モラトリアムを泳ぐ・3

 息を大きく吸い込んで教室の後ろ、掃除ロッカーの前でたむろする奥原さんの方へ向かった。

「奥原さん」

「あれ、井上さんじゃん。どうしたの、うちらに話しかけるなんて珍しいじゃん。何の用?」

 あ、もしかして、先生に告げ口したの怒ってんの?

 奥原さんがそう言って目を細めれば、一緒にいた他の三人がおろおろしだした。

「いや、私がしてもいないことを見たらしいから、ちょっと心配になって。幻覚を見るほど疲れているんでしょう?大丈夫?」

 教師は誰がその情報を自分に言ったのかは言わなかったので奥原さんが言ったという確証がなかった。

 少し不安だったが、どうやらビンゴだったようだ。

「そっちこそ、自分がしたことが分からなくなるくらい混乱しているの?大丈夫?いくら気になる人の気を惹きたいからってあんなことをするなんて」

 上手く引っかかってくれたことに心の中でガッツポーズをしながらも、そこで私は戸惑った。

「気になる人って?」

 本気の戸惑いに相手も困惑したようだった。

「だって、友奈ゆうなが」

麗愛れあちゃん!?」

 奥原さんが何かを言おうとした瞬間、飯田さんが口を慌てたように塞いだ。

 その顔は真っ赤で私の方をちらりと見るとすぐに下を向いてしまう。

「ごめんなさい」

 おとなしくて、可愛らしい雰囲気の飯田さんは謝り、そして廊下へと走っていった。

「ねえ、分からない?」

 奥原さんは私の襟元を掴んで勢いよく離した。

 よろけ、ロッカーに体を打ち付けた私はそのまま直進してくる奥原さんを避けられなかった。

「良い?貴女は邪魔なの。それを察せずにいるから私は釘を刺しただけ」

 悪いのは、貴女だから。

 そう言う彼女を許せなかった。だからって関係ない人を巻き込むことはないだろう?

 背中を向けて立ち去ろうとした奥原さんの肩に掴みかかり、窓の方へと押し付けた。ぎしぎしと骨の音が鳴りそうなほど強く握っていたようで奥原さんが「痛い」と声をあげているのが遠くの方から聞こえてきた。

「岩村君が描いていた絵を消したのも、私への嫌がらせ?」

 頭に血が昇っていたのだ、彼女の友人たちが後ろで先生を呼ばなきゃと言っているのが聞こえたが、構わずに言う。

「だから言ったじゃない。他人の気持ちを分からない貴女が悪いって」

「なら!」

 顔を近づけて叫んだ。

「なら、教えてくれれば良いじゃないか!」

「そんな簡単な内容じゃないの!」

 その時、担任がやってきて私の肩に爪を食い込ませながら奥原さんから私をはがした。

「井上さん、貴女何やっているのよ。こっちに来なさい!」

 そうして担任にぐちぐちと嫌味を言われ、教室に戻った時にはクラスメイトの大半が「井上さんが奥原さんに掴みかかった」という“事実”を知っていた。

 奇異な目で見るもの、好奇心あふれる目で見るもの、目をふいと逸らせて私の存在を認識したくないと言わんばかりのもの。

 席を見れば、文庫本を読んでいた岩村君が顔を上げて私と目を合わせた。

「おかえり」

 口を動かしてそれだけ言うと文庫本へと目を戻した。






「久しぶり。元気だった?」

 あれから何度も引っ越しを繰り返し、東京都内の大学に通うことになって都内に近い場所に転居していたので会うことはないと思っていたが、奥原さんは私と同じく都内の大学に合格しており、一人暮らしを始めていたそうだ。

