ダンデライオンをあなたに

テケリ・リ

あなたの半分でも良いから素直になりたかった


『お初にお目に掛かります。本日よりお嬢様の専属侍女を務めさせていただく、エリューシアと申します』


 そのいくらも歳の離れていない侍女は、私には勿体ないほどに明るく、正直で、真面目な人だった。


『どうぞ、何なりとご用命を。ティアラお嬢様』


 私――ティアラ・フォン・イグニシア侯爵令嬢の専属侍女として。

 二つ年上の彼女が歳が近いという理由で、我が家門に庇護を受ける多くの貴族家を代表して。エリューシア・リバーグロウス子爵令嬢が我が家の門戸を叩いたのは、私が成人を迎える一年前……十四歳の春のことだった。


 侯爵家唯一の後継者である私であったけれど、幼少の頃のお披露目会で家臣団の値踏みをするかのような視線を受けてから、対人関係に非常に敏感になってしまった。

 あの利用価値を見出そうとする視線もることながら、両親の良いとこ取りをしたような整った容姿にも不躾な視線が集まり、私の足先から頭頂までつぶさに査定されるあの不快感に……有り体に言えばそう、私は対人恐怖症になってしまったのだ。


 他者の視線に怯え屋敷に引きこもるようになった私を大いに心配し、両親は信の置ける家庭教師や執事、そして専属の使用人を宛てがい、包み込むようにして大切にはぐくんでくださった。

 そうして〝深窓の令嬢〟とも揶揄される、しかしその実態は狭量で頑固で人間不信な…………傲慢なティアラ・フォン・イグニシアという令嬢が出来上がったのだった。


 そしてそんな私に四六時中仕えることになったエリューシアとの、長いようで短い暮らしが始まった――――




 ◇




「お嬢様、朝でございますよ! 今日は晴れの成人式の日なんですから、早くお支度を整えねば!」

「……朝から元気過ぎるわよリュー。王宮は逃げたりしないし、成人式は夕方からでしょう?」

「そんなことを仰っては奥様からお叱りを受けますよ!? 今日この日のために一体どれだけの準備を――――」

「分かった、分かったから……! 起きれば良いんでしょ……」


 リュー……エリューシアが私の専属侍女となって、早いものでもう一年。この一年はお互いに信頼関係を育み、且つ侯爵家の後継者に仕えるに足る作法・教養を身に付けるために、リューは厳しい修行に懸命に取り組んでいた。

 その姿を見せ付けられ、そしていつも朗らかに私に接してくれる彼女の温かさに触れ、いつしか彼女は私にとって掛け替えの無い存在へと変わっていた。


 専属侍女とは女性版の執事のようなもので、メイドとしての職務も併せ持つ分、ハッキリ言って多忙極まる仕事だ。

 だというのに彼女は泣き言も愚痴も一切こぼさず、微笑みを湛えた穏やかな表情で、いつも私に付き従っていた。


「リュー、あのね……」

「はい、なんでしょうかお嬢様?」


 その裏の無い笑顔に何度心を救われただろう。傲慢と評されるほど人付き合いに難のある私にとって、両親を除けば唯一、心を開ける存在。

 彼女に感謝を伝えたいと、私は常日頃からそう思い計画を練り、そしてようやく……


(あなたに渡したい物があるの)


