第59話 半年が経ぎて
ポート・アシェリアには、三つの木造の小屋が出来ていた。
隊員の宿舎と診療所だという。ただし、まだ医師は着任していない。
「すごいですね。この建物。これ、材料から全部手作りなんですか?」
ヒカルの言葉に、梶は気まずそうに頭を掻いた。
「いや、実はだな……」
最初は梶たちだけで生木を加工して建材を作ろうとしていたが、思いのほか進まなかった。そのため、一旦材木を地球に送り、加工してもらった上で、組み立てだけを行う方法に変えたという。
ここ半年のワーム・ホールの観測結果から、二週間に一度は、直径1m程のワーム・ホールが、どこかに開くことがわかっている。そのたび毎に、大量の物資がやり取りされるようになっていた。
確かに随分と装備が充実している。何より大量のゴミが、豊かな生活を証明している。ゴミは集積され、大型のワーム・ホールが開くたび、地球に送り返される。
「この調子で、もう半年頑張るよ」と梶は言った。
指揮官である梶は、今回の交代の対象ではない。
ワインを入れたプラカップを傍らに、溜まっていた報道やビデオメッセージや速報を見る。これまでも毎日アシェリアが記録メディアを届けてくれていたが、ついつい見そびれていた。
エミルとルメンからの、アシェリアに宛てたメッセージもあった。彼女は、母のような優しい目でそれを見た。
アシェリアと一緒にヒカルの家族からのメッセージを見る。
母は四度も元気かと繰り返し、父にもうやめさいんと止められた。妹のミサキはアシェリアに向けて、兄をお願いしますと深々と頭を下げた。
「いつか、会いたいな」とアシェリアは微笑んだ。
日本列島の調査結果は、各テレビ局が特集を組むほどの反響だった。
写真が分析され、東京湾が埋まりかけていることや、富士山の形が地球と異なることが、センセーショナルに伝えられた。
栽培作物の同定結果は、イネ、アワ、ダイズ、ジャガイモなど。主食はそれらの組み合わせだろうと、集落の写真を前に専門家がコメントしていた。
主食が米だけでないことに、芸能人が大げさに驚いてみせる。
『お米めっちゃ大好きなんで、こんな暮らし耐えられませんわ。富士山も無いとか考えられへん。こっちの日本人で良かった〜』
その芸能人の言葉に、スタジオは笑いに包まれる。ヒカルは見るんじゃなかったと思って、画面を消した。
アウトドアチェアに身体を沈める。フレームのパイプが軋んだ音を出す。
なぜ、ジャガイモなんだろう。
タブレットで、地球から送られて来た分析速報を眺める。既知の品種とは異なるが、イシュタルの日本列島で栽培されていたのは、紛うことなきジャガイモだ。
ジャガイモの原産地は南米だ。地球では、いわゆるコロンブスの交換でヨーロッパに伝わり、その後日本に伝わった。
イシュタルでは、どのようなルートで日本まで伝わったのだろうか。
ギャラリーを開き、これまで撮影したイシュタル各地の海の写真を見る。最も栄えていたのは、書の神キュエルのまちだ。いくつもの帆船が写っている。地球の船舶工学の専門家によれば、縦帆のみの船がほとんどであり、遠洋航海に適した大型船は見られないとのことだった。
これには但し書きが付く。遠洋航海に適した船でないからといって、遠洋航海がなされていないと決めつけることは出来ない。
コロンブスが大西洋を横断したときに使っていた三隻の帆船は、どれも小さなものだった。
また、ポリネシア人はカヌーだけで、台湾からチリ領のイースター島までたどり着いている。島伝いに何千年かかければ、南米から日本まで到達することも可能なはずだ。
ヒカルは大きくため息をついた。どれだけ考えても、これは仮説の域を出ない。
ジャガイモの伝播を知るためには、南米から日本に至る広大な地域を虱潰しに調査し、サンプルを集める必要がある。流石にヒカルの手には余る。
ワインを
アシェリア細胞についてのファイルを開く。細胞株ごとの番号と、研究内容の一覧が表示される。
生命倫理上の問題により、彼女の細胞は厳重に管理されている。全能細胞であるアシェリア細胞は、成長すれば胚となり、ヒトの子宮に着床すれば個体にまで成長するからだ。
実際にはそれは建前で、研究の結果で生まれるであろう莫大な利益を、日本が独占するためでもある。
実際に、ノーベル賞級の研究成果が出つつある。
一つが、がん治療に関するものだ。
彼女の細胞は、分裂を繰り返してもがん化しない。そこに注目した研究では、がん化を抑制する2種類のタンパク質が特定されていた。来年にも臨床研究に入る見通しだという。
当然、海外からの非難は多い。共同声明を出した国々まである。人類の幸福のためには、アシェリア細胞の独占は許されないと、彼らは主張していた。日本政府は、北アナトリア国との二国間の問題だと、それを突っぱねていた。
何が人類の幸福だとヒカルは思う。
アシェリアの細胞は日本中に散らばり、凶悪な病原体の攻撃を受けたり、放射線に曝されたり、切り刻まれたりしていた。アルコールのせいか、彼女の肉体が弄ばれているような錯覚に陥る。切なさなのか憤りなのか、胸がいっぱいになる。
大声で笑う声がした。少し離れた場所で人々が輪になっている。輪の中心で、梶がなにかの一発芸をしたようだ。
アシェリアも笑っている。
ヒカルと二人でいるときにだけ見せる、弱さや闇とも違う。
彼女のヒトの社会での本来の姿が、これなのだろう。誰からも愛される、照れ屋で陽気な少女。
売られることがなければ、彼女はきっと年に一度の祭でこんな笑顔を見せ、誰かに嫁ぎ、千年以上前に生涯を終えていたのだろう。
どちらが幸せなのか、ヒカルは考えるつもりはない。それを決めていいのはアシェリアだけだ。
ヒカルはまたワインを口にする。
視線に気づいたアシェリアが、ヒカルに笑顔を向ける。
彼女がずっと笑っていられますように。
ヒカルは誰に祈るでもなく、そう願った。
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