 そして、岩村君も、飯田さんも都内の大学を受験して合格し、上京したのだと。

「しかし、私の連絡先をご存じだとは思いませんでした」

「そりゃ、私は友達がたくさんいるからさ、井上さんの連絡先を知っている人とも友達になっているよ」

 小学校の時の友人で今も連絡を取り合っているのは二人しかいない。

 うち、一人は私が引っ越して一年後に海外に引っ越したので彼女しかいない。

 そう思ってその友人の名前を言えば、「ご明察」と手を叩いた。

 今、私は奥原さんに呼び出されて都内のファミリーレストランに来ている。

 私はとりあえずパスタを注文し、彼女はダイエット中だからとサラダを注文した。

 対面で座り、じっと奥原さんを見る。

 随分と自分磨きというものをしているようで世の中の人に可愛らしい女子大学生の容姿を聞き、平均すればこんな感じになるだろうという雰囲気だった。

 勿論、何かに向けて一生懸命に行うことは素晴らしいことだし否定することではないが、何故だか胸がむかむかした。

「さて、今回ここに呼び出した理由だけど。これ、見て」

 そう言って綺麗にネイルされた指で奥原さんはスマートフォンを取り出して画面をコツコツと叩いた。

「これ、友奈のアカウント」

 短い動画や写真を投稿して日常をシェアできるアプリを開いて私に突き出してきた。

 そこには、腰まである髪を綺麗に結わえて嬉しそうな笑顔でパフェを食べる女性が写っていた。

「過去の投稿も見て」

 水を飲みながらそう言われ、画面をスクロールすれば男女が仲良く並んでいる写真が見つかった。

 投稿のコメントには『彼と都内の有名なカフェに行ってきました。楽しかった~!』と書かれている。

「ね、見覚えのある顔でしょう」

 奥原さんは私の手からスマートフォンを取ると別のアカウントを見せてきた。

「これが岩村のね。さっきのところと同じなのが分かる?」

 確かにさっきのカフェと雰囲気が似ている。

 そして、私が引っ越した後、中学時代に二人は距離を縮めて恋人関係になったのだと簡潔に説明をされた。

「ねえ、井上さん」

 途中、運ばれてきたサラダを口に運びながら彼女は尋ねる。

「岩村の事、まだ好きだったりする?」

「……さあ、私にはもう分かりません。これが恋心なのか、何なのかが」

 ミニトマトを突っつきながら聞いてきた彼女は顔を上げて哀れんだ表情で私を見やる。

 しかし、何も言わずにサラダを食べるとその分の代金をテーブルに置いて立ち上がった。

「この後デートがあるから」

 そう言い捨てて私を置いて去っていった。





 岩村君が意外ともてていることに気付いたのは女子たちの所謂いわゆる恋バナを聞いていた時だった。

 体育の着替えの時には女子だけになるため、自然とこういう話に流れていくのだ。

 この年になると誰が誰の事が好きとか誰と付き合ってみたいだとかそういった話を皆したがる。

 残念なことに私には提供できる話題がなかったのでもっぱら聞いているだけだったがその内容は面白かった。

 サッカーの上手い彼が一番だとか隣のクラスの誰が良いだとか。

 誰誰のお兄ちゃんがカッコ良かったと高校生に恋する子もいた。

 その中で結構な人が岩村君の名をあげていたのだ。

「あの落ち着いているところと、でもかわいい笑顔を時折見せるのが堪らない。まあ、井上さんの方が大人びているけど」

「雑学を何でも知ってるところも良いよね。まあ、井上さんには負けるけど」

「泳いでいるところもカッコ良いよね。まあ、井上さんの方が速いけど」

 何故か私を引き合いに出していたが、しかし人気であることにはかわりがないようだった。

「井上さん、岩村と仲良いけどそういう恋愛感情はないの?」

 一人の女子が私に問いかける。

「んー、特にそういう感情はないかな。どちらかと言えば良きライバルであり、良き友達といった感じだね。あっちもそう思っていると思うけど」

「それはどうかな」

 体育終わり、体操着から私服に着替える際に髪ゴムが取れてしまった子が髪を結わえながら私に問うが、相手の望むような話は出来なかった。

「気付いていないだけで結構井上さんの方を見ていたりするよ」

 どうしてもそういう話にしたい子たちが食い下がるように言う。

「多分、珍獣観察なんじゃないのかな」

 違うと思うんだけどな、と呟く子を無視し着替え終わったのでトイレに行こうと教室から出る。

「まだ着替え終わっていない子がほとんどだから入れないよ」

 教室の前で待っている男子に言ってからトイレに行く。手を拭いてトイレから出ると教室の前の廊下の壁にもたれている岩村の姿がふと目に入った。

「着替えるの、早いんだな」

「まあね、私は話しながら手も動かせるタイプの人間だから」

「なんだよ、それ」

「つまり、まだ着替え終わっていない人達は着替えることよりも話すことの方に集中しているということ」

 そして、話すことがなくなり、かと言ってそのまま教室に入るのもずっと待っている彼に申し訳ないような気もして、壁にもたれかかってぼんやりと窓の外に目をやった。

「なあ」

 岩村は、こちらに目を向けずに言う。

「なんだ、もし何か助けが必要なら」

「大丈夫」

 優しい彼のことだ、何を言おうとしているのか分かってしまう。

 きっと、全てを言わせてしまえばその優しさに付け込んでしまうだろう。だから。

「でも」

「将来、私がお金に困っていた時には貸してよ」

 なんて、ふざけた事を言って遠回しにこの話を終わらせようと伝える。

 丁度良いタイミングで教室のドアが開いた。

「着替え、終わったから入って良いよ」

 クラス委員の女子が言うと、男子たちは遅いだのなんだの文句を垂れながら教室に入っていった。

「次の授業の準備もあるんだし、早くは」

「本当に、本当に何かあれば言えよ」

 手首を掴まれ、念押しされる。

 私は顔を背けて小さく「分かった」と頷いた。


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モラトリアムを泳ぐ 東雲 蒼凰 @myut_cat

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