第29話 冒険者になって良かった


「うおおおおおおおおおっっ……おおおおおおっ!!」


 俺は雄叫びを上げながら、弾丸のように地を蹴った。

 そして手にした銀の戦斧を渾身の力で振り回す。 

 それを培われた剣技で受け流すマルクス。 


 まともに戦っても勝てるわけがなら、

 まともに戦わなければいい。



 マルクスの放った薙ぎ払いをしゃがんで避けた俺は肩口から

 全体重を乗せて、体当たりを喰らわせた。 

 不意を突かれたマルクスが体当たりの衝撃により後退し、漆黒の長剣の柄を握った右手だけを万歳させる格好で、一瞬硬直する。


 その隙を逃すまいと、俺は右足を振り上げ、

 身体を回転させながら回し蹴りを繰り出した。

 右足が、マルクスの顎の先端に命中! 


 グラつくマルクス。 俺はもう一発回し蹴りを繰り出すが、

 即座に左足をあげて、脛の部分で俺の回し蹴りを受け止めるマルクス。 


 鈍い衝撃が右足に伝わる。 

 だがこれはフェイントだ。 ――本命はこっちだ!

 俺は頭を大きく振り上げて、マルクスの額目掛けて頭突きを繰り出した。


 ガンッ! 頭蓋骨に響く鈍い衝撃。 

 正直頭が割れそうな激痛。


 でもそれ以上に相手は痛い筈だ。 

 この頭に響く激痛が証人だ。 

 俺は腰をすうっと落として重心に力を篭める。 

 そして全体重を乗せて、頭から突っ込んだ。


 ガンッ!! 再び頭蓋骨が割れるような痛みが襲う。 

 だがそれと同時にマルクスが後ろに仰け反りながら、

 口から血液を噴き上げた。 


 その赤いしぶきのなかにいくつかの固形物が宙を舞う。 

 それはマルクスの歯だった。 

 だがマルクスの眼は死んでなかった。


 目を充血させて、激しい憎悪と殺意をたぎらせていた。

 だがまだ頭突きの衝撃からか、全身を痙攣させながら、

 左手で鼻を押さえていた。


 この機会を逃して、俺がマルクスに勝つ可能性などない。 

 だから俺は果敢に前に出る。

 銀の戦斧を背中に背負いながら、腰のベルトに差し込み、

 左右の拳を交互に繰り出す。


 殴打、殴打、殴打、殴打、殴打、殴打。 凄まじい殴打の嵐を繰り出す。

 ひたすら左右の拳で目の前の竜を殴打。


 血が混ざり合った唾液を飛ばし、何度も何度も右へ左へ、仰け反るマルクス。

 右回し蹴りで顎の先端チンを蹴り上げ、特大の頭突きを二発も喰らわせた。


 並外れた竜人といえど急所は全種族共通。 

 再起動にはまだ時間を有する。 

 

 ならば再起する前に叩き潰すまでだ! 

