第四章 知性の代償
第17話 追憶の夢
夢を見た。
それは遠い遠い記憶の深淵に追いやられた夢であった。
故郷ドラゴニアの竜神の谷での最終試練に
挑む若き日のマルクスの姿があった。
一七歳を迎えた竜人の男子は竜騎士になる為の試練を受ける。
その試練は過酷でおよそ半数以上の者が脱落して、
脱落した者は翌年以降も試練を受けられるが、
二十歳を迎えるまでに
落伍者と見なされ、竜人という種族における
ヒエルラキーの最下層に追いやられる。
だが無事最終試練を乗り越え、
はれて
竜人にしかなれない
非常に重宝されて、パーティーや
更に
故に彼は戦う。 故に彼らは力を求める。 故に彼らは勝利を掴む。
力こそが正義であり、
若き日のマルクスも例外に漏れず、
竜騎士になる為に己の腕を磨き、来たるべき日を待った。
それは勿論、
一族の無念を晴らすという思いもあった。
マルクスの父であるレナード・ハルダーはかつてはドラゴニア
でも一、二を争う
槍を持たせたら天下無双。飛竜に乗らせたら右に出る者はない。
数々の戦闘スキルを使いこなし、
従来、竜人が苦手とする魔法分野においても並外れていた。
故にレナードは竜人の英雄であった。
ドラゴニア一番の美女と称されたロザリアを妻に娶り、
栄光の階段を進んで行く――筈であった。
その栄光からの転落のきっかけは同種族間の内乱であった。
力こそが正義であり、竜人こそが至高の種族と信じてやまない
主流派に対して、その選民思想と排他主義に異を唱える改革派。
当然両者が交わる事はなかった。
改革派の大多数は成人しても
あるいは
実際
戦闘という分野においては他種族を寄せ付けない強さを誇ったが、
それ以外の分野では大きく劣っていた。
社会構造を支える平民の多くは
下層階級の女で構成され、過酷な労働や農作業を強いられる。
そして収益や収穫の大体数を
族長などの支配者層に奪われる。 そういう劣悪な環境では教育もままならず、
国民の識字率も他種族に比べてかなり低い。
故に竜人という種族と国が衰退の一途を辿るのは必然的であった。
そこで状況を打開すべく弱者が立ち上がった。
彼らの力は
従来竜人があまり必要としない魔法という分野に活路を見出して、
魔法適性のある者達で魔法部隊を形成。
表向きは従順なふりをして、裏では虎視眈々と反撃の機会を待った。
一年、二年、……十年という歳月が過ぎた。
そして彼らは立ち上がり、主流派に対して戦いを挑んだ。
権利を、自由を、尊厳を取り戻す為の戦いであった。
最初は烏合の衆と高を括っていた主流派であったが、予想外の大苦戦。
その予想外の結果は下層階級の竜人に希望を与え、後に続かんとする者が続出。
たちまち竜人領の各地で農民や平民が武装蜂起。
だが主流派にも意地と矜持、いや彼らには意地と矜持しかなかった。
瞬く間にドラゴニア及びその他の領地で凄惨な血の雨が降るようになった。
そしてこの不毛な内戦において、主流派の指揮官を務めたのがレナードである。
レナードは改革派の魔法部隊に対抗すべく、指揮する
魔法耐性の高い武具を与えた。 そして少数派の改革派に対して、
数で上回る主流派は力押しで攻め立てた。
激しい消耗戦が各地で行われたが、
次第に兵力と兵糧で上回る主流派に戦局が傾く。
そこからは飛竜部隊などによる奇襲作戦を繰り返し、
局地戦で次々と打ち勝った。
長引くと思われた内戦は結局半年足らずで終わった。
改革派の指導者や内乱に関与した者達を次々と処刑して、
その一族は僻地に流刑。
結局、無駄な血が流れただけで、何も変わらなかった。
そして総指揮官を務めたレナードは名実ともに英雄となる――筈だった。
だが凱旋パレードで栄誉に浸るレナードに
改革派の残党の魔手が襲い掛かった。
至近距離から強力な破壊魔法を受けたレナードは意識不明の重体に陥る。
辛うじて生き延びたレナードであったが、竜人の象徴である漆黒の角が
左右共に真っ二つに折れた。 完璧さを求める竜人の社会において
それは大きな欠点であった。
結局それが原因でレナードは軍籍から除籍され、
若くして僅かな恩給を貰う隠居生活を送らざるを得なかった。
マルクスが生まれたのはその時である。
