きみのことはわすれない
清泪(せいな)
君をずっと愛してる
ああ、そうだ、全てを思い出した。
夢から醒めたかの様に、霞のかかっていた頭の中が鮮明になった。
視界に映るのは、私に跨がり顔を歪めて泣き崩れる妻。
溢れる涙粒が私の頬に落ちる。
皺の増えたか細い妻の手が、私の首をしめていく。
ゆっくりゆっくりと。
これまでの人生を噛みしめる様に。
長い長い人生だったがあっという間に過ぎていった。
若い頃は長生きなんてするもんじゃないと悪態をついていたが、今や曾孫までいる。
そんな長い人生を過ごしてこれたのは妻がいたからだ。
互いに夢を語り一緒になり、喜びも怒りも哀しみも楽しさも共有し、時には現実にぶつかり共に苦労した妻がいたからだ。
妻は涙ながらにこれまでの事を呟く。
私に思い出して欲しかったのだろう。
今までの事、そして、自分の事を。
認知症だと診断された事。
献身的な看護をしてくれていた妻の事。
霞が晴れてはっきりと思い出せる。
妻に、誰だと訊いた事。
はじめまして、と挨拶した事。
愛する妻を忘れてしまっていた事。
泥棒だと罵り、頬を叩いた事。
母親だと呼び、泣きじゃくった事。
違う女の名前を呼んだ事。
ゆっくりゆっくりと、首が絞まる。
涙が頬を濡らす。
妻の涙か、私の涙か、もはやわからなくなった。
首を絞める力が弱まっていく。
妻の呼吸が荒くなっていくのがわかる。
私は妻の手を掴んで僅かな力で引き寄せた。
妻は目を開いて、それからまた手に力を込めた。
歪めた顔が、優しく微笑んだように見えた。
ゆっくりゆっくりと、首が絞まっていく。
呼吸ができなくなるその前に、伝えなければならない。
「ありがとう」
きみのことはわすれない 清泪(せいな) @seina35
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