第30話 黄昏の大地


 マルクスとの死闘を勝ち抜いた俺達は、魔法や回復薬ポーションなどを使用して傷ついた肉体に応急手当を施して、なんとか全員自分の力で立ち上がれるまで、体力と気力を回復した。

 

 正直全員心身共に限界に近かった。 

 特にアイラの怪我が思ったより酷く、

 気丈な彼女は「……大丈夫だ」と平静を装ったが、

 そのふらつく足取りが痛々しい。


 エリスとメイリンは肉体的なダメージは少ないが、

 精神的に疲れたようで二人で肩を寄せ合っている。 


 魔タタビ酔いから醒めたドラガンは比較的軽傷だが、

 途中で寝てしまった事を恥じるようにややバツが悪そうだった。 


 兄貴も自分の足で立っているが、若干気だるそうにしている。 

 そういう俺もついさっきまで泥のように眠っていた。


 だが六人全員無事で目標を達成出来た。 

 ドラガンとアイラはマルクスの遺体を見ても、

 特に何も言わなかったが、死者への最低限の敬意として、

 最深部の草原地帯に穴を掘り、マルクスとダニエルの遺体を地中に埋葬する。 

 そしてマルクスの漆黒の長剣を埋葬した地に突き刺し、それを墓標とした。 


 名もなき墓標。 

 恐らく今後ここに訪れた者達はそう称するであろう。

 だが俺達の記憶の中には良くも悪くも

 マルクスという人間の記憶が刻まれている。



「……終わったな。 長いようで短い戦いだった」


 そう言って、ドラガンが蒼い羽根突き帽子を右手で少しくいっと上げた。


「……ああ、後は知性の実グノシア・フルーツを燃やすだけだ」


 と、兄貴が腰に両手を添えてドラガンの左隣に並ぶ。


「……兄貴、ドラガン。 今、知性の実グノシア・フルーツを渡すぜ」



 俺は懐から知性の実グノシア・フルーツを取り出し、ドラガンに手渡す。

 ドラガンはしばらくの間、その受け取った苗木をジッと見据える。



「……我々猫族ニャーマンは幸か不幸か、この禁断の果実によって知性を得た。 知性によって受けた恩恵も大きいが、それによって失われた物も多い。 所詮猫は猫。 ガリウス三世陛下が申し上げた通りだ。 だけどそれでも我々猫族ニャーマンは生きている、生きていかねばならん。 それはヒューマンもエルフも竜人も変わらん。 だが誰かの意思によって他の生物に知性を与えるような真似はするべきではない。 それは人の越えてはいけない領域だし、何よりも生命に対する冒涜だ」


「ああ、私もそう思う。 人には人の領分というものがある。 何かに対して何かを与えるという事は素晴らしい事だが、度を過ぎると不幸になる。 私達はその過ちを繰り返してはいけないんだ。 だから私達は戦った。 そして過ちを未然に防げたのだ」


 兄貴の左隣に並びアイラが真剣な表情と眼差しでそう語った。


「そうッスよ。 終わりよければ全て良し。 だからドラさん」


「ああ、そうだな」


 メイリンの言葉に小さく頷きドラガンがメイリンに苗木を手渡す。


「……燃やしてくれ、メイリン」


「はいッス!」


 メイリンはそう返事すると、右手の人差し指に小さな炎を生み出し、

 受け取った苗木に点火する。 


 炎がすぐに全体に広がり苗木がメラメラと勢いよく燃え始めた。

 そして燃え盛る苗木をドラガンが受け取り、

 マルクスの墓標の前にそっと添えた。


「……マルクス、これが拙者達からの手向けだ。 この禁断の実の発見が今回の騒動の発端だ。これさえ見つけなければ、お前やザインも死ぬ事もなかったかもしれん。 こんな物、誰も幸せにせんよ。 だから我々の手で燃やすのさ。 お前達は欲に狂い拙者達を裏切った。 それを許す事は出来ん。 だがかつてはお前等に色々助けられたのも事実だ。 だからこの灰と共にやすらかに眠れ。 これがお前等に送る団長としての最後の言葉だ」