最初は生まれた子供の為に何とか立ち直ろうとしたレナードであったが、
排他的な竜人の社会は徹底してレナードを拒んだ。
敗者に用はない、と。
結局、レナードはまるで働かこうとせず酒浸りの生活を送り、
妻が慣れない重労働の農作業で家計を支えたが苦労がたたり、
若くして妻はこの世を去った。
その時、マルクスは五歳であった。
母は死に、父は精神的に死んでおり、マルクスは寄りかかる存在を失った。
ろくに食事も与えられず、貧しい生活の中でマルクスは
周囲に嘲笑われ、蔑まれた。
日課のように周囲の子供達に虐められて、
マルクスは呆然と空を見上げる。
それは黄昏の空だった。
儚く、悲しげな空をマルクスはただ眺めていた。
この空だけは竜人、エルフ、ヒューマン、
平等に与えられていた。 だから彼は虐められた後はこうして空を見上げていた。
――何故、自分がこんな目に合うか、わからない
――だけどこの空の向こうには種族も関係なく、平等な世界があるという。
――確か中立都市リアーナという名の街らしい。
――そこに行けば自分も虐められる事なく、平和に生きられるのだろうか。
――でも現実は変わらない。 このドラゴニアにおいては自分達は敗者だ。
――だけど敗者のまま終わりたくない。 終われるはずがない。
――ならば自分自身が変わるしかない。
マルクスはそう黄昏の空に決意した。
それから彼は幼くして書物や文献を読み漁り、肉体も鍛え始めた。
だが周囲は相変わらず彼を嘲笑い、蔑んだ。
次第にマルクスの中に黒い感情が募る。
そしていつも虐めてきた連中にやり返した。
五対一だったが、マルクスは瞬く間に彼らを打ちのめした。
どうやらマルクスも父同様に戦闘の素養があったらしい。
それからマルクスは暴力という力を使い、周囲の子供達を支配する。
金品や生活必需品から嗜好品、彼らに命令して、奪い、奪わせた。
だが彼はそれで満足しなかった。 マルクスは更なる力を求めた。
その為に一五歳になると冒険者になり、世界各地を飛び回った。
肉体だけでなく、高い魔力数値を誇ったので、様々な
だがそれも全ては試練を乗り越えて
確かに今の父は敗者だ。
だがかつてはドラゴニア一の英雄と呼ばれた。
記憶に薄いが母もとても綺麗でドラゴニア一、二の美女と言われたらしい。
本来ならば我が一族こそ竜人を率いる存在になる筈だった。
だからこそ一族の無念を晴らすためにマルクスは立ち上がった。
そして数々の試練を乗り越えて、彼は最終試練へと辿り着いた。
最終試練はドラゴニアの竜神の谷で、同じく最終試練到達者と一騎打ちで
戦い、勝利した方が栄えある
――全てはこの日の為に、この瞬間の為に。
そう思い今日まで生きてきた。
だがマルクスの対戦相手は族長の孫であるミハイルであった。
ミハイルは既に二十歳に近い年齢で、もう後がない立場であった。
もっともそんな事情はマルクスの知った事ではない。
誰であろうが倒す。
だが相手は族長の孫。 自分は負け犬の息子。
幸か、不幸か。 今にして思えばこの最終試練がマルクスの人生を分岐点となった。 最終試練の前夜、普段は酒浸りな父親が珍しくマルクスの為に手料理を振る舞う。
そして父はかつての黄金時代、
母親との馴れ初めも語った。 父とこのような会話を交わしたのは、
十七年生きて初めての経験で戸惑うマルクス。
だが悪い気はしなかった。
マルクスは苦笑を交えながら、父の言葉に耳を傾ける。
――俺はもう負け犬だが、お前は違う。 明日それを証明して来い。
――ああ、必ず勝つよ、父さん。
だが翌朝目が覚めるとマルクスは高熱に
まさかこのタイミングで病気か、だがこの最終試練から逃げるわけにはいかない。
マルクスは熱に
コンディションは最悪。 少しでも気を抜けば意識が朦朧とする。
だがそれでもマルクスは耐えた。 精神力だけで意識を保ち、懸命に戦った。
本来の力ならばマルクスの実力はミハイルを大きく上回っていた。
しかし異様な高熱と眩暈で意識を保つのも困難な状況。
次第に押し込まれる。
そして目の前の対戦相手であるミハイルがニヤリと口角を吊り上げた。
――毒入りの親父の手料理はうまかったかい?
