She’s so elegant

ninjin

第1話

 彼女と初めて出会ったのは、夏も過ぎ、街路樹が色づき始めた頃の日暮れ前、僕がひとり授業を抜け出して街をぶらぶらとほっつき歩いた後、何の気なしに立ち寄った児童公園のベンチだった。

 その公園のベンチの端に背筋をピンと伸ばし、凛として遠くを見詰める彼女は、僕が近付いても全くこちらに顔を向けることは無く、更には僕が反対の端に腰掛けても、驚きもしなければ、動じることもない。

 まるで僕が居ないかのように無視を決め込む彼女に、ならばこちらもと、僕は徐に左肩に掛けていたバックパックから紙パックの牛乳を取り出して、それからストローをプシュッと差し込む。

 僕はストローに口を付ける前に、チラッと彼女に目を遣ると、どうだろう、いつの間にか彼女は僕が牛乳パックを握り締めた様子をジッと窺っているではないか。

 彼女の視線が痛くて、それからちょっと嬉しい僕は、少し辺りを見渡して、ふと砂場に目を止めた。

 そこに、近所の子どもが忘れていったのであろう、ままごと用のプラスチックの皿が転がっているのを発見したのだ。

 僕は彼女を驚かさないように、ゆっくりと立ち上がり、その皿を砂場で回収すると、それを公園の水飲み場の水道で軽く濯ぐ。

 ベンチに戻ると僕は、パック牛乳の半分を今洗ってきた皿に注ぎ、ベンチの上を滑らすように彼女に差出した。

 彼女は『いいの?』と、声には出さないが、その大きな瞳で僕に訴え掛けるので、僕は「どうぞ」と、声に出して答える。

 すると彼女は、.僕の方を上目遣いに見遣りながら、そおっと皿に顔を近づけ、それからその小さな舌でペロペロ、ピチャピチャと牛乳を舐めると、一息ついて、何とも美しい声で「にゃあ」と鳴いたのだった。

    ◇



 僕は次の日も彼女に会いたくて、学校の授業を午前中で抜け出すと、学校近くのドラッグストアで昨日と同じパック牛乳と、それからCIAOチュール(とりささみ)を購入した。

 とりささみ味を買ったのには深い意味はないのだけれど、何となく、マグロとか、カツオは、彼女のイメージではない気がしたからだ。

 公園に到着し、フェンスの外から、昨日彼女に出会ったベンチを確認するが、彼女の姿はそこに無い。


 そりゃそうだよな・・・。


 僕は公園の入り口からベンチまで、辺りをキョロキョロと見回しながら歩くのだが、彼女の姿を見付けることは出来なかった。

 ベンチに辿り着き、『ふぅ』と音にもならない声でひとつ溜息を吐いてから、僕はもう一度辺りを見回して、ベンチに腰掛けた。

「そりゃそうだよな・・・」

 今度は小さく声に出して言ってみてから、昨日と同じようにバックパックから紙パック牛乳を取り出す。

 牛乳を取り出す時、先ほど一緒に購入したCIAOチュール(とりささみ)の赤いパッケージが目に入り、思わず「どうすんだ、これ?」。

 寂しい気持ち、それとやり場のない虚しい現実、そんなものを何処に当たることも出来ない僕は、在り来たりなのだけれど、紙パックを必要以上に強く握りしめ、阿呆みたいに勢いよくストローを差し込むと、当たり前のようにピュッと牛乳の滴が飛び出して、僕の顔に掛かるのだ。

 牛乳の滴を頬に受け、やり場のない怒り、そして遣る瀬無さ、思わず「Fack!」と、小さく呟いて、それから直ぐに、『SHIT』なのかな?と、自問自答する。(僕の英語の成績は、五段階評価で『3』だ)

 そんなことを考えてしまう自分に苦笑した時、背後から、それは綺麗な、そして艶っぽい声がするのだ。

「にゃあ」

 慌てて振り返った僕を見上げる彼女のその澄んだ瞳に、僕の胸は、これでもか、っていうくらいに撃ち抜かれた。

    ◇



 彼女に出会って三日目。その日は朝から激しい雨だった。

 僕は学校へ行くのを止めにして、いつもより三十分も早く家を出ると、そのまま公園に向かった。

 傘を差し、小走りに公園に駆け込み、一直線にベンチを目指す。

 分厚い雲のせいで薄暗く、更には地面に跳ね返す水しぶきで、視界はまるで見通しが利かないのだけれど、僕には視えていたのだと思う。

 そこに彼女が居ることが。

 激しく打ちつける雨粒の音で聴こえないのだが、彼女は僕を認めると、『にゃあ』と、澄み渡る声で僕に叫んだ。

 ベンチの下から抜け出して僕に歩み寄ろうとする彼女に、僕は「良いよ、僕が行くから。そこで待ってて」そう言いながら、駆け寄り、抱きかかえて、.コットンのパーカーを脱いで、彼女をその中にくるんだ。

    ◇



 天気予報によると、午後には雨も上がるらしい。

 僕のベッドのど真ん中で、くつろぎ、自らの手で顔を擦りながらおめかし(?)に余念のない彼女をぼんやり眺めながら、僕は僕でこの先の計画に思いを巡らせていた。

 現在の時刻、午前九時十三分。

 父親、母親共に仕事に出ており、妹は学校(僕とは違う有名私立女子高)に行っているので、家に居るのは僕一人と猫一匹。

 さて、どうしたものか。

 動物嫌いの母親の意向によって、ペットの飼育は禁止なのだ。

 但し、幸いなことに、僕の部屋は二階、然も部屋にはベランダとも呼べないくらいではあるが、窓の外に洗濯物を干せるスペースがある。(普段は使っていないので、そこには父親の趣味の釣り道具を仕舞う収納ボックスが置いてある)

