸せに生きて、充分君を守ってきたと思うよ。それでいいじゃないか」
「でも、追い出すみたいなことを・・・・・・守ってくれてたなら、もっとちゃんと送り出せば・・・・・・」
「おまえが生きている限り新しい出会いがあるのは必然だろう? それに一度お別れした伊藤君に気を遣う必要はないと思うが」
「先輩はペット飼ったことがないんでしょう?」
かすれた声で田中が責めるようなことを言う。
「ないよ。動物って純粋なんだよ。生きていても死んでいても。そんな生き物を人間のエゴで飼ったりしたくない」
田中は俺をにらむ。にらまれたらにらみ返すしかない。
「だからおまえは今飼ってるミャーコを大切にするしかないだろ。一度飼い始めたんだから、責任もてよ」
「当たり前でしょ」
田中は立ち上がると足音を鳴らして去って行った。たぶん、もう話しかけてくることはないだろう。これも幽霊が見えている人間によくあることだ。
「酷いですね、先輩。もうちょっと言い方があったでしょ」
振り返ると白い女が立っていた。肌も髪も着ている服も、鞄すら真っ白だ。
「例えば、伊藤君は田中君が新しい出会いでペットロスを乗り切ったから天国に行ったんだよ、とか?」
「はぁ・・・・・・」
こんなやつ大学にいたか?
女はつかつかとテーブルの横を通り、さっきまで田中が座っていた向かいの椅子にちょこんと座った。
「先輩、私も、見えるんです」
大きな黒目がちの目がキラキラと俺を見つめる。
「私たち、きっと良い友達になれると思うんです」
こんなこと言っても誰も共感してくれないかもしれないが、幽霊が見えると周囲に知られると、たまにとんでもない人間に目を付けられる。
このカレーうどんと縁のなさそうな女との出会いが、今後どうなるか、さすがに俺にも見えないかな。
ペットロス 久世 空気 @kuze-kuuki
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