押忍! 🧙‍♀️

上月くるを

押忍! 🧙‍♀️




 その名も雪駄せったという、自分には無縁と思っていた履き物を生まれて初めて買った。

 鼻緒に足指を通してみると、強面の◇△☆屋さんになったような気がした。(笑)



      *



 駐車場に止めた車のなかで素早く胴着に着替え、靴下を脱ぎ、素足で雪駄を履く。

 粉雪が舞い始めた夜空の下に降り立つと、それだけでシモヤケになりそうだった。


 道場として借りている公民館の2階には、すでに多くの生徒が集まって来ている。

 下は就学前から上は社会人まで、といってもフユのようなシニアは見当たらない。


 小声で「お・す……」と言うと、孫のような大先輩が「押忍!」と返してくれる。

 年齢に関係なく、1日でも半日でも早く入門した者が先輩になる、究極の縦社会。


 百畳ほどの大広間の上座にでんと座っているのが、この地域を仕切る師範らしい。

 本業は長距離トラックの運転手だそうだが、にこりともしない風貌の怖いこと!


 新人が挨拶に行っても、小鳥を見る鷹のようにじろっと睨むだけ、返事も、ない。

 早々に退散して末座に逃げて来ると、フユ担当の中間管理職が待ちかまえている。


 となりの市の商店街のまとめ役とかいうご老体だが、この方がまた怖いのなんの。

 前回教えたことをマスターして来ない不届きな弟子を許せない性質であるらしい。


 マンツーマンだけでも緊張するうえに、険しい目つきで型の一挙手一投足を入念にチェックされて、ダメ押しに次ぐダメ押しで、パフォーマンスはボロボロ……。💦



      *



 だいたいが1日、3日、1週間、1か月……と言われているらしい。🐣🐻‍❄️🐗

 新人が音を上げたくなる期間だが、フユの場合、毎日だった。(笑)🐷🦉🐧


 それでもやめないで通いつづけた理由は、ひとえに「意地」にほかならなかった。

 ええっ、その歳で空手を始める?! やめたほうがいいよ~という周囲の声への。


 シングルマザーの子育てが一段落したいまこそ新しいことに挑戦してみたかったし、ジムのムエタイ教室で格闘技を学んだこともあり、古武道を極めてみたかった。



      *



 やや大仰に言えば地獄のような2時間が過ぎると、胴着を掠る手も足も傷だらけになっており、「押忍!」の気合の入れ過ぎで声が嗄れているのは毎度のことだった。


 段ごとに分かれた稽古が終了すると、ひとりずつ師範の前にお礼の挨拶に出向く。

 その後は全員で床の雑巾がけを行う、そう、むかしの木造校舎さながらの風景だ。


 ――市内随一の老舗百貨店の社長も、小学生と一緒に尻を立てていた。( *´艸`)


 指導部のひとつ話だが、あまり強調されると「多額の寄付をした人には黒帯を進呈するって本当ですか?」憎まれ口を叩いてやりたくなるが、むろん、心の声。(笑)


 

     *



 フユが念願の黒帯を取ったのは入門から2年目のことで、歳にしては早かったよなと師範から追従(笑)を言われたが、当たり前と言えば当たり前の結果ではあった。


 この組織にもノルマがあるのだろうかとひそかに疑義を抱くほど、中間管理職氏の情熱はハンパではなく、昇段試験の前には土日みっちり個人レッスンを強要された。


 あまりの熱意に恐れをなし、仕事を理由に稽古を休めば、恐ろしいほどの着信履歴が並ぶので、そっちのほうが怖くて、なにがなんでも稽古に出る羽目になった。💦



      ****



 あれから風のように時空が変転した。🎞️🐤🐘🦥

 気づけば10年余りが経過している。🖼️🪅🧦🎪


 とうに仕事を引退したフユは、ときどき道場で後輩たちの稽古を見てやっている。

 小学生から「おばあちゃん先生」と呼ばれる大甘の指導に新師範は何も言わない。


 フユにとって恩人であり天敵でもあった中間管理職氏も、鬼瓦のような顔の師範も揃って異界に住民票を移したいま、フユの提案で、冬の雪駄は履かせていない。🩴





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