第32話 貴族の御夫人


 城下町ハイネガルは大まかに分けて、三つの区画に分けられる。

 街の北に位置する居住区。 街の中央部に商業区。

 そして街の南には、冒険者区。 主にこの三区で構成された街だ。


 例えば『龍之亭りゅうのてい』は商業区。 

 冒険者ギルドなどは冒険者区にある。

 そしてどうやら今、兄貴が向っているのは居住区のようだ。

 うちの実家みたいに商売を営んでいる家庭は、店と住居を一緒に

 している場合も多いが、基本的には街の住人はこの居住区に住んでいる。


「なあ、兄貴。 何処に向ってるんだよ?」

「ああ、説明が遅れたな。 今から向うのは、貴族の邸宅だ」

「貴族の邸宅!? なんでそんな所へ行くんだよ?」

「……俺達が知性の実グノシア・フルーツに関わった事が、一部の層に知られたようだ。 正直俺としては、無視したいところなんだが、相手は貴族。 無視するわけにもいかんからな」


 なる程、そういう事か。

 だらけていた俺の精神が急に緊張感に包まれた。


 確かにあの戦いで俺達はあの禁断の実を焼却処分した。

 だがまだあの禁断の実は現存する。

 そう、マルクスが売りつけた禁断の実をエルフ族がまだ持っている筈だ。


「そういう事ね。 まあヒューマンの王族、貴族からすれば、垂涎の一品だからな。 奴等からすれば些細な情報でも欲しいだろうな」


「ああ、王族や貴族が冒険者の後援者パトロンになる事は珍しくない。今から会う貴族も女だが、その道ではそこそこ名の知れた後援者パトロンだ。 相手を貴族だ。 女と思って侮るなよ?」


「へえ、なんだが面白い展開になってきたじゃん」


 という俺の言葉に兄貴が眼を丸くした。


「ほう、この状況を楽しむのか? お前も一人前になってきたな」


「いやそんなんじゃねえよ。 ただ最近緊張感のない日々を送ってたから、なんとなく面白そうと思っただけさ」


「だが遊び気分では困る。 お前も緊張感を高めて、相手の質問をのらりくらりかわしてくれ。 出来るよな?」


「ああ、任せてくれ」


 と答えると、兄貴が僅かに口の端を持ち上げて――


「期待してるぞ、ラサミス」


 と言われて、久しぶりにテンションが上がる俺。

 なんかよくわからんが、兄貴と一緒に居ると、誇らしい気持ちになる。

 そしてその期待を裏切る程、俺は落ちぶれてない。


「任せておけよ!」


 と、俺は右手の親指を突き上げた。

 よし、気分が高まってきた。 いっちょ本気マジになってみるか!


 居住区を歩く事、十五分。

 俺達は、貴族達が居館や別荘を構える高級住宅街に足を踏み込んだ。

 ハイネガルはヒューマンが統治するハイネダルク王国の城下町だ。

 故にこのハイネガルに屋敷や別荘を持つ貴族は少なくない。


 周囲を見渡しても、大きな豪邸ばかりだ。

 不公平だよな、通常の居住区では、建てる家の大きさを定められているが、

 この貴族街ではそれがない。 正直、気に入らない。


「ここだ、ラサミス。 相手は貴族だ。 くれぐれも無礼がないようにな」


「ああ、分かってるよ」


 そう答えながら、俺は目の前に建つ屋敷に目をやる。

 広大な庭にセンスの良い花畑が点在し、全体的な景観も良い。

 正門から舗装された道が屋敷の玄関まで続いている。

 屋敷の大きさは、この貴族街では標準的な大きさだが、

 平民からすれば、十分豪邸の類に分類される。


「おい、貴様ら。 ここはヴァンフレア伯爵のお屋敷だぞ?

