第4話 友人

「ねぇーん、テストの調子どぉでしたぁーん?」

 気怠そうな声が後ろの席から聞こえる。

「俺はねぇー、もう壊滅的ぃー。」

「はい、おつかれさま。」

「ちょっとちょっとちょっと!冷たすぎない?事務的すぎない!?愛が無さすぎない!?」

 あからさまに『鬱陶しい。』という文字が、その楓真の表情から読み取れる。

「ねぇ、なんでかわかる?なんでかわかる!?俺のテストが悲惨だったワケ!なんでかわかるぅー?」

「あ、すみません、忙しいんで話しかけないでもらえますか。」

 楓真は自分の机に向き直りながら無表情で言い放った。

 その背後では、残され、無下に扱われた海人かいとが仁王のような顔をしている。

 その顔を維持するのに疲れたのか、飽きたのか、海人はスッと表情をだらしなく戻し、机上に転がった。力なく伸ばした腕を楓真の背中に向け、人差し指でその背中にくるくると円を書くように触れる。

「はーん。いいご身分っすねぇー、ふうまくんはぁ、自分だけが良ければ他人がどーなろうと関係ないんっすかぁ。」

 反応がない。

 すると、とうとう海人は隠すそぶりもせず寂しいアピールを始める。

 片手を両手に変え、指で楓真の背中を突きまくってやった。

「ちょ、やめてくれる?」

「ツンはもーいらなーい!甘いのちょうだい、甘いのー!何、俺放ったらかしでスマホばっかり見て!やんなっちゃう!どっちが大事なの!」

「ほんとマジうざい。」

 そう言われて、ぷう、と膨れた海人は、再び机に突っ伏した。

「何、愛しの先生からのメールでも待ってんのー?いいーすねー、たのしそーすねー。」

 周りの生徒の話し声だけがざわざわと聞こえる。

「ねぇー!ほんとやめて!ひとりにしないでー、お願い、話聞いてくれたら黙るからさぁー!」

 後ろから楓真の両肩を掴み前後に揺さぶっていると、大きいため息が聞こえ、楓真が振り返った。

「お前が黙った事ってあったか?」

 明らかに『めんどくさい』と顔に書いてある。

「いいよ、いいよ、その顔。その顔でもいい。もう、こっち見てくれてるだけでいい。それで安心する。」

「気持ち悪いな。」

「そんな事言うなってー、もうちょいお友だちを大事にしてあげな。」

「俺には空気読めない『お友だち』はいらない。」

 では、と片手を上げて前に向き直ろうとする風磨を海人は慌てて引き止める。

 毎度のお決まりのやり取りなのだが、これはこれで二人とも楽しんでいる、らしい…。

 …と、海人は信じている。

「ほんと、いつもに増して冷たいよ。『先生』に会ってからー。俺も相手してくれよぉ。遊んで、構って、はなしきーて!」

「どーせ、またナンパに失敗したんだろ?」

 再びため息と共に振り返って海人を見た。

「どーせって何、どーせって。そういうのは良くないよー?もうちょっとさ、なんて言うの?優しい言葉でー、」

「どうしたの?海人、話してごらん。」

 柔らかいくしゅっとした表情で楓真が言うと、今度は海人が固まってしまった。

「ごめん、怖いわ。通常モードでお願いしゃっす。」

「俺のスマイルを返せ。お前如きに使ってしまった。」

「もらったもんは返せないので俺の心の中アルバムに大事にしまっておきますが、それはそれとして、なんの話かわかってるー?」

「え、俺が幸せすぎるという話?お前のテストが悲惨だという話?」

「うーーーーん、どっちも!!!だね!」

 海人はいろいろな感情を込めて力いっぱい頷いた。なにがムカつくかというと、さっきまで無表情で触れてくれるなとばかりに冷たい氷の刃でも飛ばしそうだったその目に、光が湛えられているところだ。

「なんだかとっても腹が立ってくる。だけど!俺は、それでも挑む!お前にな!親友だからな!」

「うるさいから、続きを早く。」

 湛えられた光はそのままで、声のトーンが下がる。これがまた怖い。

「はい。」

 姿勢を正して座り直し、お手本のような姿勢である。

「あのね、聞いて欲しいのよ。これから家に帰る。するとまず親が言うわけよ。テストの結果いかがでしたか?と。そうしましたら、ワタクシ、それをお見せしなければいけません。これがどういうことか、わかりますか?」

