第62話 凱旋する王の前で
老商人の館を拠点にして、カンピ・フレグレイ・カルデラの調査をする。広大なカルデラの中を踏査し、記載をし、写真を撮り、サンプルを集める。
毎日地道な調査を続けながら、改めてアシェリアの力の有難さを噛みしめる。自在に空に浮かび、認識した場所に瞬間移動する。
単純なようだが、もちろん地球の二十一世紀の技術を遥かに凌ぐ。
バッロに来て二週間が過ぎたのちは、ヒカル達は毎朝港を訪ねた。順風の乙女号が到着していないか確認するためだ。
その日は、港の様子がいつもと違った。数十隻は停泊しているはずの船が、一隻もいない。代わりに沖に何百隻もの船が浮かんでいる。
警備だろうか、兵士の姿も多い。いつもは群れなすようにいる物売りや、娼館の客引きもまばらだ。
かろうじていた水売りに、何事かと尋ねる。
彼は、畏れ多くもと前置きした上で、声を潜めた。
「『最も偉大なる神』がおいでなさるんだよ」
『最も偉大なる神』は、王であり、神であるオーシュルージュの称え名だ。
彼は、反乱を鎮めるためアフリカ大陸北岸へ遠征していたという。このたび、めでたく首謀者を打ち負かし、捕らえた。凱旋の途中、離宮のあるバッロに立ち寄る。
水売りによると、王の船は明日到着するらしい。
そのため、港にいた船はみな、先に到着した軍船も含め、今日のうちから沖待ちさせられている。
王の権勢を思い知る。
「どんな神様か、ちょっと興味ありますね。見に来ましょうよ」
先輩が目を輝かせる。
「僕は反対です。危険ですよ。僕は顔も見られてるし」
ヒカルの言葉に、先輩は大丈夫と軽く言う。
「顔見られたって言っても、ほんの一瞬ですよね。相手はしょっちゅう戦っている神様ですよ。ヒカルくんの顔なんて、覚えていないですって」
結局、老商人たちと一緒に、翌日の凱旋パレードを見に行くことになった。
王の乗る船は、夜明けとともに入港したようだ。
早朝に港に行ったときには、既に大型船が停泊していた。手前で兵士に止められる。
遠目に見ただけでも、順風の乙女号の数倍は大きい。四本のマストに、二段に並んだ櫂。上甲板には大砲まで備えている。
港には天幕が張られ、咆哮する獣の紋章があしらわれた旗が翻っている。
警備の兵士の数も、昨日とは比べ物にならない。
近づくのは諦めて、予定通り大通りに向かう。
幅40メートルはある大通りは、火山灰で舗装され、ヒビ一つない。突き当りの小高い丘に、離宮の正門が見える。迎賓館赤坂離宮をも凌ぐ、豪華な門だ。
沿道にはバッロの市庁舎や地方貴族の邸宅が建ち並びんでいる。
普段はひっそりとしているが、今日ばかりは喧騒の中にあった。既に続々と人が集まりつつある。
ちょっとしたお祭り騒ぎで、食べ物や酒を売る屋台まで出ている。
裕福層なのか、召使いに傘を差し掛けさせ、色とりどりに織られた敷物を敷いて、くつろぐ人の姿もある。
老商人の姿を探していたヒカル達は、後ろから声を掛けられて振り返る。ヴェスヴィオ山を案内してくれた召使いがいた。
老商人たちのもとに案内される。
敷いた布には、老商人と、見知らぬ男性が4人。同じ数の若い美女が酒を注ぎ、食べ物を取り分けている。彼女らは奴隷だ。首飾り風に装飾されているが、鉄の首輪をしている。
バッロでは奴隷をよく見る。
奴隷への焼印の風習はとうに絶え、代わりに首輪がされるようになっていた。それ以外、服装や仕事内容では、召使いたちと区別はつかない。
ヒカル達は招かれて座に加わる。老商人に紹介される。彼らは、穀物商の組合の役員たちだった。
女奴隷の一人がヒカルにグラスを渡し、しなだれ掛かるようにして酒を注ごうとする。ヒカルは思わず身を逸らす。
「東方の御曹司は
老人の一人が声を上げ、笑いが起きる。
そういうわけじゃない、と少しムッとする。奴隷というシステムに馴染みたくないだけだ。
「兄は、奴隷というものに慣れていないんです。あたしたちの国に、奴隷はいません」
先輩がヒカルの気持ちを代弁してくれる。
矢継ぎ早に質問を浴びる。麦を刈るのは誰だとか、鉱道に入る者がいるのかといった老人たちの疑問に、先輩は誤魔化しながら答える。
ヒカルは自分で酒を注いで、ちまちまと呑む。
やがてパレードが始まる。整然と隊列を組んだ歩兵隊、甲冑姿の騎兵隊が通り過ぎる。
戦利品の珍しい動物や、財宝を積んだ馬車が続く。
沿道から歓声が上がったのは、踊り子の一団が現れたときだ。
半裸の男女が、楽団の演奏に合わせて踊らされている。反乱を起こした属国の宮廷に仕えていたのだろう。これみよがしな荒々しい首輪が着けられている。捕らわれ、奴隷にされてしまったのだ。
アシェリア・ヌ・メネルには奴隷はいなかったなと、改めて思い出す。
長い一本鞭を持った男が地面を叩きながら続く。時々、鞭の先端が、踊り子たちの脛やふくらはぎを捉え、歓声が大きくなる。踊り子が地面に転がるたび、容赦のない罵声が浴びせられる。