 貴様ら、平民如きが立ち寄っていい場所ではない。 早々に去れ!」

 

 正門で陣取る警備員らしき男が高圧的にそう告げた。

 おう、おう、おう。 出たよ。 貴族の威を借る狐がよ?

 居るよな、こういう奴。 正直気にいらねえが、ここは大人しくしておこう。


「私はヴァンフレア伯爵夫人に招待された冒険者ライル・カーマインだ。

 こちらは弟のラサミス・カーマイン。 伯爵夫人にお取次ぎ願いたい」


「……そこで待っていろ」


 と、偉そうに言いながら、二人居る警備員の一人が屋敷に向う。

 三分もしないうちに、警備員が戻ってきて――


「大変失礼しました。 ヴァンフレア伯爵夫人が中でお待ちです。

 どうぞ、お通りください」


 ああ~、見ろよ? この急変振り?

 嫌だね、こういう奴。 正直こうはなりたくないね。

 だがこんな奴どうでもいい。 俺達が用があるのは女貴族だ。

 俺は警備兵と目線を合わせず、堂々と正門を潜り、屋敷の中に入った。


 屋敷に入ると、大勢の執事とメイドに迎えられて、俺達は応接間へと

 案内された。 基本室内は木造りで、飾られている調度品もセンスが良い。


 ふうん。 もっと成金趣味だと思ったが、悪くねえじゃん。

 まあ貴族の屋敷になんか入ったのは、初めてだから他は知らんけどね。

 俺達はとりあえず黒い皮のソファに座り、館の主の出現を待つ。

 すると五分も経たないうちに、あるじが現れた。


 正直一目見て、思わず生唾を飲んだ。

 情熱的な赤い髪は、腰まで掛かる長さ。

 雪のような白皙はくせきの肌。 

 長い手足に、くびれた腰。


 銀の刺繍が施された蒼いドレスは胸元が大きく開いており、

 形がよく大きな胸が、いやがおうでも男の視線を引き寄せる。


 デカいな。 メイリンと同じ生き物とは思えない。

 それが俺の率直な感想だ。


 というかアイラと同じくらい、いやそれよりデカいか!?

 そしてスタイルだけでなく、その美貌も一級品であった。


 長い睫毛。 切れ長の緋色の瞳。 

 紫の口紅ルージュが塗られた形の良い口。 

 上品さと妖艶さが混在した美貌だ。


 などと俺が見惚れていると、兄貴に右肘で腹を突かれた。

 それと同時に我に戻り、俺達は立ち上がり、こうべを垂れた。

 

「そんなにかしこまる必要はないわ。 貴方達は私が招いた客人。 もっとリラックスしていいわよ?」


「では、失礼します」


 そう言って兄貴が再びソファに座る。

 それに習うように、俺も兄貴の隣に腰掛けた。


「何かお飲みになる?」


 薄い微笑を浮かべて伯爵夫人が問いかけてくる。

 声も美声だ。 


「いえ、結構です。 それより伯爵夫人」


「なにかしら?」


「我々をお呼びになった理由をお聞かせ願いたい」


「あら、随分とせっかちね。 でも嫌いじゃないわ。 いいでしょう、ならば単刀直入に聞くわ。 貴方達が入手した情報も全て開示してもらえるかしら? 勿論、無料ただではないわ」


「……全ては無理ですよ。 我々にも雇用主クライアントへの立場があります。 それに金銭の問題ではありません。 故に限られた事しか口にしませんよ」


 流石は兄貴だ。

 貴族相手にも物怖じしていない。 だが相手も貴族。

 これくらいで引き下がるようなら、苦労はしない。


「へえ、噂通り義理堅いのね。 でも貴方もヒューマンでしょ?

