第51話 二人の未来

 トバとマニンジャウの地形を分析し、火山灰の年代測定や組成分析を行ったところ、両火山の噴火史は、地球と同じだと判断された。

 つまり5万2千年前までは、地球とイシュタルは一つだった。

 マニンジャウ・カルデラが形成された5万2千年前以降の主要な火山噴火を、世界地図に落としていく。

 古い方から、日本の支笏(4万4千年前)、イタリアのカンピ・フレグレイ(4万年前)、日本の姶良(3万年前)、ニュージーランドのタウポ(2万6千年前)。

 あまり小さなカルデラだと、その後の気象や火山活動の影響で、形成時の形態がわからなくなっているおそれがあるため、対象は火山爆発指数VEI8以上のものだけに絞った。

 これらのカルデラを年代順に調査し、噴火史が地球と違う火山があれば、その年代がイシュタルと地球の別れた年代となる。

「あらためて見ると、人類って常に危険と隣合わせなんですね」

 先輩が少し呆れたように言う。

「ここは、わたしは行けないな」

 イタリアのカンピ・フレグレイを指してアシェリアは言った。

 北アフリカからヨーロッパの地中海沿岸は、例の神の国である。

 彼と彼の国の名はオーシュルージュ。拗音を二つ重ねるのは、強固な聖性を主張するためだ。

「戦って勝てない相手ではないけど、戦いたくはない。北アナトリアにとって、オーシュルージュは最大の脅威になる。なんとか関係を改善したい」とアシェリアは言った。

 最近の彼女は、対外的には北アナトリアレーノ・アナトリアと、はっきり国名を名乗るようになっていた。

「カンピ・フレグレイは、僕たちだけでなんとかしよう」

 ヒカルの言葉に、先輩は頷いた。


 ひと月が経ち、冬の予感を感じるようになった頃、ようやくワーム・ホール観測装置が本格的に稼働する。

 ブレットと呼ばれるカプセルを、ワーム・ホールに撃ち込む装置も、本来の性能を発揮するようになった。

 これまで数日に一度だった地球との連絡が、毎日可能になる。

 その分余裕ができ、個人的なメッセージなども送れるようになった。

「パパは新世界で任務を頑張っています。君たちに会えなくて寂しいです。大好きだよ」

 梶が三人の小さな子供達に送るビデオを撮っている。

「ああいうの、いいよね」と先輩がしんみりと言った。

 ヒカルも両親へのメッセージを撮る。

 録画ボタンを押したスマートフォンを前に、背筋を伸ばす。

「ええと……とりあえず元気です。体に気をつけてなんとかやってます」

 そこまで話して言葉に詰まる。特に話題が思いつかない。

「何してるの?」

 唐突に、アシェリアが覗き込む。バラの香りがする。

「うわっ」

 ヒカルは変な声を上げて振り返った。

 さっきまで彼女はいなかった。たった今瞬間移動してきたのだ。

「両親に送るビデオメッセージを撮ってたんだ」とヒカルは言った。

 ここはあとでトリミングしようと思う。

「ヒカルのご両親かあ……」

 アシェリアは眩しいものでも見るように目を細めた。

「これ、まだ撮ってる?」と彼女はスマートフォンを指差す。

 ヒカルは頷いた。

 彼女は胸に手を当ててスマートフォンに向かう。

「はじめまして。アシェリア・グリーファ・イル・イシュタルスです。長ければ、アシェリア・イシュタルス、またはアシェリアと呼んでください」

 そこまで言って、アシェリアは微笑む。息を呑むほど美しい笑顔だ。

「ヒカルさんとの子供を産みたいと思っています。どうか、よろしくおねがいします」

 アシェリアは日本風にペコリと頭を下げた。

 聞いていた自衛隊員の誰かが、囃すように口笛を吹く。喝采が起こり、ヒカルは次々に肩を叩かれる。

 いや、あの、などと言って言い訳をしようとしているヒカルの背中を、梶が強く叩く。バンッと大きな音がする。

「古谷くん。女神がこうまで言ってるんだ。君の気持は、どうなんだ」

「大好きです、アシェリアのこと」

「俺に言うんじゃないよ。女神に言うんだ」

 梶は笑いながらヒカルをアシェリアに向き合わさせる。

「アシェリア」

 ヒカルは言う。

「なあに」

 アシェリアはいつもの屈託のない笑顔を見せる。

 ヒカルは知っている。この笑顔に至るまでに、彼女に限りない孤独と絶望と喪失があったことを。

「大好きだよ」とヒカルは言った。「愛しています」

「わたしもです」とアシェリアは言った。「もう少し落ち着いたら、結婚しようよ、ヒカル」

 二人は指切りをする。

 この女神と生きていく。ヒカルは決意した。

 アシェリアの暗闇を分かち合えるよう、なるだけ長く若く生きたい。幸い政府とのコネもできた。アシェリアと生きていくためなら、コネだって最大限利用しよう。アシェリア細胞の研究成果の恩恵を受ければ、二百年くらいは生きられるだろうか。

 アシェリアとの子たち、孫たちに囲まれて息を引き取ることができたら、それは幸せな物語の結末だろう。

 しかし実際には、ヒカルの物語は違った結末を迎えることになる。

 このとき夢見ていたより、ヒカルはずっと早く死ぬことになるし、アシェリアも時を同じくして消えてしまう。

 けれど、このときはまだ、ヒカルはアシェリアとの未来を確信していた。

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