こういう文化なのだとわかっている。善悪とは、文化に根ざしたものでしかない。ここでは残虐は娯楽なのだ。
わかっているが、帰りたいと思う。そのとき思い浮かんだのは、両親の顔でも仙台の景色でもなく、アシェリアのバラの匂いだった。
次に、バッロの地方貴族の部隊が現れた。貴族と彼らが私的に雇った兵たちで、いくぶん装飾過多気味に軍装を飾り立てている。群衆は熱狂的に手を振り、貴族たちも親しげに返礼した。
黒い一団が、ゆっくりと坂を上ってくる。それほど人数は多くない。全体で3百騎ほどだ。
金の飾緒で飾られた黒い軍服は、まるで礼装のように見える。全員が騎乗し、馬具まで黒と金で統一されている。
彼らは、音楽隊の奏でる行進曲に合わせ、一糸乱れず行進する。馬蹄や剣の吊具の立てる音まで、奏でるように揃っている。
『最も偉大なる神』の軍だと、老商人が耳打ちする。
沿道の人々は身をただし、声すら上げない。
その光景には、荘厳さすら感じられる。
王の軍にしては少ないが、選抜された親衛隊や近衛兵なのだろうとヒカルは思う。
旗手が掲げる咆哮する獣の紋章に旗に囲まれて、ひときわ豪華な装飾の施された軍服を着た男がいた。
忘れもしない。
王であり、神。
正式な名乗りは、オーシュルージュ・ヴォ・オーシュルージェス。日本語に訳すと、オーシュルージュの神、オーシュルージュ十二世という意味となる。もちろん、この名で呼びかけることは不敬となる。
彼は泰然とした様子で馬を進める。その脚が、ヒカルたちの真横で止まる。パレード全体が、冷水を浴びたように停止した。
群衆は平服し、沿道が静まり返る。ヒカル達も同様に平伏する。
「そのほう……」
「いずこかで、会ったか?」
ヒカルはこの言葉が、自分に向けられたものだとわかった。視線を感じる。
恐怖と緊張の中、頭を働かせる。反応しては駄目だ。古代語を理解出来ると知られてはならない。俗語しか知らない旅行者を演じるべきだ。
小走りの足音が近づくのが聞こえる。
顔を上げろという言葉とともに、乱暴に引き起こされる。今度は俗語だ。
中年の男がいた。灰色の法服のようなものを着ている。帯剣はしていない。文官だろうか。
警備の兵士が集まり、ヒカルに槍を向ける。よく磨かれた槍頭の形状が、一本ずつ微妙に異なる。規格化が進んでいないか、研ぎ減らしたのだろう。穂先が痩せるほど使い減らした用途については、考えたくない。
「王の言葉に答えよ」
ヒカルは恐る恐る顔を上げる。
先輩が震えているのが見える。なにか声を掛けたいが、神の認識力を考えると、どのような小さな声でも聞かれてしまうだろう。
いつの間にか、
背筋が凍る思いがする。この神は、なんの対価も代償も必要なく、念ずるだけでヒカルを殺すことができるだろう。人の持つ平等や自由は、神の前では無力だと痛感する。
今まで、何柱もの神と会った。しかし、いずれもアシェリアの傍らだった。彼女にどれだけ守られていたか、改めて知る。
「王たる神が問うておられる。答えよ」
文官がゆっくりとした口調で言う。ヒカルは、コクコクと頷いた。
「これまで、『最も偉大なる神』に謁見したことはあるか」
「ございません」とヒカルは言った。
「わたくしは、はるか東方より参りました。見聞を広めるため、オーシュルージュを訪れております。この地に足を下ろし、ひと月と経っていません。このたび偶然にも『最も偉大なる神』に拝謁できたこと、僥倖の極みに存じます」
文官がヒカルの言葉を古代語に訳して奏上する。
「そうか。東方か。『悪魔の森』は通ったか?」
文官が俗語に訳した問いに、ヒカルはアシェリア・ヌ・メネルのみ通ったと答えた。
アシェリア・ヌ・メネルについての感想を聞かれる。
「賄賂がはびこり、人心は乱れております」
ヒカルの言葉に
「あのような堕落した都市、余も苦々しく思っておる。いずれ、滅ぼすつもりだ」
文官に東方からの経路を問われる。
ヒカルは予め覚えておいた、中央アジアから黒海北回りのルート上にあるイシュタルの地名を挙げていく。
「古典にある道と相違ありません。嘘は言っていないと存じます」
文官の言葉に、
「そのような遠方にも人は住んでいるのだな。バッロの暮らし、楽しむがよい」
そう言い残すと、
パレードは何事もなかったかのように再開する。
ヒカルは、何十分も潜水していたかのような、大きな息をついた。全身が汗で濡れている。手と足が震えていた。
地面に着いた手を先輩がそっと握ってくれる。その手も震えていた。
「ヒカルくん。ごめんなさい。ちょっとだけ、このままでいてください」
先輩が日本語で小さく言う。その手の温かさが、命が繋がったことを実感させた。
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