 ねこに忠義立てして、ヒューマンの不興を買うつもりかしら?」


 猫族ニャーマンを猫呼ばわりか。 やはりこの女も貴族だな。


「種族は関係ありませんよ。 我々『あかつきの大地』は、

 雇用主クライアントを裏切らない。 それだけの事ですよ」


「ふうん。 人間より猫に忠義を立てるのね。 でもそれは、はたして賢い選択かしら? 私は貴族だけでなく、王族にも顔が利くわ。 その気になれば、貴方のご実家にも圧力をかける事も可能よ?」


 この女……親父達を盾に取りやがった。

 だがある意味貴族らしい。 顔と胸だけは少々魅力的だが、

 その中身は貴族そのもの。 結局俺達平民を見下してやがる。


「それは脅しですか?」と、冷静に問う兄貴。


「いやねえ、そんな無粋な真似はしないわ。 あくまで例えよ」


「どちらにせよ、圧力などに屈しませんよ。 それとあまり商売人を舐めないで貰いたい。 私の両親は、自らの才覚で今日こんにちまで客商売をやってきた。 例え貴族といえど、その全てを抑えつける事は無理ですよ。 それに私の両親ならこう言うでしょう。 『――脅しに屈するな』とね。 だから私の答えも変わりません」



 兄貴は胸を張り、威風堂々とそう言い放った。

 よくぞ言ってくれた。 流石は兄貴だ。 カッコいいぜ!


 兄貴の返答により、しばらくの間、大広間が静寂に包まれた。

 だがしばらくすると「おほほ」という伯爵夫人の高笑いが響いた。


「いいわね、貴方。 気に入ったわ。 確かに並みの冒険者ではないわ。 この私を前にして、そこまで口にしたのは、貴方が初めてよ? でも勘違いしないでね。 私は最初から貴方達と争うつもりはないわ。ただ少し貴方という人間の器量を試しただけよ」


 そう言って、伯爵夫人は双眸を細めて、俺達を見据える。

 うーん、兄貴の言う通りなかなか手強い相手だな。

 なかなか腹の内を見せない。 こいつは更に用心が必要だ。


「わかったわ、私も無理に問い質す事は止めるわ。

 でもこの件はヒューマンにとっても大事おおごとなのよ?

 だから貴方が答えられる範囲で、良いから情報を教えてもらえないかしら?」


「そうですね。 私もヒューマンです。 できればヒューマン同士で

 争いたくない。 ですので、私の答えられる範囲なら答えましょう」


 兄貴がそう答えると、伯爵夫人は「パン」と軽く両手を叩いた。



「そう言ってもらえると助かるわ。 では私の問いに答えられる範囲で、

 答えて頂戴。 貴方達が追っていた物は、神の遺産ディバイン・レガシー?」


「はい」


「それはあの禁断の果実――知性の実グノシア・フルーツかしら?」


「お答えできません」


「ではこう問うわ。 その物はきちんと処分されたかしら?」


「はい。 我々が手にした分は、処分しました」


「でもまだいくつか残っているのね? それを保持する種族は?」


「エルフ族ですね」


「そう、わかったわ。 ありがとう、質問は以上よ」


「あまりお力になれなくて、申し訳ありません」



 なる程、必要最低限の情報だけ開示したが、それ以上は答えない辺りは、

 流石というべきか。 だが伯爵夫人としても最低限の面目は保てた。

 駆け引きってのはこうやるのね。 参考になるぜ。


 伯爵夫人は俺達の正面の黒いソファに腰掛け、足を組む。

 スカートの部分にスリットが入ってて、その艶めかしい太ももが露わになる。

 そして兄貴を品定めするような視線で、露骨に観察する。



「とりあえずありがとう、と言っておくわ。 私としても貴方達を呼びつけた以上、空手からてというわけにはいかないわ。要は私の面子は守ってくれたのね。 でも肝心な部分は話さない。 噂通り貴方は優秀な冒険者よ。 ライル・カーマイン」


「……恐縮です」


 と、軽く肩を竦める兄貴。

 やれやれ、俺がこの場に居る必要は全くないな。

 二人とも役者が違うぜ。 だがこういう緊張感は嫌いじゃない。


「どう? 私が貴方達の後援者パトロンになってもいいわよ?

