第79話 新年


 そして翌日。

 俺達五人はヴァンフレア伯爵夫人の邸宅に訪れた。


 俺と兄貴は前回の訪問時と同じ恰好だったが、エリスとメイリン、それにミネルバは普段着のままだ。


 まあわざわざ礼服やドレスを買ったり、レンタルする必要もないからな。

 だが館に入った時、出迎えた執事やメイドはエリス達をじろりと見た。

 あまり歓迎的な視線ではないな。 やはり全員正装すべきだったか。


 まあ今度からはそうしよう。

 エリス達はこの館に入るのが、初めてだからか、周囲の豪奢な調度品に目を奪われていた。

 

「伯爵夫人はこちらです。 くれぐれも無礼がないように――」


 と、応接間に案内した後にエリス達を一瞥して立ち去る初老の執事。

 感じ悪いなあ。 こっちは客なんだぜ? 


 これだから貴族もその従者も好きになれないんだよな。

 まあでもとりあえず表向きの愛想だけは良くしておこう。

 スマイル、スマイル。 俺は笑顔を浮かべた。


「――伯爵夫人。 ライルです、失礼します」


 そう言ってから、応接間のドアを数回ノックする兄貴。


「お待ちしておりましたよ。 どうぞ、お入りなさい」


 その言葉に従い、俺達は室内に入る。

 するとエリスとメイリンが「わあ」という感嘆の声を上げた。

 ミネルバは言葉は発しないが、やはりこの応接間の雰囲気や調度品に目を奪われている。


「そちらのお嬢さん方は初めてよね?

 私がエステラ・レム・ヴァンフレア伯爵夫人よ。 よろしくね」


「エリスです。 エリス・シャールトレアですわ!」


「め、メイリン・ハントレイムです」


「……ミネルバ・ドラグバインです。 伯爵夫人以後お見知りおきを」


 伯爵夫人の蠱惑的こわくてきな雰囲気に呑まれる三人娘。

 今日の伯爵夫人は、銀の刺繍が施された胸元が大きく空いた蒼いドレスに身を包んでおり、スカートには深いスリットが入っている。


 相変わらずの美貌だ。

 エリス達も同性ながら、伯爵夫人の美貌に目を奪われている。

 すると伯爵夫人は手にした扇を口に当てながら――


「それで今回の訪問はどんな御用かしら?」


 と、値踏みするような視線で俺達を見据える伯爵夫人。

 さあこれからが本番だ。 俺は兄貴に目で合図を送る。

 それに対して兄貴も目で頷き、「こほん」と小さく咳払いした。


「実は――」



 兄貴は比較的分かり易く今回の任務について報告した。

 とりあえず竜魔ゼーシオンや魔族ジークロンについても正確に述べた。

 帰り際にゼーシオンから、右手の親指の爪の一部と数本の髪の毛を受け取っていたから、それも伯爵夫人に献上する。 更にジークロンから聞かされた話も包み隠さず話した。


 すると伯爵夫人は「そう」とその双眸を少し細めた。

 本当はジークロンから聞かされた話を報告するか、しないかで団員全員で話し合ったが、ミネルバの件も考慮して、結局正直に報告した。


 それに加えてミネルバの後ろ盾になって欲しいとも伝えた。

 話を全て聞いた後、伯爵夫人はしばらく黙考していたが――


「実に興味深い話だったわ。 だけどその魔族の虚言の可能性も捨てられないわね。 正直魔族の復活が近いとか、次元変動によりこのウェルガリアの地形が変わったとかの話を素直に鵜呑みには出来ないわ。 でも念の為に、私はこの件をジュリアン三世陛下に報告するけど、良いかしら?」


「ええ、勿論構いません」と、兄貴。


 まあ確かにジークロンの話した真相は、俄かには信じがたいよな。

 だが不思議と妙な説得力があるんだよな。 それは伯爵夫人も同じだろう。


 眉唾の話と思いながらも、国王にこの情報を伝えようとする辺りの計算高さ。

 もしかしたらこの女貴族は、俺が思っている以上にしたたかなのかもしれん。


「それと――」


 伯爵夫人は視線をミネルバに向けた。

 そして口元に微笑を浮かべて――


「そちらのお嬢さん。 えーと……」


「ミネルバです。 ミネルバ・ドラグバインでございます」


「そうそう、ミネルバさん。 私でよければ貴方の後ろ盾になっていいわよ? 但し一つだけ条件があるわ」


「……何でしょうか?」


 やや警戒気味なミネルバ。

 すると伯爵夫人はにっこりと笑う。


「貴方、竜人族の前族長の孫娘なのよね?」


「……そうですが、それが何か?」


「なら貴方の知っている竜人族の情報を全部提供して頂戴。 貴方を竜人族の手から護るとなると、それなりのリスクが付きまとうわ。 だからその代償として、貴方は貴方の知る情報を提供する。 言うならば、これは取引きよ。 さあ、どうするの?」