「見せりゃいいじゃん。」

「かはぁーーー!だめ、それじゃダメだ。あのね、はい、こちら。こちらが、今回のワタクシのテスト結果でございます。はい、これ、どうですか!?」

「…あぁ…これは、…惨憺さんたんたる結果でございますね…。」

「そう見えます!?惨憺たる結果!そう、目も当てられないとはこういう事!ワタクシ、これをこれから帰って、母上にお見せしなければいけないのです!」

「見せりゃいいじゃん。」

「おま、バカ!お前、ほんと、ばっかやろう!こんなん持って帰ったら俺、明日生きてられるかわかんねーんだぞ!」

「勉強してないお前が悪い。」

「はい、勉強。言いましたね。はい、勉強。ここで、問題でーす。なぜ、僕は、勉強できなかったのでしょう、か!?はい!澤井くん!」

「バカだからではないでしょうか。」

「はい!違いまーす!バカはバカだけど、ぼくは、それなりに頑張れる子なんでーす。そういうことではないんだ!勉強する機会がなかった、ということなんだ。」

「そんなもの自分で作れるだろ。」

「はい、そこー、それ、その発言。とても冷たい、心無い発言でーす。そもそも!ワタクシ、自分一人では勉強になりません!」

「いや、しろよ。」

「いや、いやいやいやいや、だって、それ、それ、だってさ。いつもは楓真が一緒にしてくれてたじゃーん。手伝ってくれてたできたんじゃぁーん。それがよ?今回は忙しいからっつって、全く、まぁーーーーったく、相手してくれなかったんじゃん!お陰でこのザマっすよ!」

「当てにしすぎだろ…。」

「当てにもしますよぉー、中学から楓真のおかげでなんとかここまで来れたとワタクシ思っております。いなかったら行くとこなかったかもしれない。置いていかれたら生きていけない!」

「お前、ほんとココ良く受かったな。」

「あざっす!その節は!お世話になりました!」

 ほとほと呆れ顔の楓真と、大きな口をさらに引き伸ばして笑う海人。

 そうこうしていると、ホームルームが始まり、話が終わらないうちに中断されてしまった。

 前では、先生が明日の連絡事項の確認など淡々と喋っている。10分とかからずにホームルームも終わったが、楓真の時間はとても長いものだった。先生の話もほとんど聞かずにひたすらスマホを眺め続けている。

 その顔はとても厳しい。

 時々気が抜けたように無表情になったかと思えば、ふいに頬が緩む。そうかと思えばまだ険しい顔になり、思い悩んだような表情に変わる。

「何してんだあ、百面相くん。」

 いつのまにか終わっていたホームルームにも気付いていなかった楓真に海人が声をかけた。

「いろいろ貴重な顔してたから、気をつけなさいよ。知らんうちに、またにされっぞ。」

「そうなった場合、取引が始まる前に犯人をすぐ捕まえて締め上げて差し上げるから安心しろ。」

 楓真はそういうと、静かに海人の肩に手を置き、その手にぎりぎりと力を込めていく。

 痛みで、容疑者は呻き声を上げながら沈んでいった。

「暴力反対!暴力反対ーー!」

「犯罪者に慈悲は必要ない。」

「まだ未遂まだ未遂まだ未遂ーーーー!」

「信じない。お前は前科持ちだ。」

 楓真の冷たい視線が刺さる。

 もう時効だから、許して、と懇願(必死)する海人を解放し、いそいそと帰る用意を始めた。

「ちょっと待て、お前このまま帰るつもりじゃないだろうな?」

 ダメージを受けた左肩を抑えながら、じりじりと詰める。

「今日は部活あるから帰らないけど、そうでなかったとしても海人の相手はする暇はない。」

「そこよ!中学から部活部活部活部活部活部活!高校に入ってからも部活部活部活!前は部活ない日遊んでくれてたのに、最近は『先生』のせいで全くじゃん!!!俺、暇なのよ、寂しいのよ!することないのよ!どーしてくれんのよ!」

「なら勉強しろよ。」

 バッグを肩にかけた楓真が歩き出しながら言い放つ。

「俺にも合わせてよ。」

「はぁ?」

 いきなり足を止めた楓真が振り返った。

 その顔は、菩薩のようにパーツこそ綺麗で柔らかいが、その目から、身体中から禍々しいほどの何かを感じる。

 海人の危険を察知する能力が発動した。

「『先生』、どんな人なんだっけ!?」

「は?やさしくて素直でちいさくて可愛くてよく気がついてこぐまみたいで笑顔が素敵で何でも一生懸命で髪が柔らかそうで触りたい手も小さくてかわいい触りたい目が小さくてかわいい肩とか背中とか触りたい後…」