 彼女の鳴き声さえ何とかなれば、ワンチャン、家族に見付かることなく、彼女を匿うことが出来るかもしれない。

 いや、彼女は見るからに高貴で、無闇矢鱈に鳴き声を上げることは無いだろう。そうに決まっている。


 短く艶やかな毛並みは薄いグレイがかった背中から、腹部にかけてグラデーションのように白に変わっていき、真っ白く細い腕としなやかな手首、そしてピンと立った尻尾に、引き締まった大腿部。

 こんなにも気品ある彼女が、自らの美しい鳴き声を、滅多なことで軽々しく他人に聴かせることはない。

 

 僕は彼女の容姿を繁々と見詰め、そう確信するのだ。

    ◇



 そうやって始まった僕と彼女の同棲生活だったが、初めの数日は両親や妹に直ぐにでもバレてしまうのではないかとビクついていたものの、僕の想像通り気品高く賢い彼女は、僕の心の内、そして僕らの秘密の関係を理解していたのだろう。

 彼女は部屋の中でもベランダでも、物音ひとつ、声さえも上げずに大人しく過ごしてくれた。

 彼女は夜、僕のベッドで僕と一緒に毛布にくるまり、朝になると僕より先に起き出して窓際に座り込み、僕と外の景色を交互に見る。

 僕がそっと窓を開けると、彼女は静かにベランダに出て伸びをしたかと思うと、僕が『あっ』と言う間もなく、屋根を伝って庭の木に飛び移り、音もなく塀の上に着地した。

 それからもう一度僕の方を見上げて、『心配しないで。じゃあ、行ってきます』と言わんばかりに「にゃあ」と美しい一声を発して、塀の向こう側へと消えていくのだった。

 彼女を見送った僕は、最初の三日間こそ、いつ戻って来るか分からない彼女を待つ為に、体調不良を装って部屋に引きこもることにしたのだけれど、その三日でどうやら彼女の行動パターンを把握した僕は、四日目からは学校に復帰することにした。

 彼女は朝家を出ると、夕方、いつもの僕の帰宅後くらいの時間にベランダの窓の外からこちらを覗き込むのだ。

 僕が小さく窓を開けると、その隙間からするりと身を滑らすように部屋に入り、そして一度僕の膝の下辺りに自らの頬を擦りつけ、それからベッドの上にちょこんと陣取ると、いつも決まって手の甲を使っておめかしを始める。

 僕が学校に復帰するのを決めたのは、彼女の為に購入する牛乳パックは良いとして、猫缶やチュールの空き袋を家のゴミ箱に捨てる訳にもいかず、その空き容器をドラッグストアのゴミ箱に捨てる為に引きこもってはいられないということと、日がな一日、彼女を部屋で待ち続けることに耐えられなくなったからだ。

 (誰かを待つことが、こんなにも辛いことだというのを、初めて知った)

 そして何故だか不思議なことに、僕は学校を勝手に途中で抜け出すことをしなくなった。

    ◇



 遅れ馳せながら(もうあと二ヶ月で高校は卒業だ)、真面目に(?)学校に通うようになって三カ月、またもや不思議なことが起こった。然も立て続けに・・・。


 僕は隣のクラスの女の子(美紗子)に告白されて、付き合うことになった。


 無理だと思っていた大学の推薦入学が決まった。


 バレンタインの日に、美紗子が僕の部屋にやって来た。


 そして、そのバレンタインの日、

 気付いてはいた。分かってはいたのだ。

 彼女が窓の外から、僕が美紗子の唇に自分の唇を重ねるのをジッと見詰めていることを、僕は知っていたのだ。

 キスをしながら、美紗子の髪の向こう側に、彼女の姿を見る・・・僕は・・・

    ◇



 彼女が僕の前から姿を消して三カ月。

 勿論僕は最初のひと月、彼女のことが心配で心配で、胸を掻きむしるような衝動に何度も襲われた。

 あの公園に何度も足を運んだ。

 それでも彼女を見付けることが出来なかったし、彼女が僕の部屋に戻って来ることも無かった。

 桜の花が散り、葉の緑が陽に照らされてキラキラと輝く頃、僕は大学帰りに美紗子との待ち合わせで、あの児童公園の入り口近くのフェンスにもたれ掛かっていた。

「ごめん、待った?」

「あ、うん、ちょっとね」

「ごめんね、思ったより授業長引いちゃって」

 美紗子はパテシエを目指して地元の調理師専門学校に通い始めていた。

「いや、大丈夫。気にするな」

 僕はそう言って美紗子にヘルメットを手渡し、ガードレール沿いに停めたバイクに向かおうとした。

「ねぇ、あれ見て。かわいい」

 僕も言われるままに美紗子の視線の先を目で追って、思わず「あっ」と声を上げてしまった。

 そこには三匹のよちよち歩きの子猫を引き連れた彼女。

「なぁに?知り合い?」

「あ、いや、うん・・・。でも『知り合い』って、可笑しくないか?」

 美紗子は少し考えて、「そうね」「ねこ相手に『知り合い?』はないわね」と、如何にも可笑しそうにクスクス笑う。


 眩しい初夏の陽射しに、世界はとても美しい。




                  おしまい

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