 まあこれぐらいの条件は当然だよな。

 伯爵夫人も慈善事業で人助けする程、お人好しじゃないからな。

 だがミネルバとしては、即答できる問題ではないだろう。

 しかし俺の予想に反して、ミネルバはあっさりと条件を呑んだ。


「ええ、構いませんよ。 今更竜人族に未練はありません。 私は新しい地で新しい人生を歩むつもりです。 だから過去の事など気にしません。 ですから伯爵夫人の言う条件を呑みます。 その代わり私の後ろ盾になって下さい」


 と、深々と伯爵夫人に頭を下げるミネルバ。

 これは少し驚いたな。 だがそれだけミネルバは本気という事だ。


 彼女は真剣に新しい地で新しい人生を送るつもりなんだろう。

 ならば俺としても彼女を後押ししたい。


「俺からもお願いします、伯爵夫人」


 ミネルバ同様、俺も深々と頭を下げた。

 すると伯爵夫人は「うふふ」と笑いながら――


「いいでしょう。 この私――エステラ・レム・ヴァンフレアが

 ミネルバ・ドラグバインの後ろ盾になってあげるわ」


「ありがとうございます」と、ミネルバ。


「うふふ、気にしなくて良いわ。 

 それと今回の任務の成功報酬をお支払いするわ。

 成功報酬の三千五百万グラン(約三千五百万円)を貴方達の連合ユニオン

 銀行口座に振り込んでおくわ。 それと望むなら冒険者ランクも一階級上げるわよ」


「ありがとうございます、では今回の任務に参加した全員の冒険者ランクを

 上げて頂けるように、冒険者ギルドに口添えをお願いします」


 と、跪く兄貴。

 凄え、前金と合わせて合計六千万グラン(約六千万円)。

 一人頭……ああ、そうか。 ミネルバが加わったから、

 七人で割ると約八百五十万グラン……ってとこか。



 更に冒険者ランクも一段階上がるという嬉しいおまけ付き。

 俺はこの間、Bクラスになったばかりだが、一気にAクラスに!

 エリスとメイリンもAクラスに、兄貴とドラガン、アイラはAクラスだったから、これでSクラスになる。 これはマジで凄いぜ。


「但しミネルバさんの冒険者ランクは上げられないわよ。 流石に庇護下に入れたばかりの状態で、いきなり厚遇するわけにはいかないわ」


「いえ、私は気にしてませんから。 それに私はまだBクラスですので。 冒険者ランクは自力で上げたいと思ってます」


「そう、なら頑張ってね。 貴方の今後の働き次第では、彼等と同等、あるいはそれ以上に厚遇する事も可能だから」


「はい、善処します」と、ミネルバ。


「では今日はもう帰っていいわよ。 年末だから私も色々忙しいのよ。 でも今日みたいな成果があれば、いつでも来館していいわよ」


「では失礼します、伯爵夫人」


 兄貴が頭を上げて、この場はお開きとなった。

 館を出て三十分程休んでから、俺達は冒険者ギルドの銀行に向かい、伯爵夫人から三千五百万グラン(約三千五百万円)の振込みを確認すると、兄貴はその場で今回の報奨金を均等に分配した。


 連合ユニオンの銀行口座から、俺達の個人口座に、約八百五十万グラン(約八百五十万円)がそれぞれ振り込まれた。


 ミネルバは「いきなりこんな大金を受け取る事は出来ないわ」と、拒否したが、ドラガンの「まあ入団の契約金と思って受け取るがいい」という一声で「……わかったわ」と納得するミネルバ。


 尚、冒険者ランクの昇格は約二週間後との話。

 何でも冒険者ギルド側に配慮して、この日時になるそうだ。

 まあ冒険者ギルドにも面子があるからな。 貴族の一存で冒険者ランクを勝手に一気に上げられると、面白くない部分もあるのだろう。


 まあでも冒険者ランクの昇格に関しては、焦る必要はない。

 しかし今回の報酬で一気に貯金残高が跳ね上がったな。


 うひひ、正直これに関しては素直に嬉しいぜ。

 半年前までは、兎狩りしていた俺がこんな風になるなんてな。

 人生なんてわからないものだ。 だが喜んでばかりもいられない。


 アーガスが本国に帰還したら、竜人族がどう出るか分からない。

 それに俺達はこれで伯爵夫人に大きな借りを作った。

 今後、彼女がどんな無理難題を吹っ掛けてくるか。


 だがとりあえず今は、それらの事を忘れよう。

 なにせ明日は十二月三十一日だからな。

 年の終わりくらいは、気楽に過ごしたいからな。


 そして翌日。


「乾杯! 今年もお世話になりました、来年もよろしく!」


 そう言って俺はオレンジジュースが入ったグラスを掲げた。


「乾杯! 新年もよろしく!」


 同じくアップルジュースが入ったグラスを掲げるエリスとメイリン。


「乾杯! 今日は無礼講だ。 皆、大いに楽しんでくれ」


 火酒の入った杯を片手に、珍しく上機嫌な兄貴。

 俺達は今夜一日『龍之亭』を貸し切って、ささやかなパーティを開いた。

 

