エピローグ
エヴァンジェリンが17歳の誕生日に、初代女王であるソフィーとソフィアは、ともに退位した。姉妹はまだ43歳であったが、王女も立派に育ち、国を預けても差し支えがないと判断できたこと、人生の半分近くを女王として過ごしてきて、彼女らも市民としての生活に戻り、悠々自適の余生を過ごしたいとの希望に応えようとの判断が枢密院でなされたのであった。
新女王エヴァンジェリン1世は姉妹から術の導きを受け、光の術者の称号を手に入れて、次代の治世に臨むこととなった。
姉妹は退位ののち、国都を去っている。前女王がいつまでも国都に居座っては、彼女らの影響力が雑音として残り続け、新女王の統治に
ふたりは相談し、セーヌ村に帰ることにした。小さく、変哲のない村だが、彼女たちにとっては生まれ育った無二の故郷である。
姉妹がこの村にいた頃を知る村人は、この頃にはほとんどが天界へと旅立っていたが、それでもみな歓迎した。この村から、奇跡の術者として知られ、ロンバルディア王国の初代女王となった姉妹が出たことは、村のなかでは伝説と言っていいほどの興奮と崇敬をもって語られている。
村では、姉妹はかつてのようにオリーブを育て、余暇を見つけてはソフィーは楽曲を創作し、ソフィアは絵を描いた。たまに気が向くと、制作のために遠出をしている。このためセーヌ村には多くの音楽家や画家が移り住んで、往時のルブラン・サロンのような活気を呈することもあった。
姉妹が去った宮廷では、彼女らのあとを追うようにして、デュランやイネス・セルバンテスといった大臣たち、あるいはヴァレンティノやシャルルら軍の重鎮たちも相次いで職を辞している。これは後継のエヴァンジェリンに人望がなかったわけではなく、ひとつの時代が過ぎ去り、自分たちの役目も終わったことを、まだ充分に若いと言っていい彼らに実感させたからであろう。
エヴァンジェリン1世が26歳に達したとき、さらに次の治世の到来に備え新たに王女を立てるべしとの意見が強まった。枢密院は貴族制度の創設を発議し、貴族家のなかから適当な者を現女王の養女とする案をその総意によって決定した。
ルモワーヌ公爵
ペドロサ公爵
ブーランジェ公爵
セルバンテス公爵
トルドー侯爵
トスカニーニ侯爵
ゲンスブール侯爵
マルケス侯爵
アレグリーニ伯爵
チェーザレ伯爵
モラレス伯爵
ロマーノ伯爵
サイモン伯爵
フェレイラ子爵
ルブラン子爵
モンテスキュー子爵
カッシーニ子爵
デュラン男爵
フェルミ男爵
モンテカルロ男爵
クレッソン男爵
貴族家は成立当初で上記21家あり、はるかのちにパストゥール子爵家、マリオッティ子爵家、ロサリオ男爵家を加えて24貴族家と称するようになった。革新派として枢密院の世論を二分する勢力を持ちながら、中道派に中央政界を追放されたルブラン、カッシーニ、チェーザレ、クレッソン各家は、与えられた爵位の点でも冷遇されている。一方、ルモワーヌ、ペドロサ、トルドー、トスカニーニの各門閥は、代々要職にあり、所領も大きかったことから、特に四大貴族家と呼ばれることが多い。
彼ら貴族家は、王権と国家を守る
その均衡もろとも、貴族制度が実質的に破壊されるのが、第66代女王エスメラルダの治世ということになるが、それはまた別の物語ということになるであろう。
またロンバルディア王国は中途でロンバルディア教国と名を変え、初代女王のソフィーとソフィアを神格化し、その人格と能力を宗教にまで昇華して崇拝するようになった。彼女たちの名声が、民衆を洗脳し、国を統治してゆく上では諸事、好都合だったものと思われる。その過程で、ソフィアとテオドールの関係も、歴史から長期にわたって抹殺されることとなった。ソフィーとソフィアはともに純潔のまま生涯を過ごしたなどと事実をねじ曲げて歴史書を記載し、それが女王位を継承するための条件とも規定された。本人たちがそのことを知れば、呆れたに違いない。
ソフィーとソフィアの姉妹は、双子の術者としての何かがそう運命づけるのか、ほぼ時を同じくして亡くなったと言われている。
死の直前、ソフィアはその手から伝わってくるべき姉の思念が完全に途絶えるのを感じるとともに、自らも夢を見るようにして逝った。
彼女が最後に見た情景は、成人までと余生を過ごしたセーヌ村であった。そこには、笑顔でいっぱいのソフィーがいる。ずいぶん若く、まだ16歳くらいかもしれない。ソフィアに向かって、うれしそうに何事か話しているが、不思議なことに声が聞こえない。音のない世界であった。
目線を移すと、近くには楽しげに談笑するアレックスやアーヴェン、シャルルらの姿があり、まだ少年のヴァレンティノもいる。そしてルモワーヌ氏とその子ジョシュア。さらにはブラニク、ブーランジェ未亡人、マリアナといった女たちが華やかさと美しさを競い、ルブランやトルドーらも穏やかで喜ばしい表情を浮かべ姉妹を取り囲んでいる。
嘘のような静けさのなかで歩いてゆくと、やがて前方のもやのような光の向こうから、テオドールが現れた。彼も若い。その目には、ソフィアに対するあふれるような愛情がたたえられている。
ソフィアは、涙が幾筋も流れるのを自覚しながら、彼の胸に飛び込むようにして駆け寄った。テオ、と名を呼び、会いたかった、とそう伝えたかった。だが、彼女の耳には何も聞こえない。
彼女は確かに、愛するひとの腕に抱かれていた。なのに、彼のにおいがしない。彼の声も感じることができなかった。そして、ゆっくりと、肌の感覚が消え、まぶたが重くなった。
やがて何も見えなくなったとき、術者ソフィアの思念は完全に消失し、その逝去が確認された。
水の術者は、冷徹の思念を持つと長く言われてきた。ソフィアの登場以後も、その定義は変わっていない。だが彼女の軌跡を追う限りでは、冷徹な人格を垣間見ることが難しい。彼女以外に、歴史的に信頼できる水の術者の情報がなく、その思念のありかは術者に関する大きな謎のひとつとなっている。
少なくとも言えるのは、彼女がいにしえの術者三姉妹や、姉のソフィーと並んで、最も偉大かつ高名であり、人々から愛される術者として歴史のなかに生きているということである。
風のマドリガル、水のシルエット【ミネルヴァ大陸戦記外伝】 一条 千種 @chigusa_1
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