第72話 水爆を超えてゆけ

 ヒカルは神殿に駆け込む。アシェリアの思考が伝わってくる。全力で熱線や爆風や放射線から身を守ろうとしている。

 水爆はクローンアシェリアの意思によって起爆した。自爆するよう教育されていたのだろう。残酷さに総毛立つ。

 やがて、ドンっという爆発音が聞こえる。衝撃波が来ないところを見ると、相当遠くで爆発したようだ。アシェリアが地上に被害が出ないよう、そうしてくれたのだ。

 ヒカル達は再び広場から空を仰いだ。朝なのに頭上に赤いオーロラが見える。不気味な灰色の雲が爆発の中心からゆっくり広がっていた。

 やがて、アシェリアが降りてくる。槍を失っているが、見たところ無事だ。大した苦痛も感じていない。しかし、彼女の発する光は、随分と輝きを失っていた。もう一発は耐えられないだろう。

 オーシュルージェスたちは、エーゲ海上空に再び集結する。

 アシェリアは荷車を瞬間移動させようとするが、クローンアシェリアの白い光に阻止される。この光は、物理攻撃のみならず神の力も阻止できるのだ。

『この距離だと……駄目か……』

 ダメで元々といった感じのアシェリアの声がする。あまり落胆した様子はない。

 クローンアシェリアの一人が荷車ごと消えて、アシェリアの近くに現れる。逃げるようにアシェリアは上方に瞬間移動する。他のクローンアシェリアたちも次々にアシェリアに向けて瞬間移動した。再びアシェリアは消え、クローンアシェリアたちが追う。

 アシェリアたちは、オーロラの輝く空に次々に白い光の軌跡を残す。やがてアシェリアの高度にクローンアシェリアが到達出来なくなったのか、逃走と追撃は終わった。

『降りてこい、悪しき神よ』

 オーシュルージェスの声が響く。『さもなくば、悪魔の森で貴様のクローンを自爆させる』

 降りてくるなとヒカルは祈る。

 その願い虚しく、アシェリアの白い光は、日が沈むように地上に向かう。

 その光が、突如、巨大な円環に変わった。

 アシェリアから青い光が、一体のクローンアシェリアに向かって走る。

 クローンアシェリアは、大爆発を起こした。不格好なキノコ雲と、爆発音があたりに広がる。

 大爆発と言っても、先程の水爆より遥かに小規模だ。

「なにが……起こっているんだ……」

 総理が呟く。ヒカルには思い当たるものが一つだけあった。

円形加速器シンクロトロン……」

「ハイパーカミオカンデのアレか」

 ヒカルは頷く。厳密に言えば関係ないが、どうでもいい。

 アシェリアは更に高度を下げながら、もう一度青い光を放つ。更に一体のクローンアシェリアの荷車が大爆発を起こす。

 青い光は荷電粒子が空気中を進む時に起きるチェレンコフ放射だろう。おそらく、放っているのは陽子だ。

 アシェリアの頭上には、直径数キロもの円環が浮かんでいた。そこで陽子を加速し、発射している。円形加速器シンクロトロンとしては小型だが、磁場のかわりに神の力で陽子を曲げ、高エネルギーを与えているのだ。


 水爆は、熱核兵器とも呼ばれる。起爆用原子爆弾を爆発させた高熱下で、二重水素と三重水素を核融合させるものだ。

 では、原子爆弾とはなにか? プルトニウムは一定の質量を超えると、核分裂反応に伴って発生した中性子が、次々と核分裂を引き起こす。この連鎖反応が拡大していく状態を超臨界と呼ぶ。原子爆弾は、人工的に超高速でプルトニウムを超臨界にし、核分裂を暴走状態としたものだ。


 アシェリアが陽子を撃つ。4人目のクローンアシェリアは、なすすべなく荷車の大爆発に巻き込まれる。自分が何をされているかすら、彼女は理解できなかっただろう。


 アシェリアが狙っているのは、水爆の起爆用原子爆弾だ。核物質のプルトニウムは、重金属の容器に納められている。そこに大量の陽子が当たればどうなるか。核破砕反応が起こり、大量の中性子がプルトニウムの分裂を起こす。

 当然この反応は、マンハッタン計画においてジョン・ノイマンらが一年近くかけて設計した爆縮レンズに比べて、部分的な爆発しか引き起こさない。プルトニウムの一部のみが爆発し、大半のプルトニウムを吹き飛ばしてしまうからだ。未熟核爆発と呼ばれる、いわば原爆の不完全燃焼だ。


『引けっ!』

 オーシュルージェスの声がする。

 最後のクローンアシェリアは従順に彼のもとに瞬間移動する。そこに、陽子ビームが襲いかかった。

 円環を戴きオーロラを背にしたアシェリアの姿は、まるで死神を滅ぼす天使のように見えた。

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