 ドラガンとアイラにも伝書鳩でハイネルガルに来るように、伝えたが、二人はニャンドランド城で年を越すらしい。 何でもあの王様が熱心にドラガンを口説いたとの話。


 そうなるとドラガンとしても、断りにくいから仕方ないよな。

 ちなみに『龍之亭』の貸し切り代金はきっちり取られた。

 しかも何故か俺が全額の十万グラン(約十万円)を支払った。

 お袋曰く


「漢ならそれくらいの甲斐性を見せなさい!」


 という意味不明な理由。

 まあ少々納得いかないが、貯金もあるし、細かい事は気にしないでおこう。

 

 そして親父とお袋の特製の料理がテーブルに運ばれてきて、エリスとメイリンが「わあ、美味しそう」と感嘆の声を上げた。


「エリスちゃんとメイリンちゃんがウチの子になってくれたら、毎日こんな料理が食べれるわよ」


 おい、この母親はどさくさに紛れて、何を言ってるんだ。

 というかエリスも「まあおば様ったら」と若干照れてるし、メイリンも「うーん、少し考えてみます」とか言う始末。


 ったくこういう時の女の会話にはついていけねえよ。

 だが考えてみれば、僅か半年で俺も俺の周囲も随分変わったよな。


 負け犬根性が染み付いていた俺が変われたのは、やはり兄貴達と共にあのマルクスと戦ったからであろう。 もしあの時、ゴブリン狩りの帰りにアイラと出会わなければ、俺は未だに一人で兎狩りをしていたかもしれん。


 そういう意味じゃ人と人の出会いって大切だよな。

 ウェルガリア暦1600年は俺にとって、節目の年となった。


 果たして1601年はどんな年になるであろうか。

 などと黄昏れていると、片手にグラスを持ったミネルバがこちらに寄って来た。

 

「本当このパーティは仲が良いわね。 貴方のご両親もとても優しいし、羨ましい限りだわ」


「まあね。 ほんの少し前までは、一人で雑魚狩りしてたけどな」


「……その話って本当なの?」


「ああ、残念ながら事実さ」


「そう、なら貴方が変われたのは、周囲の人間のおかげよね」



 今夜のミネルバは珍しく饒舌だな。

 良く見ると頬が微かに赤らんでいる。 もしかして酒を飲んでいるのか?


 まあ基本的に猫族ニャーマン以外の種族は一五歳を過ぎたら、成人扱いだから俺も飲酒しようと思えば、出来るが酒はあまり好きじゃない。


 でもせめて雰囲気だけ楽しもう。 

 俺は自分のグラスでミネルバのグラスを軽く合わせた。


「まあそうだろうな。 俺一人じゃこんな風にはなれなかっただろうな」


「なに年寄りくさい事言ってるのよ? まだ若いんでしょ?」


「ああ、十六歳だよ」


「ふうん、私より一つ下なんだ」


 何か今夜のミネルバは上機嫌だな。

 というかミネルバは一七歳か。 

 大人びた雰囲気だから、もうちょい上と思っていた。


「今意外に若いな? とか思ったでしょ?」


「そんな事はないさ」


 ヤベえ、図星だった。

 するとミネルバは、手にしたグラスの中の液体をぐいっと飲み干す。

 そしてやや真面目な表情になりながら――


「ねえ、少しだけマルクスの事を聞いていいかしら?」


「……ああ」


 俺はやや間を置いてそう答えた。


「貴方から見て、アイツはどういう男だった?」


 少し漠然とした質問だな。

 でもミネルバとしては、やはり少しに気になるのだろう。

 俺は少し間を置いてから――


「そうだな、その強さは申し分ないが、自分以外の人間は

 誰も信用しないって感じの男だったな。 ある意味寂しい奴だよ」


 するとミネルバは少し表情に陰りを見せながら――


「……そう、私もついこの間まで似たような考え方だったわ。 でも貴方が私を受け入れてくれたから、私は帰るべき場所ができたわ。 まあ本音を言えば、本国の親類縁者の事は気になるけど、でも私には私の人生がある。 だから私は新しい人生を歩むわ」


「そうか、それは良かった」


「全部貴方のおかげよ。 大丈夫、私はマルクスみたいにはならないわ。 じゃあ今後もよろしくね、ラサミス!」


 そう言って右手を差し出すミネルバ。

 そして俺は「ああ、こちらこそ」と言って右手で握手した。

 するとミネルバは表情を緩めて、笑顔を浮かべた。


 この笑顔を見れただけでも、頑張った甲斐がある。

 勿論これからも色々な事が起きるだろう。

 だがとりあえず今この瞬間だけは素直に喜ぼう。


 そして時計の針が十二時を指して、周囲が一斉に――


「新年おめでとう! 今年もよろしくお願いします!」


 という歓喜の声が上がった。

 さて1601年はどんな年になるかな。 

 出来ればこのまま順調に事が進んで欲しいな。

 それと皆が元気で健康なら、言う事はない。


「コラァ、ラサミス! アンタもちゃんと挨拶しなさい!」と、お袋。


「そうよ、ラサミス!」と、エリス。


「まったく一人で黄昏れているんじゃないわよ」と、メイリン。


 やれやれ、やかましい女共だ。

 そう思いながら、俺は肩を竦めて、皆に向けてこう言った。


「新年おめでとう。 皆、今年もよろしくな!」

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