 骨を軋ませて、拳の皮が捲りあがりながらも、俺は拳を止めない。 

 自慢じゃないが、子供の頃から素手の喧嘩では負けた事がない。 

 剣術の才能はなくても、拳術の才能はあったようだ。 


 拳士フィスターでそれなりに活躍出来たのも、

 その辺が関係してるかもしれない。 

 だが正直こんな素手の殴り合いは好きじゃない、

 というか冒険者らしくない。 


 でも俺にはそんな贅沢は言えない。

 俺は器用貧乏のラサミス。 


 ならば精々自分の持ってるカードを最大限に利用するまでだ。 

 だが次第に俺の左右の拳がマルクスの太い腕で防御される。 

 仕切り直して、再び別の角度から苛烈に殴打、殴打、殴打の嵐。 

 だが防御、防御、防御、全て防御される。


 顔中を腫らしながらも、その緋色の瞳を血走らせて、

 激しい憎悪と殺意の色を浮かるマルクス。 


 ……まずいな、完全にキレてるな。 

 おまけにこっちはもう両手がボロボロだ。


「――殺す、殺してやるっ!!」


 次の瞬間、マルクスの身体が反転し、右足を振り上げ、

 斜め一閃に空間を蹴り抜いた。

 シュッ……マルクスの軍靴のつま先が俺の顎を僅かに掠った。 

 ――大丈夫、効いてない。


 だが更にそこからヒュッと空気の鳴る音とともに、

 飛び膝蹴りを繰り出すマルクス。

 ――ヤバい! 咄嗟に両腕でガードするが、その衝撃に耐え切れず、

 背中を地面に打ち、ごろごろと地を転がる。 

 即座に立ち上がるが、マルクスは既に剣を構えていた。


 ――まずい、ここで上級剣技を出されたら御陀仏だ。 


 だがその時――


「――フレイムボルトオオッ連射バースト!!!」


 後方からそう砲声が響くと同時に、必死な思いでサイドステップする俺。

 マルクスに向って瞬間的に量産された炎雷が轟き、

 紅蓮の炎が五連射された。


 絶妙的なタイミングでのメイリンのアシスト。 

 正直この時ばかりは本気で感謝した。

 だがマルクスは右手を前に突き出して――


「……『シャドウ・ウォール』!!」


 と、短く呪文を詠唱して、前方に長方形型の漆黒の防壁を張り巡らせた。

 五連射された紅蓮の炎が長方形型の漆黒の防壁に命中、命中、全弾命中。


 ごおおおん、ごおおん、ごおおおん。


 轟音を引きながら放たれた紅蓮の炎が漆黒の壁を

 呑み込むが、すぐ打ち消された。

 やはり初級魔法ではあの壁を打ち砕けないか。 


 俺の拳ももう限界だ。 もう殴る事は出来ない。 

 後は戦斧で対処するしかない。 だが敵とは圧倒的に技術の差がある。


 ――後はもう玉砕戦法しかないな。 

 俺は半ば覚悟を決めて双眸を細め、奥歯を強く噛み締めた。 

 だがその双眸の先には過呼吸で苦しむマルクスの姿があった。


 目を限界まで見開き、苦しそうに何度も何度も喘いでいる。

 もしかして魔法を行使したから、魔力の暴走が進んだのか。 

 そうとしか思えない。


 だがこの男の精神力は尋常ではない。 

 一度再起すればまた心身が限界に達するまで攻撃してくるだろう。 

 俺にはもうそれを凌ぐ力はない。 俺は乾いた唇を舌で舐めた。


 これが最後のチャンスだ。 

 この一瞬の攻防に全てをかけるしかない!

 俺はそう最後の決心を固めると、

 幻獣のベストの懐から鉄製のブーメランを取り出す。


 俺は掴んだブーメランを遠心力と腰の回転を生かしてなげうった。

 鋭く回転したブーメランの鋭利な面が咄嗟に反応した

 マルクスの頬の皮膚を裂いて、大きく軌道を外れた。 


 頬から血を流したまま、マルクスは吊り上げた緋色の両眼で俺を睨みつける。 

 漆黒の長剣を両手で握り締め、

 右肩へと振り上げて、呼吸を整えるマルクス。 


 恐らく上級剣術スキルで仕留めに来るだろう。 

 もう俺には避ける体力も気力もない。 

 だから次の行動が全てを決める。 ――頼む、成功してくれ!


 次の瞬間、後方から先ほど軌道の外れたはずの

 鉄製のブーメランが突如出現し、大きな弧を描いて、

 こちらに向かって急接近して来た。 

 その気配に感づくマルクス。


 そしてその軌道を読むようにマルクスが大きく横にサイドステップする。


「――今だ、『軌道変化』ッ!!」


 俺がそう叫ぶと同時に鉄製のブーメランは、弧を描いていた軌道から

 物理法則を無視したように直角の軌道へ変化して、

 剣を振り上げるマルクスの右肩に命中して皮膚と肉を

 やぶって突き刺さった。 

 意識外の攻撃により歴戦の猛者マルクスも一瞬の隙を見せた。


 その最後のチャンスを物にすべく、

 俺は全身全霊の力で地を蹴りマルクスに急接近した。


「――うおおおおおお……おおおっ!! 『兜割り』っ!!」


 技名コールと斬撃、どちらが早かったかはわからない。

 だが次の瞬間、俺の最後の力を振り絞った重く、破壊力と殺意にみちた一撃が、マルクスの右半身に炸裂する。 紙一重の差で首を動かし、頭部破壊こそ逃れたものも結果として、生きながらの地獄を味わうマルクス。 