 ドラガンは右手で十字を切り、死者へ別れの言葉を告げた。

 知性の実グノシア・フルーツを実らせた苗木は

 もう完全に焼却され、灰となった。


 俺達は横一列に並び、その灰の塊を漠然と眺めた。

 全ての始まりにして、ヒューマンを楽園から追放した禁断の果実。


 そして猫族ニャーマンを生み出し、大きくの混乱を招いた。

 だが本当に悪いのは知性の実グノシア・フルーツではない。


 それを悪用しようとする者が悪いのだ。 

 マルクスやザインがいい例だ。


 だけどドラガンの云うように知性の実グノシア・フルーツ

 結局誰も幸せにしないだろう。 だから太古のヒューマンは

 この神々の恩恵を捨て、焼却したのかもしれない。  


 結局多大なる恩恵をもたらすという事は大きなひずみを生むのかもしれない。 だがそれ以上は俺が考えるべき事柄ではない。 

 冒険者としての領分ではないからだ。


「……さあそろそろ帰ろうぜ? なんか腹減ってきたぜ」


 俺は欠伸をしながら、大きく伸びをする。


「そうね、私も少しお腹減ってるわ。 携帯食じゃ味気ないわよねえ」


 俺の顔を眺めながら、エリスが同調する。


「そうだな、リアーナに戻った際には我が『暁の大地』の誇る

 特製メニューを振る舞ってやろう。 ラサミス、エリス、メイリン。 

 ――お前等には本当に助けられた」


「水臭いッスよ、ドラさん。 アタシ達仲間じゃないッスか!?」


「ああ、君達は本当に助けられた。 特にラサミス。 

 どうやら私の眼に狂いはなかったようだな。 

 流石ライルの弟だ。 本当にありがとう」


 と、アイラが俺を見て微笑んだ。


「……いや大した事はしてねえよ。 

 まあただ皆の力になれたのなら良かったよ」


「そんな事はないさ。 あのマルクスに勝ったんだ。 ……大したものさ」


 兄貴が俺の右肩に手を置いて、そう言った。

 俺は照れ隠しするように、指で頬を掻いた。


 それを見てドラガン、アイラ、エリス、メイリンも微笑んだ。

 すると兄貴も微笑を浮かべ、それに釣られて俺も頬を緩めてこう言った。


「……それじゃ帰ろうぜ。 俺達の帰るべき場所へ」


 迷宮から出た時、空は既に茜色に染まっていた。

 思えば一週間余りの旅と戦いであったが、

 俺にはその何倍以上の時間にも感じた。


 よくよく考えたら俺なんかが、よくあのマルクスに勝てたものだ。

 まぐれか、あるいは一生分の運を使い果たしたのかもしれない。


 でもそれならそれでいい。 今こうして全員無事で生還できるのだから。

 これ以上望んだら罰が当るというものさ。


 でも正直しばらくは気楽に暮らしたい。 

 冒険も戦いもしばらくは勘弁願いたい。


 だがいずれまた俺は冒険に出るだろう。 

 もう自分の事を器用貧乏だとか、才能がないとか言い訳はしない。 

 言い訳は自分への慰めにはなるが、問題の解決にはならない。


 冒険者なら、おとこならこの身一つでぶつかっていくだけさ。

 そしてトラブルが発生したら、その都度対応すればいいだけさ。


 俺はそう思いながら、ゆっくりと目を閉じ、目をひらいた。

 茜色の空がゆっくりと日没の黄昏色たそがれいろに沈みつつあった。


 夕空は遥かにこの世に果てるところまで続いている。 

 陽炎と斜光のなかをゆらゆらと、夕暮れの強い陽射しを受けて、

 俺は取り澄ました表情でこう呟いた。



「黄昏の大地ウェルガリアだな……」



「へえ、アンタにしては詩的な表現じゃん」


 と、メイリンが俺の左隣に並ぶ。


「でも本当に綺麗な夕日よね。 いい眺めだわ」


 風にポニーテイルを揺らされながら、エリスも俺の右隣にそっと立つ。

 そしてエリスの隣にドラガンと兄貴とアイラも並んだ。


「このウェルガリアは四大種族の争いの歴史の上に成り立っている。 多くの血生臭い闘争を幾度となく繰り返してきた。 おそらくそれはこれからも続くだろう。 だけど少し目をやればこんな美しい光景もあるんだ。 それだけで捨てたもんじゃないさ」


 兄貴がぽつりと言うと、俺は思わず頷いた。


「ああ。 たぶん、俺は……俺達は幸せなんだろうな。 

 それ気付くか、気付かないで見えるものも変わるんだろうな。 

 少なくとも今この瞬間は幸せな気がするよ」


 そう言って俺達はしばらく無言で、この黄昏の大地ウェルガリアを眺めていた。

 とりあえず俺達の旅はこれで一先ひとまず終わりだ。


 でも俺の冒険は――俺達の冒険はまだまだ続く。

 その心に夢と浪漫があれば、世界は希望と可能性に満ち溢れている。


 それを可能に出来るか、どうかは自分次第。

 でも挑戦しなければ何も始まらない。


 だからやる前から諦めずに、前へ一歩、一歩踏み出す勇気を持ちたいものだ。

 未来はわからない、明日すらわからない。 


 それでも心に冒険心がある限り俺達、冒険者は夢と浪漫を求めて旅立つだろう。 

 それが俺達冒険者の定めなのだから……


 そして俺達は六人並んで夕日に照らされながら、

 この美しい大地ウェルガリアをいつまでも、いつまでも眺めていた。

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