その時、マルクスは悟った。
そして絶望して、絶望を通り越して、激しい憎悪が芽生えた。
要するに周囲は族長の息子が負け犬の息子に負ける事を許さなかったのであろう。 竜人が誇る伝統の竜騎士の最終試練。
だがそれも族長や権力者の子息が関われば、平気でこのような
八百長紛いな真似もまかり通る。 これが現実であった。
つまり負け犬の息子は永遠に負け犬。
マルクスは怒った。 怒り狂った。
人生に絶望して、彼の精神は深淵の闇に呑みこまれた。
だが彼は怒りと狂気で肉体の不調に打ち勝った。
最後の意地であった。
――くだらない。 竜人も
――だが例え負け犬でも意地がある。
――だから許さん、このクソみたいな劣悪な環境を。
――このクソみたいな竜人。 息子を売るクソみたいな実の父親。
――そしてこのクソみたいな世界を俺は呪う。 ――許さない!!
それから鬼神のような猛攻撃でミハイルを圧倒するマルクス。
気がついた時には血塗れのミハイルが地べたに倒れ伏していた。
これには周囲の者達も絶句。
だが気分は最低だった。
どす黒い気分に吐き気がした。
しばらくすると族長が困った表情でマルクスの反則負けを言い渡す。
理由は大事な最終試練の戦いを汚したからという滅茶苦茶な内容。
マルクスは嗤った。 この世を呪うように嗤った。
結局最初から自分を受け入れる気などない、それが総意らしい。
ならばそんなものぶち壊してやる。 そんな世界なら俺が壊してやる。
気がつけばマルクスの周囲は血の海と化していた。
族長をはじめドラゴニアの支配者層の者達がマルクスの下に惨めに倒れ伏していた。 そしてその足で自宅に戻り、実の父に手をかけた。
父の最期の言葉は――
「馬鹿が……大人しく従えば来年は
それから先の事はあまり覚えてない。
迫り来る追っ手を切り捨て、逃げ回る日々。
気がつけば国境付近まで逃げていた。
――そういえばここからならリアーナはわりあい近いな。
――どうせ失うものはない。 ならこの眼で噂の中立都市でも拝んでみるか。
戦いに明け暮れ、クエストをこなし、金と酒と女だけに生きる日々が続いた。
マルクスの心は永久凍土のように凍てつき、全てを嘲笑い、自分すらも呪った。
そして数年後、彼の前に一人の少年が現れた。
鮮やかな銀色の髪と鋭い眼光が特徴的な少年だった。
自分と同じ様に親から与えられた肉体以外は何も持たない冒険者。
だがその少年は目は希望に満ちたようにキラキラと輝いていた。
それが眩しくもあり、羨ましかった。 強い嫉妬と興味を抱いた。
しかしその少年と一緒に居る時だけは、マルクスの心も僅かに和らいだ。
それが新鮮であり、奇妙な感情がマルクスの中に生まれた。
その少年の名は――
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