第64話 ジャガイモと神託

 ニ週間ほどで、地球に送ったサンプルの分析結果が届く。

 年代測定や写真判読によるカンピ・フレグレイの噴火史の解析から、イシュタルと地球の分岐は、3から4万年前の間に絞り込まれた。他の火山活動も考慮すると、3万年前に、より近い。

 多くの生体サンプルの分子時計や地形判読も、その結果と矛盾しない。

 例えばジャガイモ。イシュタルと地球のジャガイモは、約3万年前に分岐したことがわかっていた。

 しかし、ジャガイモの分析結果を前に、ヒカルは考え込む。奇妙なのはイシュタルでの分岐年代だ。

 イシュタルでの日本列島とイタリア半島のジャガイモの分岐年代もまた、約3万年。イシュタルと地球が別れた頃、イシュタルではジャガイモが利用されるようになったことを示している。

 地球では後期旧石器時代。狩猟採取の時代だ。おそらくは狩猟採取民がしばしば行うように、イモ類を集落のそばに埋め戻し、偶然栽培化に成功したのだろう。

 しかし、それを行ったのだろうか。

 ジャガイモの原産地は、南米のちょうど真ん中、チチカカ湖の近辺だ。

 地球において、アメリカ大陸に人類が到達するのは、最終氷期でベーリング海峡が干上がり、ユーラシアから北米に歩いて渡れるようになった1万6千年ほど前まで待たねばならない。

 ミトコンドリアDNAや、創造神話を持たない古い神話が南米に存在することから、それ以前に人類が到達していたという説もある。しかし、残された痕跡の少なさから、あったとしてもごく小規模なものだ。ジャガイモを手に、世界に再拡散するほどの大集団ではない。

 一方、イシュタルでは、約3万年前に南米にたどり着いた人類は、ユーラシア全土に再拡散している。

 どうしても、デウスの存在を考慮せざるを得ないと、ヒカルは思う。

 創造の二人の神が世界を二つに別けた頃、デウスに率いられた集団が、南米まで到達していたのではないか。

 もしかしたら、と思う。その一団を率いていたのは、創造の神かもしれない。

 なぜ神が世界を二つに別けたのかは、未だ明らかになっていない。そのヒントが、アメリカ大陸にはあるのだろうか。

 では、イシュタルにおけるアメリカ大陸の現状は、一体どうなっているのだろう。


 アシェリアと一緒に世界地図を描く。ちょうど一年前にも、彼女に地図を描いてもらった。内海と森を中心とした、巨大な大陸。

 あの頃は、何を示しているのか分からなかったが、今なら理解できる。地中海や黒海とアシェリアの森イルマ・アシェーリアを中心として、上空から見たアフリカとユーラシア。いわゆるアフロ・ユーラシアだ。

 ヒカルは、スマートフォンの地図アプリを開く。多少のデフォルメはあるが、アシェリアの地図は、ユーラシアとアフリカの位置関係を正確に捉えている。

 ヒカルも地球儀で見たことのあるはすの形だが、意識の中ではユーラシアとアフリカは分断されていて、ひと繋がりには認識出来なかった。

 ヒカルは、ユーラシアの西方に大陸を描く。アメリカ大陸。

 アシェリアは陸地があった気はするが、思い出せないと言う。もちろん上陸したことはない。誰かが訪れたという話も聞いたことはない。

 ジャガイモの話で、初めて彼女はアメリカ大陸を意識する。

「どうして……今まで意識しなかったんだろう……」

 アシェリアは首を傾げる。

 地球が球体なため、どれだけ高度を上げても、アナトリア上空からアメリカ大陸は見ることは出来ない。

 単純に、見たことがないためだろうか。

「違うと思う。見たことは、あるはずなんだ」

 アシェリアはユーラシアのすぐ西に2つの島を描く。グレードブリテン島とアイルランド島。

「例えば、ここ」

 アシェリアはアイルランド島を指差す。「地球ではジャガイモ飢饉の起きた場所。わたしはここに行ったことがある。ここからなら、見える?」

 ヒカルはスマホの地図アプリを開いて、見通し距離を計算する。計算上は高度千キロも昇れば、グリーンランドやカナダの東端が見える。

「やっぱり……」

 計算結果を聞いて、アシェリアは小さく呟く。何かが引っかかっているようだ。

「ヒカル、おかしいんだ。わたしは何度もアメリカ大陸を見ている。なのに少しも意識出来なかった。まるで、意図的に無視していたみたいに」

「見えると言っても、ヨーロッパからじゃ、アメリカは視界の隅に入る程度だよ。気にならなかっただけじゃないの?」

「違う」

 アシェリアは、はっきりと言った。

「神になってすぐ、もう千年以上前、わたしは、この大陸を横断した」

 アシェリアは地図の上のユーラシア大陸をなぞる。中央アジアの砂漠地帯、華北平原を抜け、シベリアに入る。最終的に彼女の指はユーラシアの最東端、ベーリング海峡のほとりに達した。

「あのとき、わたしはこの僅か90キロの海峡を渡らなかった。確かに空に浮かび、海の向こうに大地が広がるのを見ていた。なぜ? なぜ、わたしは帰ろうと思った?」

 アシェリアは頭を抱える。美しい相貌に苦悶の表情が浮かぶ。

 ヒカルはそっと彼女の手を取る。たなごころが汗で濡れている。

 不意にアシェリアは顔を上げる。

「思い出した」

 青白い顔でアシェリアは言った。

「帰れ、と言われたんだ。とても強く。あれは、神託だ」

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