 心を込め、真剣に悩んで選び抜いた、彼女のために買ったブローチ。その春の日の太陽のような温かな笑顔を象徴する、総てを金で造らせた蒲公英ダンデライオンの胸飾り。


 購入してしっかりと包装を施して、今は私の執務机の引き出しに大切に仕舞われているソレを、ただ取り出して言葉と共に贈るだけ。

 だというのに、偏屈な私の口は言葉を紡げずに、寝起きの身体は執務机へと向かってはくれずに、いつも通り化粧台ドレッサーの前に鎮座してしまっていた。


「お母様に恥をかかせる訳にはいかないわよね。いつもの三倍は気合いを入れてちょうだい」

「はいっ! お任せ下さいお嬢様っ」


 鏡に映るのは、父親譲りの銀髪を伸ばした、母親譲りの美貌を湛えた一人の傲慢な令嬢。


 他者との関わりが薄いせいか感情の起伏も薄い、まるであつらえられた人形のような。

 そんな今日成人を迎える鏡の中の少女に向かって、私は胸中で悪態を吐くことしかできなかった。


 今日もまた、たった一言の『ありがとう』が言えぬまま。無情にも日は流れ、成人式へと出発する時刻がやってきたのであった。




 ◇




「それでは、私達は先に屋敷へ戻る」

「しっかりと休んでから戻っていらっしゃいね」


 王宮での成人式も無事に終え、私は貴族子女達やその父兄――貴族諸侯らへのお披露目を何とか乗り越えた。

 しかし今までずっと避け続けてきた他者の視線に晒され気分を悪くし、今は大事をとって、王宮の一室を借り受けて身体を休めていた。


「ええ。お父様、お母様、本日はありがとうございました。道中お気を付けてお帰りください」

「ああ。では、また屋敷でな」


 そんな私に多忙な両親を付き合わせる訳にもいかない。その思いを侍女のリューに打ち明けたところ、彼女は私の世話は自分に任せ、両親を先に帰らせるよう提案してくれた。

 私は心配してくれる両親へそのように話し、帰りの馬車を手配したのだった。


 本当は帰ってほしくない。私が心を許せる数少ない相手である両親に、こんな他人だらけの王宮に置いて行かれたくない。

 しかしそれはあくまで、私の我儘わがままなのだ。だけど大丈夫。私にはまだリューが……エリューシアが居るのだから。


 客室の扉から出て行く両親を見送ってから、私はもう何をする気も起きないままに、流石王宮の調度品といった柔らかな最高級のソファに深く座り直す。


 気分が落ち着いたらすぐに屋敷に帰ろう。そう決心して、リューがグラスに注いでくれた水を飲んでから、少しでも回復を早めようとソファに身を横たわらせる。


 想像以上に疲れていたのだろう。

 私はそのまま、しばしの眠りへと落ちていった。




 ◇




「リュー、この道って来る時と違わないかしら?」

「……さて、御者が不慣れなのではないでしょうか」


 ようやく気分の良くなった私は、リューに頼んで帰りの馬車を手配し、帰路に就いていた。

 何故か登城の際とは違う道を行く馬車に不思議に思うも、リューの返事にそんなものかと納得して、すっかり夜の更けた街並みを眺めていた。


 しかし、そんな時――――


「きゃああッ!!??」


 突然の衝撃。座席から一瞬身体が浮かび上がり、そのまま転がるようにして

 少しして身体を起こした私は、馬車が横倒しになったのだと身をもって状況を理解した。


 一体どうして――――


 唐突な事態に頭は混乱し、思わず口から叫び声が漏れそうになる。しかしその叫びを止めたのは……の口から出た言葉を耳にしたからだ。


「どうして……!? なんで見付かったの!?」

「り、リュー……?」


 御者席に繋がる窓から車外を険しい目付きで睨みながら、エリューシアが焦っていた。


 スカートの中から短剣を取り出し、顔色を悪くして逆手に構えている。もう片方の手には……授業で習った際に資料で見た、照明弾……?


 知らない。こんなリューを、私は見たことがない。


「お嬢様、良く聞いてください! 奴らはお嬢様狙っています! 照明弾を打ち上げますので、駆け付けて来る騎士達に助けを求めてください! それまではわたしが!」

「待ってリュー!? なんなのこれは!? 〝奴ら〟って誰なの!? どうして――――」

「お嬢様ッ!!」


 今までの一年間で一度も聞いたことのない、切迫したリューの鋭い声。私はその声に身体が震え、言葉を封じ込められる。


「……ご親戚の方々です。今日この日に侯爵家の皆様を殺害し、実権を握ろうと。わたしは確度の高い情報を彼らに渡すために、侯爵家に送り込まれたのです」

「そんな……ッ!? それじゃあ、先にお帰りになったお父様達は!?」

「……申し訳ありません。わたしも家族を人質に取られていたのです。ですがお嬢様だけはと……そう思い、王都を脱出するところだったのに……!!」


 やはり屋敷を出るのではなかった――――


 そんな益体もないことが頭を巡り、彼女が必死に語る言葉が上手く理解できない。だってまさか……お父様と、お母様が……?


「お嬢様! 決して馬車から出ないでください! 私が出たら鍵をしっかりと締めて、決して動かないでください!」


 混乱している内に、リューは馬車の扉を施錠して、御者席の窓から外へと飛び出してしまった。

 私は恐ろしくて、とにかく彼女の言う通りにその窓にも施錠して、耳を塞いでうずくまっていた――――




 ◇




「早いわねリュー。からもう五年も経ってしまったわ」


 結局あの日、私はリューが打ち上げた照明弾により駆け付けた騎士達に救けられた。

 馬車を背に庇い、血まみれでズタズタに傷付けられた彼女の亡骸は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。


「お父様やお母様、そしてあなたを私から奪った連中は、全員地獄に叩き落としたわ。そしてあなたのご両親は救えなかったけれど、弟だけは保護できたの。今は私の養子なのよ?」


 両親の墓石の隣りのエリューシアの墓で、怒涛のようだったこの五年間を振り返る。


 生き残った唯一の後継者として侯爵家を継承し、当主家を裏切った親戚達を全員処断した。

 リューの生家である子爵家を庇護下に置き、唯一救けられた彼女の弟を保護し、養子として侯爵家へと迎え入れた。


 現在は彼に家督を譲るために、後継者教育の真っ最中だ。


 彼女の裏切りがショックじゃないと言えば嘘になる。けれど家族の命が懸かっていたのだ。きっと私でも同じ行動をしたと思うし、それに彼女は、私だけは逃がそうとしてくれた。


 その命を懸けて、私を守ってくれたのだ――――


「私、皆に【粛清侯】なんて呼ばれてるのよ? 先に主君を裏切ったのは彼らなのに、失礼しちゃうわよね?」


 鞄から小包を取り出す。それはの朝、彼女に渡すつもりだった蒲公英ダンデライオンのブローチの包み。


「たった一言がいつまでも言えなくて、本当にごめんなさい。私を支えてくれて、ずっと最期まで守ってくれて、本当にありがとう。大好きだったわ、リュー」


 包みから取り出した金のブローチを、彼女の墓石にそっと置く。


 そのブローチはまるで彼女の微笑みのように、春の陽の光を柔らかく反射していた――――

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