 勿論報酬は弾むわ。 ヒューマンとコネを作るのも悪くないわよ?」


「魅力的なお話ですが、一つだけ条件があります」


「なにかしら?」


 と、軽く首を傾げる伯爵夫人。


「基本的に我々は、後援者パトロンを裏切るつもりはないです。

 故に貴方にとって不利になるような情報は、他の後援者パトロンには、

 明かしません。 逆もしかりです。 それが私の出す条件です」


「素晴らしいわ! いいわよ、その条件を飲ませてもらうわ」


「ありがとうございます、伯爵夫人」


「では私はこれから貴方達の後援者パトロン。 だから貴方達にお願いするわ。 エルフ族の持つ知性の実グノシア・フルーツを何とかして頂戴。 奪うなり、燃やすなり、手段は問わないわ。 仮に現物げんぶつを手に出来たら、私に届けて。 あるいは――他の種族だけには、絶対に渡さないで!」


「わかりました。 その条件に従います」


「ありがとう、では――」


 そして伯爵夫人は右手の指をパチンと鳴らした。

 すると大広間の扉が開き、執事らしき初老の男が大きな皮袋を

 木製の台座に乗せながら、ゆっくりと歩いて来た。


「とりあえずこれは契約金よ。 全部で五百万グランあるわ。

 どのように使うかは、貴方達の自由。 新たな情報や成果次第では、

 もっと報酬は弾むわよ? どう、悪い話じゃないでしょ?」


「お心遣い感謝致します。 必ずや伯爵夫人の期待に応えてみせます」


「うふふ、期待しているわよ」



 こうしてヴァンフレア伯爵夫人が兄貴達の新たな後援者パトロンとなった。

 ちなみに五百万グランは、手渡しでなく、銀行振り込みにしてもらった。 

 あんな大金抱えて歩くのは、御免被りたい。


 正直俺個人は伯爵夫人の事はあまり好きじゃない。

 

 だが兄貴曰く――


「無論俺とてあの女は好きになれない。 だが相手は貴族。 俺とて、できるものなら誰にも頭は下げたくない。 だが現実問題として、それは不可能だ。 故にこちらが出す最低限の条件さえクリアすれば、俺としても拒む理由はない。 冒険者は何かと物入りな仕事だ。 金はあって困るものじゃないしな」


「まあ五百万グランは魅力的だよな。 羽振りがいいね、兄貴は」


「お前にもこの間の成功報酬を与えただろう?」


「まあね、お袋に見つかったら大変だから、表向きは金欠のふりしてるよ」


「それが賢明だろうな。 母さんは金には厳しいからな」


「そうそう、俺がそんな大金持ってると知ったら、どう出るかわかんねえからな。 兄貴も黙っててくれよ?」


「それは構わんが、それよりラサミス」


 と、不意に足を止める兄貴。

 その切れ長の瞳でジッと俺を見据える兄貴。


「な、何だよ?」


「単刀直入に云おう、ラサミス。 俺と一緒にリアーナへ行かないか?」


「それってつまり……」


「ああ、正式に『あかつきの大地』に入団しないか?」



 やはりそういう事か。

 だが断る理由は何処にもない。 


 そうさ、いつまでも燃え尽き症候群を言い訳にする気もない。

 そう、俺はもう一度兄貴達と一緒に冒険がしたい。

 恐らくこの後、兄貴達は禁断の実を巡って、過酷な戦いに

 巻き込まれるであろう。 だがこの件は俺も無関係というわけではない。


 いやハッキリ言おう。 俺も兄貴達の力になりたい。

 そしてもう一度あのヒリヒリするような大冒険がしたい。

 それが俺の望み。 ならば云うべき言葉は決まっている。



「ああ、兄貴。 喜んで入団させてもらうよ!」


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