「待て、ちょっとまて!」

 思ったよりスイッチの入りが強すぎたようだ。思った以上に強烈でびっくりした。

「ごめん、俺が悪かった。部活まで移動しながらその間だけでもいいから相手して?」

 少し涙目になりながら海人はお願いした。

「他にも友だち作れよ。」

「いるよ!みんな部活とかバイトで忙しいんだと!」

「海人も部活かバイトすればいいじゃない。」

「たまにならいいけどー、しないといけない、となるとしんどい。」

「…しっかりした大人になれよ。」

 海人は、憐れみに溢れた目で楓真に見つめられている。

「うん…とりあえず、今日はボス戦がんばる。」

「ボ…お母さんな…。」

 健闘を祈ってるよ、と声をかけて昇降口で二人は別れた。しゅんと小さくなっていた背中が門の近くにまでいくと、パッと広がった。

 切り替え早!と楓真はクスッと笑う。

 それでも家に着くまで、小さくなって持ち直してを一人繰り返して帰るんだろうな、と考えると、後でL○NEでもしでやろうと思った。

 楓真は思い出したようにズボンのポケットからスマホを取り出すと画面を見て、ため息をついた。ただ明るい画面を見て、意味もなくいろんなアプリを開いては閉じる。L○NE、メールボックス、ゲーム、SNS、書籍、MoveTube、連絡先。

 どれも普段、かなり使い込んでいるものばかりなのに、無性に全部消してやりたくなった。

 面白くない。

 子どもみたいだとは思っている。

 拗ねているだけだと、本当はわかっている。

 でも、それもただの自分のエゴである。

 園で拓郎と再会してから、何度と会うようにはなった。とは言っても毎回、拓郎が仕事が終わってから、近くで会って話したり、ご飯を食べたりするくらいだが、楓真は十分しあわせだった。テスト期間中は、近くの図書館やファミレスで勉強して時間を潰して、拓郎の仕事が終わるのを待っていた。

 そう、待っているのだ。

 拓郎も、シフトの都合や、残業がある日もあるため、毎日同じ時間に帰るとは限らない。かと言って、いつもシフトを聞いて把握しているわけでもないし、待ち合わせの約束をしているわけでもない。

 一方的に楓真は、待っているのだ。

 なので、会えない日もある。楓真の部活が遅くなる事もあるし、思ったよりも拓郎の帰りが早い日も、残業が長引く日も、もちろん拓郎にも予定がある。

 どれもお互いに把握し合う必要も特にないわけで、理由もない。

 拓郎は、「ふうちゃんはいつも余裕があって、何でもスマートにこなすね。」と言ってくれるが、全くそんな事はないのだ。

 内心、焦りまくっているし、言いたい事も聞きたい事も言えずにいる。

 感情が爆発してしまって、つい再会するなりプロポーズみたいになってしまったが、結果的に自分の気持ちはしっかり伝えられて、こうして会えるようにもなっているわけなので、そこはやらかした感満載だが、良かったと思っている。まぁ、あの時は死ぬほど恥ずかしくてすぐ走り去りたいとも思ったが。

 やっぱり、たろ先生が良い、と再認識もした。やっぱり、変わらず可愛かった。

 とりあえず、ただ待つ、という手段を取らざるを得ないのは、ただただ『連絡先の交換』をまだしていないという事実のみに他ならない。「余裕があってスマート」なら、こんなものとっくにクリアしているはず。

 連絡先の交換、プライベート情報の聞き取りは大きなリスクが伴う。

 友人、海人を見ていつも思う。

 それは無理だよ。バカだな、うまくやれよ。

 近くで彼が玉砕していく様を見ていてそう思っていたのだが、彼のプロセスはともかく、打ちのめされて帰ってくるその悲痛な姿だけが残っていて、自分を重ねてしまうと先に進めなくなってしまった。

 完全に海人のせいだ。

 そうしてしまおう。

 心配するフリして電話して、八つ当たりしてしまおうか。

 そうして、楓真は今日も拓郎の連絡先も交換の仕方もわからないまま、部活に力を注ぐ。


 





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