 マルクスは、のけぞり、よろめき、

 そしてその右腕が肩口から吹き飛ばされた。 

 その斬撃の余勢で、俺は大きく平衡感覚を失い、

 泳ぐ足を踏み締めて、なんとか地に留まった。


 奔騰した血液が、宙に飛び散り、赤いシャワーを周囲に拡散させた。 

 それとほぼ同時に落雷を受けたようにマルクスが背中から地面に倒れ込んだ。 

 この世の終わりのような悲鳴をあげ、身体を痙攣させながら、

 緋色の瞳を限界まで見開くマルクス。 


 この瞬間、俺の勝利が確定された。


 だがもう俺の肉体も精神力も限界だった。 

 小さく荒い呼吸を繰り返し、上から見下ろす形で俺はマルクスを凝視する。 


 正直賭けだった。 

 覚えたての投擲スキルを本番ぶっつけで実行。 

 成功したのは奇跡、あるいはまぐれかもしれない。 


 だがマルクス程の剣士でも意識外の攻撃には弱いものだ。 

 ある意味、熟練者ほどそれに大きく反応するかもしれない。 

 俺はそれに全てを賭けて、そしてその賭けに勝ったに過ぎない。


 呆然と立ち尽くす俺。 

 そして気がつくと隣に兄貴が立っていた。

 兄貴が姿勢と呼吸をととのえ、死に体のマルクスに低い声で投げかけた。


「……なにか最後に言い残す事はあるか?」


「……そうだな、ひとつだけ最後に頼まれてもらえるか?」


 急速に迫る生命活動の終焉の前に、マルクスが兄貴に問う。


「……何だ?」


 するとマルクスが残された左腕で腰の携帯ポーチをまさぐり、

 中から呪符のような札を取り出して、破った。 

 するとその破けた札の中から青い小さな生物が現れた。

 兎ほどの大きさの緋色の瞳を持つブルードラゴンの赤ん坊であった。


「……俺が死んだ後、コイツの面倒を見てもらえないか?」


「……お前が知性の実グノシア・フルーツ

 食べさせたペットのブルーだな?」


「そうだ。 頼めた義理じゃないが、強いて言うなら

 これが最後の気がかりでな」


「……ブルードラゴンの赤ん坊をペットにしてたのは、

 竜騎士ドラグーンへの未練、あるいはその代償行為からか?」


 と、憮然とした表情で訊ねる兄貴。


 兄貴の問いに小さく頭を左右に振るマルクス。


「……わからん。 だがそうかもしれんな。 コイツが見世物小屋で

 売られていた寂しそうな姿を見て、何故か無性にコイツを飼いたくなったんだ」


「……いいだろう。 それぐらいの頼みは聞いてやるさ」


「……ありがとうな、ライル」


 マルクスの瞳から、急速に光が失われる。


「……マルクス、初めてお前の『ありがとう』という言葉を聞いたぞ?」


「……そうか」


「……ああ」


 兄貴はマルクスを黙然と見下ろしながら、そう告げる。

 そして光の失った瞳でマルクスは俺と兄貴の顔を交互に眺めた。


「……きょ、兄弟か。 ……お、俺にもお前のような兄貴、

 あるいはラサミスのような弟が居たら、もしかしたら…………」


 マルクスはそう言葉にするが、次第に力を失い声が途中で途切れた。 

 そして眠るように両眼を瞑り、その生命活動を終えた。


 地面に横たわるマルクスの遺体を、俺達はしばらく無言で眺め続けた。 

 するとマルクスの遺体の傍でブルードラゴンの赤ん坊が――


「マルクス、寝ルナ! 起キロ、マルクス!」


 と、囁く声だけが空しく周囲に響き渡る。

 俺は少し居た堪れない気持ちになって、

 手にドラゴンの赤ん坊をおさめようとするが


「触ルナ! オイラニ触レテイイノハマルクスダケダ!」


 と拒絶された。

 マルクス、少なくともコイツはお前の事を好いてたようだぜ。


 やれやれ、コイツが懐くのは時間がかかりそうだな。

 俺はやや吐息を漏らしながら、

 マルクスの傍で囁くドラゴンをしばらく傍観する。 

 すると兄貴が敬礼のポーズを取りながら――


「マルクス、お前の最後の願いくらい聞いてやるさ。 お前には多大な迷惑をかけられたが、幾多の戦いでお前に助けられたのも事実。 お前は強くて勇敢な男だった。 その剣術、体術、魔法、どれをとっても一級品だった。 だがお前は自愛の精神が足りなかった。 何かを憎む気持ちより、何かに感謝したり、愛する方が自分の為にも、ひいては他人の為になるんだぜ。 お前はそれを知らなかった、知らなすぎた。 それがお前の不幸さ」


 と、口にしながら、何処か寂しそうな表情をする。

 俺は兄貴のその姿を何も言わずに見守る事しか出来なかった。


 すると緊張感が途切れたのか、急に俺の全身に疲労が押し寄せてきた。

 思わず両足を地につきかけるが、その前に兄貴が俺を支え肩を貸してくれた。


「……終わったな」


「ああ、もう動く体力も気力もねえ……このまま泥のように眠りたいよ……」


 意識が朦朧とする中、俺は本音を漏らす。


「……ありがとうな、ラサミス」


「え?」 


 不意な感謝の言葉に思わず俺は視線を兄貴に向ける。

 すると兄貴が口の端を持ち上げて、ニッコリと笑った。


「お前が来てくれて助かったよ。 

 お前が俺の弟で良かったよ。 ……ありがとう」


「……だろ?」


「え? なんだって?」


「……兄弟だろ? お、俺達兄弟だろ? 

 だったら当たり前の事じゃねえか……。 兄貴の窮地を弟が救う。 

 兄弟なら当たり前の事だよ、へっ……」


 俺は照れ隠しする為に、あえてぶっきらぼうにそう言った。


「……そうだな。 でもお前が俺の弟で本当に良かったと思うよ。 

 それが今の俺の偽りのない本心だよ……」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の胸と身体が僅かに熱くなった。

 身体も精神も装備もボロボロ。 しばらくはもう何もしたくない。 

 しばらくは泥のように眠り、怠惰に惰眠を貪りたい。 


 正直今回の旅と戦いは俺の冒険者としての限界点を大きく上回っていた。 

 しばらくは冒険も戦いも何もしたくない。 これが俺の本音だ。


 だけど兄貴のこの一言で全てが報われた気がする。

 そして俺は心の底からこう思うのであった。


 ――冒険者になって良かった


 そう言葉を胸に刻みつけ、俺は兄貴の胸の中で意識を失った。

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