第52話 調査と学習と日常

 内田からのビデオメッセージを先輩と見る。国立新世界研究所NINWRのロゴが並んだ壁紙を背に、内田が話す。

『まずは、新世界での生活、ご苦労に思う』

「ありがとうございます」

 通信しているわけではないのに、先輩は律儀に頭を下げる。

 内田はワーム・ホール分析の成果について説明する。ヒカルは先輩は手元のタブレットに表示されたレポートを見ながら、それを聞いた。

 ワーム・ホールの出現数には、活性化と呼べる現象がある。ヒカルたちがワーム・ホールを通過したときに確認された、1万以上のワーム・ホールの出現が、その顕著な例だ。

 また、ワーム・ホールの発光は一定ではなく、蛍光灯のように点滅している。微弱な電流が流れているためらしい。その周波数は8から12ヘルツ。出現が活性化すると発光の回数も増え、20ヘルツ程度になる。

 だいたい蛍光灯やLEDの半分以下の点滅回数だ。電波でいうと、極超長波にあたる。

「シューマン共振の周波数ですね」とヒカルは言う。

 シューマン共振は、地球の全周の整数分の1にあたる波長を持つ電波が、地表と大気上層との間で反射しながら地球を周回している現象だ。

「人間の脳波も、同じ周波数です」と先輩が言った。

 脳波のうち、安静時に観察されるアルファ波は8ヘルツ以下。活動時に観察されるベータ波ではもう少し周波数が高くなる。

 今のところ、ワーム・ホールの分析は、この程度しか進んでいない。

 出現頻度や、パターンの分析、活性化がなぜ起きるかなどは手つかずの状態だ。

「あたしが分析チームに加わったほうがいいんじゃないですか、これ」

 そのとおりだと、ヒカルは思った。


「めっちゃ緊張しますね。手汗、気持ち悪くないですか?」

 恐る恐る、といった感じで先輩が訊く。

「大丈夫だよ」とアシェリアは言った。

 二人はこれからニュージーランドのタウポ火山に向かう。ペルシャ湾までは前回のルートを踏襲しつつ、あとはインド洋を突っ切り、オーストラリア南岸を抜けてニュージーランドに至る予定だ。

 前回より遠洋を通るのは、アシェリアが先輩を瞬間移動させるのに、ヒカルより力を使うからだ。なるだけ他の神と遭遇しないルートを選ぶ。

 今回も、途中で書の神のまちに立ち寄り、本の複写を行う。

 ヒカルはその間、遅れがちの古代語の学習に専念する。

 もちろんヒカル自身、タウポは行ってみたかった火山の一つではある。

 タウポ火山の噴火史は華やかだ。2万6千年前の火山爆発指数VEI8のオルアヌイ噴火のほか、西暦180年にも火山爆発指数VEI7の大噴火を起こしている。

 カルデラも複雑で、現在のタウポ湖はちょうど横向きの馬の半身のような形をしているが、馬頭の部分が2万6千年前のオルアヌイ噴火、胴体が西暦180年の噴火によるものだ。

 途中まで同じルートを通るので、視点を変える意味もあって今回は先輩に譲った。先輩なら、ヒカルとは違った発見をしてくるかもしれない。

 まあ、しょうがないかとヒカルは浮かび上がったアシェリアと先輩に手を振る。

 それに実際的な面もある。今回は遠洋の真っ只中を通るので目印がない。太陽と月の高度と現在時刻から、瞬時に緯度経度を計算しなければいけないシーンも出てくるだろう。そういった計算は先輩が遥かに得意だ。

 アシェリアが手を振り返してくれる。

 どうか無事で。ヒカルは心の底からそう祈った。


 モニターの中で、アシェリアが古代語のテキストを読み上げている。

 地球でいうエジプトに相当する地方の神話だ。

「はじめに巨人がいた」とアシェリアは言った。

 巨人には名前もない。悠久の時を経て、巨人は狂い、大変な暴れ者となる。男神アンシュと女神エシュという二柱の神はそれを憂い、巨人を殺した。二柱の神は二つに割った巨人の身体から、それぞれの世界を作った。右半身は男神アンシュの世界、左半身は女神エシュの世界となった。目玉は世界の太陽に、耳は月となった。これが昼と夜のはじまりである。

 女神と男神は交わり、九人の子を産んだ。その子らを四組の夫婦となし、二組づつそれぞれの世界に住まわせた。それがヒトの始まりである。最後の一人は獣と夫婦となった。それが俗語でいうメラハンナの始まりである。

 二柱の神は誓う。それぞれ二つの世界を穏やかに治めよう。決してこの後、世界を一つにしてはならない。

 一つになったとき、暴れ者の巨人は蘇るだろう。


 地球からは、この神話は世界巨人型神話や死体化生神話に属するとの返信が来ていた。メソポタミアの神話との関連を想起せざるを得ない。ただし直系ではなく、傍系であろうとそれは結ばれていた。

 メソポタミア神話では、原初の混沌の神ティアマトの身体を引き裂いた英雄神マルドゥクは、その半身から楽園を、残りの半身から大地を創った。

 また、メソポタミアの王たちは、女神の巫女達と結婚の儀式を行うことで、王権の拠り所とした。巫女達は神聖娼婦も兼ねていたという。

 イシュタルにおいても、アシェリアとの結婚を王権の拠り所とした王や、ボグワートには神聖娼婦が今も存在する。

 このメソポタミアとイシュタルの長い時を隔ててもなお残る共通点は、古い宗教の特徴を、イシュタルがより強く残しているためだろう。

 おそらく、それは神の長い寿命によるものだ。

 神話は元々は口伝で伝えられたとされている。メソポタミアで文字が発明されて以降は、書がそれを担った。口伝は変わりやすく、書は散逸しやすい。

 しかし、長い寿命を持つ神がいれば、その変化はとても少ないだろう。

 叫び声でヒカルの思考は中断する。

 なんだろうとあたりを見回したところで、自衛隊員の一人に手を掴まれる。

「隠れるぞ!」

 隊員は短く言うと、ヒカルを連れて森に駆け込んだ。

 ワーム・ホールの出現頻度の高い一帯(ポート・アシェリアと呼ばれている)から、隊員たちが次々と逃げ出している。

「一体どうし……」

 ヒカルの言葉を遮って、隊員はポート・アシェリアの上空を示した。

 一人の男が浮いていた。

 灰色に光る身体、黒いコート。太陽に煌めくのは金の装飾具だろう。

 全身の血が沸き立つのを感じた。

 オーシュルージュだ。

 ポート・アシェリアの様子を訝っているのか、上空を旋回している。アシェリアを警戒しているのだろう。降りてくる気配はない。

 無断で他の神の治める地に入るのは、明確な敵対の意思だとアシェリアは言った。

 隠す様子もなく、彼はそれを行っている。

 やがてオーシュルージュは西へと飛び去る。

 隣の隊員は安堵のため息を吐く。

 ヒカルは神の去った空から、目を逸らすことが出来なかった。

 アシェリアは彼と彼の国と、友誼を結ぼうとしていた。しかし……。

「無理だ……」

 ヒカルは思わず呟いていた。

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